第13話「必殺」

 陽大あきひろの気性であるから、頭から余計な事を追い出すのには苦労させられる。そもそも自分を追い込む原因になった事柄など、「耳に入った下らない事」として投げ捨てられればよかったのに、事故を起こしてしまった。


 一度、頭に芽生えてしまった考えは、容易に追い出す事はできない。


 ――隅っこへ追いやれ!


 それでも心中で怒鳴りつつ、全身に《方》を行き渡らせ、障壁を展開させる。


 しかし痛みは集中力を殺いでしまう。


 ただ大きい《方》を出すだけならば、ここまで痛みが絶対的なものではなかった。


 もし《導》があれば――それは陽大の脳裏にも浮かぶが、それも頭の外へ投げ捨てる。


 ――できることがある。できることを繰り返す!


 弓削ゆげが教えてくれた《方》が、ちょっとした弱点だけで使用できなくなるものだとは思わない。弱点は《方》ではなく、陽大個人にある。


「……」


 体勢を整え、敵を見据える陽大は、もう一度、考える。


「打つ手があるのか?」


 陽大に目を向けて、男が嘲笑した。陽大の体勢が整うのを待っていたのは、立ってきたところで打つ手がないと嘲笑うためだ。


 陽大が持つ手段は、先ほど男の胸骨にひびを入れた拳だけだろうと言外に言い放つ。他に手段があったならば、もっと攻撃が多彩になっているはずだ。一発に賭けたのだから、それしかない――その判断は、半ば正解で、半ば間違いだ。


 陽大がモノにできている手段は、確かに正拳しかなかった。


 しかし教えてくれた事を、ただなぞるだけだったならば、弓削も陽大に勝機など見出せない。


 ――下手な詩でも、百編も読めば、下手なりに一つくらいは詩が作れる。しかし自分なりの工夫がなくて、名作家になれるか?


 弓削がいいそうな事を想像し、陽大はイメージを固めていく。


 ――回転。軸と、回転だ。


 正拳の練習をする中で気付いた事だった。解説してくれている文献が分散しているため、陽大が独自に継ぎ接ぎしていくしかなかった故に、モノになっているとは言えない技術だが、もう一つ、手段があった。


 ――軸は二つ。左右の肩と膝を結ぶ二つだ。


 肩幅程度に両足を広げ、重心を落とす。


 ――回転は、円じゃなく


 螺旋の描き方も、当てずっぽうではなく、正確な書き方がある。


 ――対数螺旋だ。一辺がフィポナッチ数列になっている正方形を並べ、それの接円を1/4ずつ繋げていく。


 その対数螺旋に従い、身体を旋回させる。


 ――0、1、1、2、3、5、8、13、21、34……。


 フィポナッチ数列を思い出すのは、少々、手こずってしまう。ダメージで鈍くなった頭だ。仕方がない。


「……」


 そんな様子に、男は笑みを強めていた。



 思案顔で立ち尽くしている――悪あがきしているようにしか見えていない。



 ――こんな顔は、何度も見てきた。往生際が悪く、無駄な抵抗を繰り返す。結果、負わなくていい痛みを負う事になり、不必要な苦しみを味わうんだよ。


 どうせ陽大の運命は決まっている。



 死ぬだけだ。



 未来が決定しているのだから、どれだけ考えても無駄な抵抗だと、男の嘲笑には、そんな意味がある。


「いや……」


 しかし男は、そこで自分の考えを打ち消す言葉を呟いた。


「どうせなら、悪あがきしてくれた方が、あっちの連中は盛り上がるか」


 男が一瞬、視線を陽大から離す。


 向けるのは、小川がいる方向。


 依頼人と、陽大の両親と共に舞台を見下ろしている。


「ッ!」


 その一瞬を突くように、陽大は一歩、踏み出した。直感ではない。陽大の行動を無駄な抵抗と嘲笑い、格下の運命は死だけだと油断した事が、明白だったからだ。


 だが、そこは陽大よりも高い経験値がものを言った。


「ハッ!」


 嘲笑とも取れるが、気合いの声と共に男が迎撃するための右拳を振るった。それはワンテンポ遅れていたが、そこには陽大の勝機もある。


 ワンテンポ遅れている事に気付いていないくらい油断は大きかった。


 ――受けてから打ったんじゃ間に合わない! 弾いた瞬間、入れろ!


 目を見開く陽大は、踏み出すと同時に、左右の軸を回転させた。


 左腕を振って敵の拳を身体の外へと押し出し、対数螺旋をイメージした回転によって反動を右腕へと伝え、加速させる。


 狙いも正拳の時のように適当ではない。



 左右の肋骨が交差する一点だ。



 そこだけは骨ではなく、軟骨によって肋骨と胸骨が繋がっている。強さは、女子が少し強く押しただけでへし折れる程。


 そして肘は拳よりも硬く、体重が乗る。



 交差は鋭く、しかし重かった。



 衝突した瞬間を、男は理解していなかったはずだ。ひびの入っていた胸骨と、軟骨で繋がっていた肋骨をへし折られたのだから、その向こうにある肺や心臓も無傷では済まない。息が詰まると同時に、意識を寸断する程の激痛に襲われた。


 追撃は――、やはり陽大にはできなかった。


 だが立てない以上、追撃は必要ない。


「勝ち……勝ちだろ……」


 声が掠れてしまっている陽大は、自分の勝利を観客にアピールできていないのだから、決着が宣言されない。


 とは言え、もし声を張り上げる事ができても、この観客に勝利を認めさせる事はできなかっただろうが。


「黙らせろ!」


 ボソボソした声であっても不愉快だ、と被害者遺族の男が怒声を響き渡らせた。


「痛ッ!」


 怒鳴り声と共に蹴られた座席の衝撃で顔を顰めた小川だが、自分が用意した刺客だったのだから、男の怒りが陽大にだけ向けられている訳ではない事には気付いている。


 そして一人が怒声をあげれば、被害者遺族は全員が怒鳴り始め、その声は唸りとなって会場を包み込む。


「まだいますよ。ご心配なく!」


 小川の顔が生気を取り戻した。



 乱入させる用意もあったのだ。



 褒められた事ではないため最初から投入はできなかったが、こうなれば主催者である観客の許しが出たも同然だ。


 行けと合図を送れる。



 そしてこの場合、乱入させるのが一人であるはずがない。



 観客があらゆる許可を出したも同然なのだから、どうせならばと集めた全員を投入するに決まっている。


「……ハァ!?」


 思わず陽大も素っ頓狂な声をあげてしまっていた。


 陽大一人を殺すために投入された人数は、二桁に届く人数だった。


 特に観客が望んでいるのはなぶり殺しであるのだから、手に手に凶悪な得物を持っている。


 あげられている歓声が意味するのは、乱入者たちへの歓迎だった。


 ――どうしろって? これ。


 思考が停止してしまう。一対一でも怪しい自分の力量であるのに、多勢に無勢では勝機などない。思考停止は緊張感の消失を呼び、そこで全身を蝕む激痛がもう一度、陽大の頭を掻き回した。障壁で支えて動かすと言う手段は、身体がどんな状態であっても四肢を動かす事ができるが、それは常に冷静な思考が必要だ。


 苦痛が陽大の何もかもを止めてしまったのだった。


 そして立ち尽くすのは、観客も乱入者も大歓迎だ。無駄な抵抗をするのもいいが、すべもなく討たれるのもまた面白い。


 乱入者は陽大を半包囲するように動く。計算された立ち位置だ。リンチしている様子が、小川と、その依頼者からでもよく見えるように計算している。実戦的な包囲ではないが、見世物にする方を優先する。


 ――《方》しか使えない低級な百識ひゃくしきだろ。怖れるに足りねェよ。


 乱入者に共通した感想だった。


 半包囲は、殊更、ゆっくりと行われた。


 追い詰めていくと言う「課程」を観客に見せるためだ。ゆっくりとした動きが、観客の気分を盛り上げてくれる。これから起きる息も吐かさぬ惨劇と対比されている動きだ。


 時間をかけて完成した半包囲が、いよいよ動き出す。


「シィッ!」


 ただし裂帛の気合いと共に振るわれた攻撃は、乱入者からではなかったが。



 神名かなだ。



「!?」


 目を白黒させた陽大の眼前で、神名が拳を振るっていた。


 まず動いた乱入者の一人へ、神名が裏拳。


「こいつ……ッ」


 もんどり打って倒れた男も、陽大と同じく目を白黒させていたはずだ。陽大側からも乱入者がいるとは思っていたし、その際、不意打ちを仕掛けてくるのは想定していたが、コマ落としにしか見えないスピードを発揮するとは思っていなかった。


「下がって!」


 神名は陽大へ強い口調で告げながら、乱入者と対峙した。その姿は今朝までの神名とは違い、陽大と同じような――ただし色だけ臙脂えんじ色と黒とに変えた衣装を着ているのだから、神名が何をしに現れたのかは察せられる。



 乱入だ。



 乱入して来た相手に対し、同じく乱入して加勢する事は悪い事ではない。


「ッ」



 そして乱入してきた神名には、覚悟がある!



 陽大と違って下履きの外に露出させたレガースで、次の相手を蹴り飛ばす。


 間合いを開いて空間を確保しつつ、動きを一瞬、遅らせてしまった相手に目を向けた。


 そして、再びコマ落としにしか見えないスピードで飛び込んでいく。


「リィィィッ!」


 もう一度、気合いの雄叫びと共に放つ拳は、陽大が振るったものとは段違いの威力を秘めた連続攻撃だ。


 左腕を相手のボディ――それも正確に肝臓へ叩き込む。


 身体をくの字に折ってしまう相手に対し、右足で脛を狙う。それは左拳を引き戻した時の反動を利用して振り抜かれている。


 足を潰し、死に体同然になった所で、脛を蹴った右足を地面へと踏み込ませる事で入身とし、右拳を相手の腹と胸の間、つまり横隔膜へ突き入れる。


 息が詰まる。


 そこで右を引く反動を上乗せした左拳で相手の顎をかち上げ、最後は左拳を引き戻す反動を加速させて右足に力を托す。


 右足の加速には、回転――対数螺旋の全てを叩き込んでいた。


 相手の側頭部に炸裂した蹴りまでの一連の動きは、危険窮まりない必殺の連続攻撃であり、陽大の目を奪う程、スムーズだった。


 ――これが、内竹うちだけさんの《方》……。


 弓削が教えた《方》の、完成形を見た気がした。


 しかし、相手の怯みは僅かでしかない。神名が救援に来たからと言って、単独でしかない。そして神名にも《導》がない事は知っている。


「怯むな!」


 陳腐な言葉も、実際に声となれば鼓舞する効果もあった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る