第8話「Dear prince charming」
嫌な事があれば、すぐに学校を出ればいい――それを実行できるようになってから、
少しだけかも知れないが、確実に。
そして
基は積極的にサボろうとしない。
本当に一日、何もなければ学校を出るような真似はしないし、「どうせ言われるんだから」と最初から行かないと言う選択もない。
だから乙矢の部屋に来た時も、乙矢に言われた事を黙々と続けていられる。
いや、読書に関しては、基も好きだったからだろうが。
「……」
今日、読んでいる童話は日本人向けにアレンジされたシンデレラだった。内容は、もう幼稚園児の頃から知っている。それでも手に取ったのは、乙矢が部屋に置いている本には、何らかの意図があるように思えてきたからだ。
一度、最後まで読んだところで原稿用紙に取りかかる。
「……んー」
しかし調子よく何行か書いたところで手を止め、もう一度、ハードカバーを広げた。
今日は特に気になる点ができたからだ。
――王子様は、シンデレラの何を見て心を奪われたの?
そこまでは詳しく書いていない。
――シンデレラの優しい心に惹かれたんだと思うけど、そうは書かれてないんだ。
何度、ページを捲り直しても、そんな言葉は書かれていない。ただ一言、「シンデレラを見て、一目で心を奪われた」とあるだけだ。
――顔やスタイルじゃないはず。だって、そんなのにしか注目しないなら、この王子は誠実じゃない。
目に見えるものを見て、王子はシンデレラの心を見抜いたんだ、と基は考えていた。
ただ子供向けであるから、それを直接、書く事はない。また乙矢がここに置いているのは、その行間を読めるからだ。
――顔じゃない。顔は魔法使いの魔法でお化粧してるはずだ。灰かぶりのシンデレラじゃないんだ。
髪もアクセサリーも化粧も、魔法によって一点の隙もない容姿になっている。
――スタイルも違う。凄いドレスを身に着けて、ガラスの靴を履いて歩けるんだから。
それも魔法だ。
隙はない。
書かれている事だけを見れば、王子は魔法によって整えられたシンデレラの姿に心を奪われた、と言う事になってしまうが、それでは魔法使いが騙した事になりかねない。不誠実な王子であり、シンデレラは「幸せに暮らしました」にはならないはずだ。
――違う。違うはずなんだ。
そんな王子ではないはずだ、と基は何度も読み直す。
今までの何倍もの時間を使って読み返し――、
「あ!」
基は思わず声をあげた。直後に乙矢の仕事場だった事を思い出し、口元を覆ってしまったが、幸い、来客中ではなかった。
「どうしたの?」
乙矢が驚いた顔を見せるが、基は首を横に振った。
「何でもないです。ちょっと、気づいた事があって」
ごめんなさいと頭を下げた基だが、下げたのは一度だけだった。
何もかもをもどかしく感じてしまうくらいの発見をしたのだ。
「うん、なら大丈夫」
乙矢も基の顔から察した。
――王子様が見たのは、シンデレラの手だったはず。
基が気付いたのは、それだった。
――踊りましょうとシンデレラの手を取った時、気付いた。魔法でドレスや靴を出してもらい、お化粧をしたシンデレラだけど、手だけは家事を経験してきた手だったんだ。
苦労を知らないお姫様の手ではない事を見た王子は、その手から全てを悟ったのだ、と気付いた事を、基は一刻も早く書きたくなった。
――シンデレラの手から、シンデレラの心を見つけた王子様は、そんな生活の中でも、心の……えっと……。
表現が浮かばないのは、基もまだ10歳の子供に過ぎないからだろうか。
だが、今までこの部屋で本を読んできた事は伊達ではない。
「けだかさだ」
絞り出した単語を、慌てて原稿用紙に書く。「気高さ」という漢字も、思い出すまでに時間が必要だった。
――王子様は、シンデレラの手を見て、シンデレラの心は、魔法で整えられた姿よりも、ずっと綺麗で、気高い事を悟った。その美しさに心を奪われた。そんな王子様だからこそ、シンデレラは幸せに暮らせた。
しかし、そこで手が止まる。
「いやいやいや、違うよ。違うんだ」
慌てて消しゴムを持ち、文章を消す。
――シンデレラの魔法は、王子様の前へ行く条件を整えただけだった。シンデレラが幸せになったのは、同じくらい心が美しい王子様の元へ、自分の足で歩いて行ったからだ。
シンデレラストーリーやシンデレラシンドロームと言うような言葉があり、「白馬の王子様が迎えに来てくれる」という言葉の元祖として扱われる事のあるシンデレラだが、そうではないと基は感じた。
迎えに来てくれたのではなく、シンデレラは自分で王子の元へ行ったのだ。
これは「自ら動かない者は、誰も助けてくれない」という事を意味しているのではないか?
「うん……うん……?」
それを言葉にするには、基には色々なものが足りていなかった。
――努力なさい。
乙矢はフッと微笑んでいた。
――いじめに
乙矢が提供できた世界は、精々、童話のような本の世界だけだが、基に合う世界ならば何よりだ。
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