第7話「敵の編成」

 ルゥウシェが実家で嘲笑に耐え、下げたくもない頭を下げた事で手に入れたのは、劇団の維持費用だけではなかった。


「日本刀?」


 久しぶりに連絡をくれた友人と久しぶりに訪れた店でグラスを傾けた女は、乾杯が終わった途端にもたらされた言葉に訝しそうな顔をしてしまった。


 ルゥウシェから日本刀を一つ用意して欲しいと要求された女は、刀鍛冶という訳ではない。南県の高校を卒業した後、建築事務所で仕事をしている。卒業後、3年の実務経験で二級建築士の受験資格を得る建築課を卒業しているが、合格はしていない。二級建築士の合格率3割以下という数字は、彼女のレベルでは太刀打ちしようがなかった。


 その女、石井いしい裕美ひろみの仕事はCADオペレータだ。


 鍛冶屋ではないし、そうとも見えない石井であるが、ルゥウシェしか知らない顔がある。



 百識ひゃくしき



「そんなもの、何で今更?」


 グラスを片手でもてあそびながら視線を向けてくる石井へ、ルゥウシェが理由を口にする。


「あんた程、上手に《導》で刀を作れる人、知らないから」


 そう言われた石井は、グッとグラスを煽った。


「もう何年も作ってないわよ」


 石井もまた六家りっけ二十三派にじゅうさんぱの出身だった。ものになった《導》が《導》だけに、当主の座に就く事は最初から諦めるしかなかった。そして金属を鍛える《導》も、それ程、世の生産に寄与できる力ではない。


 石井が作れるものには美術品としての価値はないのだから、趣味で作っても仕方のないものは作らない。


「今、私には必要なの」


 ルゥウシェは石井のお替わりを注文し、フンと強く鼻を鳴らした。



 日本刀を必要とする理由は、他ならない矢矯やはぎの存在だ。



 ――あいつを完全に屈服させるには、どうしても刃物がいる。


 矢矯の攻撃に遠隔攻撃がないからだ。


 剣で上回らなければ、矢矯が絶望する様は拝めまい。


「剣で上に行かないと」


 この時、ルゥウシェが口にした「剣」とは、技だけを指したものではない。矢矯がバッシュの四肢を断ち、ルゥウシェの声帯を切り裂いた剣をもへし折らなければ気が済まない。


 ――あんなナマクラでも、へし折るのは面倒臭い。


 矢矯の剣こそ、美術品とは程遠い代物だ。エアーハンマーで作られた剣は、そもそも「工業製品」だ。柄にも鍔にも日本刀の意匠を残さず、西洋剣風にしているが、レイピアほど重くては振るえず、サーベルほど軽くては断てないと言う理由だけで、日本刀風の刀身をつけているだけの代物であるが、笑ってばかりはいられない。


「タングステンとコバルトの合金をへし折れる刀」


 車のドアでも一刀両断にしてしまう矢矯の剣だけは、ルゥウシェも甘く見てはいない。それ故に、ナマクラと言わなければならないジレンマを抱えてしまっている。


 そんなルゥウシェのジレンマを知ってか知らずか、親友に向かって顔を顰める石井だったが、それは僅かばかりの事だった。


「超硬金属? 角度さえ間違わなければ、簡単よ」


 玉鋼の刃で断ち切る事ができると断言した。条件は付くが。


「ただし材料になる玉鋼があればね。私は錬金術師じゃないから、ゼロからは作れない」


 ふいご蹈鞴たたらを扱う術は持っていない。


 しかしルゥウシェはカウンターにコインロッカーの鍵を差し出すと、それを石井へと押しやった。


「……それで作って」



 コインロッカーに入れられているのは、実家から引き出した玉鋼10キロ。



「……」


 鍵を受け取った石井は、ルゥウシェの首に巻かれた包帯を一瞥した。声がしゃがれている原因も、今の話で想像がつく。


 ――その超硬金属の剣を持ってる相手に、やられたのね。


 ルゥウシェの《導》を掻い潜って剣を振るえる相手がいる事は、石井にとって想像するのも難しいが、現実にルゥウシェは敗れている。


「勝てる刀を作るわ」


 鍵を上着のポケットに入れながら、石井はグラスに残っていた酒を飲み干した。





 六家二十三派の六は、風、雲、火、山、鬼、海と呼称される。音読みされる事も訓読みされる事もあるが、その六つの家に二十三派の名を入れ、雲家に属するルゥウシェや石井は「雲家うんけ衛藤派えとうは」と呼ばれる。


 雲家が「雲」という字を使っている事にも諸説あるが、その一つが「雲が様々に形を変えるように、《導》も自在に変える」という姿勢であると言う。


 ルゥウシェのリメンバランスが様々な現象を起こすのも、それが理由だ。


 ――当家の《導》は最強です。負ける理由は、百識個人の力量だけが問題です。


 当主はそう言い切った。当主争いから脱落したルゥウシェは、当主から見ても文字通り「落ち零れ」であるから、それこそが矢矯に敗れた理由である、と断じた。


 しかし雲家衛藤派に連なるルゥウシェが敗れてもいいのは、同じく百識のトップたる六家二十三派のいずれかだけだ。


 ――新家しんけなぞに後れを取った事だけは許されません。


 ルゥウシェは当主が落ち零れに力を貸す理由を、それだと思っていた。


 ――ベクター……!


 歯噛みするルゥウシェが思う事は、いつも一つだけ。



 矢矯には《導》はなく、強い《方》もないし、ただ殴るしか能がない。



 現実はどうあれ、それを否定すればルゥウシェの立つ瀬がないというものだ。


「脳筋が!」


 しかし吐き捨てるルゥウシェの手にあるのは、刃引きとは言え日本刀だった。


 元々、接近戦が得意という訳ではないルゥウシェであるが、使えない武器ではないと思っている。


「……」


 一度、深呼吸した後、眼前に立てかけられたトルソーに向かって刀を構えた。決して慣れているとは言い難い構えであるが、ルゥウシェの相貌そうぼうに不真面目な色はない。


「リメンバランス」


 ルゥウシェが《方》を放つ。その《方》は氷や炎には変化せず、収束して刀の切っ先へと集中する。


 炸裂する《導》も、矢矯との戦いで使用したダイヤモンドダストやインフェルノではない。


「スパロー――飛燕ひえんの記憶!」


 切っ先に集まった《方》は槍や矢の如く鋭さを増してトルソーを貫き、


「ゲイル――陣風じんぷうの記憶!」


 返す刀で横薙ぎにすれば、今度は《方》が斧や鉈の重量を持ってトルソーを断ち割る。


 それだけならば、刀の威力を補筆するだけであるから《導》とは言えまいが、ルゥウシェのリメンバランスは《導》だ。


 貫く《方》と断ち割る《方》の二つが重なると、大きく空間を湾曲させる《導》へと変化をもたらす。


 その変化は本来、引き延ばされたり縮められたりしないトルソーを不自然に変形させ、文字通り歪めて破壊していく。


「ダイヤモンドダスト――大紅蓮の記憶」


 その上で、湾曲の中心にルゥウシェが最も得意とする氷の《導》を叩き込むと、二つの《導》がより強烈な変化を呼ぶ。



 湾曲と氷の《導》は混じり合い、昇華し、純粋な破壊のためのエネルギーとなって駆け巡ったのだった。



「クッ!」


 起こる事は分かっていたが、それでもルゥウシェは顔を背けてしまう。それ程の圧力を持った《導》の嵐だったのだ。


「ははッ」


 だが跡形もなくなったトルソーを見て、ルゥウシェは破顔した。


 ルゥウシェが刀を使う事に絶対の自信を持っているのは、これを知っているからだった。



 ルゥウシェにとって刀とは、《方》や《導》を操るためのタクトに過ぎない。



 トルソーを破壊したのは日本刀の刃ではなく、その切っ先に集めた《方》だ。


「武器を当てるだけなら上手いんだろうけどね。攻撃だったら、こっちが上さ」


 矢矯を斬るならば、ルゥウシェの腕では無理であるし、そんな攻撃は上等な百識の攻撃とは言えない。


 武器と《導》の融合こそが、六家二十三派の真骨頂だ。


 ただし――、


「模造刀じゃあね」


 ルウウシェが一瞥した模造刀は、刃が砕けてしまっていた。


 ルゥウシェの《導》に耐えられる日本刀が必要だ。

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