第6話「避難場所での宿題」
戦うのがいいと言った乙矢であったが、それを実行するにも「適性」というものがあった。
相手が降参するまで殴り続ける事ができなかった陽大と同じく、基も身を守るためとは言え、人に対し、暴力を振るう事ができなかった。
しかし戦えない基を見捨てる乙矢ではなかった。
――なら、逃げる方が手っ取り早いわね。
もう一つ、基に向く道も考えていた。
――生きるか死ぬかの瀬戸際に、学校なんて行ってる場合じゃないでしょう?
ただ「休んでしまえ」とまでは言わない。
――朝、学校へ行って、何か嫌な事があったら、即、学校から出て行けばいいのよ。
最初から学校を休むと言う道を選べる基ではないと見抜いていた。学校を休めば、その理由を両親に訊ねられる事になる。その時、説明できないからこそ、基はこんな境遇に陥ってしまっている。
学校へは行け、ただし嫌な事があったら、無断でいいから早退しろ――それならば基もギリギリ実行できる。
――あっちもこっちも立てようとしても、追い詰められるだけよ。
それが乙矢の弁だった。どうせ学校から両親へ通報が行く事はない。基に何かあった時、谷校長が整えた39/40のユートピアは崩壊する。
そして今朝、弁当を取られた時点で基は学校を出た。
少々の冒険を必要としたが、乙矢と真弓の言葉が基のプライドを刺激した事も手伝ってくれた。
「あ、あの……」
コンディトライにやってきた基は、開店準備に忙しい店員へ声を掛けた。
「はい?」
開店準備で忙しく、迷惑な時間帯であるが、基が声を掛けた店員は嫌な顔をしなかった。
「乙矢さんに……」
「あぁ、はいはい。どうぞ」
店員は基に手招きし、裏へ回らせてくれた。
――行き場がなければ、このコンディトライに来るといいから。お店が開いてても閉まってても、見つけた店員さんに、乙矢さんに会いに来たって言えば入れてくれるわ。
乙矢が店員に基の事を言付けていた。
店員が案内するのは、先日、基が乙矢と真弓に連れてこられた個室だった。
「乙矢さんなら、ここで待っていれば来ますよ」
笑顔の店員は、ミルクセーキを一杯、サービスしてくれた。
「ここにね、間借りして占い師をしている方なんですよ」
店員から教えてもらった乙矢の仕事は、基には意外だった。壁や床はコンディトライと同じく白い漆喰にブラウンの床。窓もそれなりの面積を取っていて明るく、神秘的な雰囲気はない。
乙矢は黒カーテンや曼荼羅、インド音楽、ステンドグラスと言ったものは、ゴテゴテしたものとして極力、排除していた。客席と違うところを探せば、窓から影が落ちており、室内のトーンがやや落ち気味と言う点と、アンティックな調度に焚きしめられた香くらいなものだ。
そんな部屋の一角をパーティションで区切って休憩スペースにしており、そこが基の居場所になる。
テーブルにミルクセーキの入ったグラスを置いた基は、ソファに腰掛ける前に部屋の一角を占めている本棚に向かった。
――この部屋にくるなら、この本棚から本を選んで、一日に最低でも原稿用紙2枚の感想文を書く事。
それが乙矢との約束だったからだ。ハードカバーだけで揃えられている本棚には、児童文学を中心に揃えられている。童話が多いのも、やはり占い師・乙矢のイメージと合致する。
選んだのは適当だ。読書が嫌いな訳ではないが、好きな訳でもない。
――宿題、宿題なんだ。
そう思ってこなす事にしたのも、悪い事ではない。
400字詰め原稿用紙2枚でもいいと言われたのだから、その宿題は簡単に終わる。
「おはよう」
丁度、その原稿用紙2枚を書き上げた所で、乙矢が出勤してきた。
「おはようございます」
顔を上げた基に、乙矢はにっこり微笑む。それは乙矢が言った通り、本を読んでいたからではない。テーブルの上にミルクセーキと共に、潰されたあんパンが載っていたからだ。
――捨ててないのね。
いじめている相手から押しつけられたものでも、それを投げ捨ててはいけないと感じるメンタリティは、乙矢にも好ましい。
「書けたのかしら?」
乙矢が手元を覗き込むと、基は「書けました」と原稿用紙を2枚、差し出した。2枚と言っても、びっしりと書いている訳ではなく1枚と半分程度でしかないが。
「……」
乙矢はそれを受け取って、さっと目を通す。
そして出した答えは……、
「やり直し」
2枚とも基に返す。
「感想を書いてね。あらすじじゃなくて」
書かれていた短編の感想文は、その大半があらすじで埋まっていたからだ。
「え……?」
てっきり、それでいいと思っていた基は面食らった。いじめを受ける前、まともに過ごした最後の夏休みに宿題で提出したものと同じであったからだ。
「あらすじじゃなくて、感想を書いてね」
もう一度、繰り返した乙矢は、荷物を休憩スペースに置き、基を一瞥した。
「学校を早退しても、勉強はしないとね。特に国語は大事よ。算数は足し算、引き算、割り算、掛け算ができるくらいで困らないけど、国語は意外と応用が利くから」
作文を書かせる事で、その力を引き出そうと言うのが乙矢の狙いだった。
「え……でも……」
あらすじを羅列しただけだが、基としては感じた事を交えながら書いたつもりだった。
「……」
乙矢は時計を見て余裕を確認した後、「そうね」と基の前に原稿用紙を置いた。
「自分の感じた事を、それだけを書いてみて。あらすじに沿うなら、本を読めば済んでしまうから」
感じて想った事だから「感想」なのだと乙矢は言った。
「鳥打くんの本に対する気持ちを書いてみて。何故、それを選んだの? その時、何を思った? 読んでみて、どういう風に変わった? そう言う事を書いてみて」
「……はい」
基が難しい話だと思ったのは一瞬だ。すぐに理解し、消しゴムを手にした。
――賢い子だわ。
仕事用の服を手に取りながら、乙矢は基を一瞥した。
乙矢がさせたい事は、「自分の考えを纏め、言葉にできる事」だ。
――そういうのが苦手だから、気持ちや感情の整理が苦手。
自分のできる事、できない事、したい事、したくない事、嫌いな事、好きな事――それを言葉にできないから、重たい気持ちばかりがグルグルと積もり積もっているんだ、と考えた。
感情を言葉にできれば、一年やそこら学校の勉強が遅れても問題ないくらい、基は賢い。
「頑張れ」
着替え終えた乙矢は、パーティションから見えない仕事用の椅子に腰掛けた。
乙矢の仕事服も、占い師という雰囲気はない。白いブラウスにベージュのスカートと言う服装は、どちらかと言えばOLだ。金のチェーンネックレスだけが装飾品らしい装飾品だが、それが加わる事で感じるのは「休日」だろうか。
話し方にしても、芝居かがったものはない。
本物ならば神秘性などというものに頼る必要はない、と言うのが、乙矢のポリシーだった。
故に客層も、そんな乙矢に親しみを感じる十代から二十代の女子が中心だった。
店を訪れる者の顔に深刻さはない。目標もなく漠然と生きているのが不安だという者が大半で、未来や運命を知りたい、不幸を避けたいと言う訳ではないからだ。
日常生活に感じる疑問、わだかまり、苛立ちを話し、乙矢はそれらの源を探しだし、簡単なアドバイスを与える――それが仕事だ。
資格のないカウンセラーというのが、正確な表現だろうか。
だからこそ、基への対応は得意とする所だ。
抱えている悩みは自殺を考える程、深刻であるが、基の場合にだけ限って言えば、深刻になるかならないかは感じ方次第である、と言えた。
「鳥打くん?」
今日、学校をサボり、開店直後に顔を見せた真弓の方が、問題だろう。
そしてルゥウシェの方が、より大きい問題を抱えている。
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