第5話「乙矢の意見」
乙矢が運転するクーペが向かったのは、真弓が行き付けにしているコンディトライ。
ディアーと言う名の店は、その名の通り、よくあるカフェとは一線を画していた。乱暴な言い方をすればパティスリーとカフェの複合施設であるコンディトライは、広々とした店内の床や壁に
木製のアンティーク調のショーケースに並ぶ、店の看板メニューでもあるウィーン菓子に目を引かれるのだが、三人はショーケースを横目に店の奥へと入っていく。どの席も、それぞれパーティションで区切られているのだが、奥の席は個室となっている。
先に入るように
そんな状態では、打ち解けるのにも、話を聞き出すのにも苦労させられたのだが、曲がり形にも助けようとしてくれた真弓の存在が助けになった。
そしてコーヒーとケーキの香りに包まれた個室は、基を素直にした。
話し始めれば、もう止まらない。
「それは……」
真弓も絶句してしまう。少しでも力になれればと思っていたのだが、まさか10歳の悩みが自分の手に余る事態だとは思っていなかった。
「こうなったら、できる事なんて限られてるんですけど……」
肩を落として基が言うと、真弓は軽く身を乗り出し、俯いている基の顔を覗き込む。
「……どうするの?」
質問に対する基の答えは、予想はできたが、予想できていたが故に、聞きたくなかった。
「洗いざらいぶちまけて――」
一瞬の間。問いただす隙も、覚悟を決める隙にもならなかったが。
「自殺しようかなって」
「ダメだよ!」
真弓が慌てた口調だったのは、思わず出た言葉だったからだが、思わず出たからこそ続く言葉が陳腐になる。
「死んでどうなるっていうの? 命はもっと大切なものだよ。大事にしなきゃ」
感情に訴える言葉が出てくるのが精々だった。
「死んだって、向こうは何も感じないよ? 少しでも悪かったって感じるメンタリティがあったら、こんなこと最初からしないし」
肩を掴んで揺する真弓だったが、基はぼんやりとした顔しかしていない。
言葉が届いていない。
「ねェ!」
対照的に真弓は声を荒らげていくのだが、基の肩を揺する手が激しくなろうとしたところで、乙矢が手を掴んだ。
「真弓ちゃん、落ち着いて」
声は静かであったが、よく通った。
「彼は、命の大切さなんて知ってるわ。少なくとも、こんな連中と比べれば、ずっとね」
声が基に届いたのは、乙矢の声がよく通ったからではない。
「大切……?」
驚いた表情をするのだから、基は死ぬと口にした捨て鉢ではなくなっている。
「誰かが死ねば済む話なら、別に自殺しなくても、相手を殺したってイジメはなくなるわよ? だけど彼は、相手を殺すよりも自分を殺すことを選択した。つまり他人の命は重いと判断できているからでしょう?」
乙矢は簡単そうに言うが、その言葉には基も目を白黒させていた。
「葉月さんは、相手を殺してもいいって……言うんですか?」
真弓も声が恐る恐るになっていた。
「まぁ――」
事もなげに言う乙矢が軽く肩を竦める。
「あんな舞台にいる訳だしね」
舞台――基には分からないが、乙矢も真弓も「舞台」に上がっている百識だ。
しかし、それが命を軽く見る理由ではない。
――まぁ、人を生き返らせる《導》っていうのもあるけど……。
死者を生き返らせる《導》とてあるから、
「この手の相手は、いじめを止められないわよ。大人になっても繰り返します。あの子たちにとって、いじめっていうのは必要悪なんだから」
コーヒーカップを持ち上げ、一口、飲みながら、乙矢は基に視線を向ける。
「ちょっと君も、甘えがあるけれど、あの子たちに比べれば、ずっとマシな方」
「甘え?」
基の顔に徐々にではあるが生気が戻り始めるのを見て、乙矢は少しだけ口角を吊り上げた。挑発的な言葉を選んで話しているのは、そのためだ。
「すぐに自棄になる。あと2年も待てば、中学校に上がって、あんなのとはバイバイでしょうに」
「2年も耐えられません。今日一日だって辛いのに」
「だから自殺するって?」
「そうするしかないでしょう」
誰かに話した事で限界が来てしまったんだ、と言う基に、今度は乙矢が身を乗り出した。
「そこよ。自分が殺されそうになってるんだから、戦わないと」
「……でも、殺したら犯罪者……」
些か基も引くのだが。
「犯罪者になる方が、死んでしまうよりずっとマシでしょう。しかも数人がかりで自殺するような目に遭わされて、それが年単位に渡るいじめが原因というなら、殺意の有無がどうのこうのとはいわれるだろうけれど、
乙矢は極々、軽い口調で言う。
「まぁ、死ぬ死なないは兎も角、あの子たち、随分と要領よく立ち回ってたわね。心の根底の部分では、自分たちは鳥打くんのクラス、学校を代表してると思ってる。小さいながらも社会っていうのを作ってる。そのため、異分子を排除して、社会を健全に保ちたいのよ。でも、子供なんて大抵、自分の価値なんてものはないから、仕方がないから異分子を自分たちで作り出して、それを攻撃する事で優位性を確認したいって思ってる」
と、名調子で言ったところで、乙矢は言葉を区切り、頭を掻いた。途中から自分が思っている事を言いすぎた。言葉が硬く、基に分かる言葉ではなくなっている。
「まぁ、特に排他的になった集団なんができる理由の一つが、それ。パリピならクラブとか、そうでなくても、なんとか系って言われるコミュニティで、特別、排他的になって、服装とか言動とか趣味、感性で小馬鹿にする人たちが出てくる。大人の社会でもそうなんだから、結局、あの子たちは要領よく、大人になってもきっと繰り返すね」
だから、と前置きして、大人は基を見据えた。
「お前たちだけが社会の代表じゃないって叩きつけてやる必要がある。小学生の頃だと、体格がいいってだけで偉くなった気になるものだし、特に女子は、ねェ」
「女子は?」
基の食いつき方は、乙矢が考えていた点とは違うのだが、それはいい。
「言われてない? 女を殴る男は最低、って」
「言われます。よく」
「でも、私は両親からは言われなかった。言われたのは、自分よりも小さい子に暴力を振るうな、だったの」
鼻を鳴らしながら、乙矢は基を指差した。基の体格は平均的と言う所か。140センチをそこそこ。対する女子は、平均身長ならば145センチに乗るし、基を取り囲んでいた女子は全員、平均以上だ。
「当然、女子は成長期が来るから背が伸びるし、筋力もつく。小学校の4年生くらいまでは男女に差はないけれど、ここから中学校くらいまでは男子の方が小さいの。成長期だから、子供と大人の差って言ってもいいくらい。つまり――」
そこで乙矢は態とらしい嘲笑を見せた。
「子供いじめてイキがってる大人なのよ、あの子たちは」
挙げ句、「女を殴る男は最低」という論理武装をしているのだから、責任を他者へなすりつける「薄汚い」と頭に付く大人だ。
「そんな相手とは、戦うのが一番、いいと私は思う」
乙矢はニッと笑いながら、ザッハトルテにフォークを入れた。
こんな乙矢と真弓と基が出会った事は、的場姉弟が矢矯と、陽大が弓削と神名に出会った事とは、少し違うかも知れない。
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