第19話「棋士は勝負に上がらない」
駐輪場にしている
まだ値引きのシールが貼られていく時間ではないのが、他のスーパーならば、と注釈がつくからだった。
「4割引のシール、貼られてるといいですね」
自転車の前カゴにぬいぐるみの姿で乗るカミーラは、この時間でも貼られている聡子の目当てに目を輝かせていた。厳密にいうならばペテルにもカミーラにも性別はないのだが、元のキャラクターが女性であるカミーラは女性的だ。
買い物が好きだった。
「何か食べたいものある?」
聡子が自転車をこぎながら訊ねた。あまり他人の目につく場所でカミーラやペテルと話をしてはいけないと思っているが、スーパーまでの道々は大丈夫だ。聞き耳を立てている者はいない。
「そうですねェ……。サイコロステーキとか食べたいですねェ。付け合わせはキャベツやレタスより、もやしを塩コショウで炒めたのが」
これも本来、カミーラは食事をとる必要はないのだが、カミーラとペテルには好物がある。聡子が半ば料理を趣味としているからであるし、また食事を「楽しみ」と感じ取れるからだ。
それが命を与える聡子の《導》の力であり、脅威に思われる点でもあるのだが……、
「ならスープも作るね。コーンと、タマネギかな」
聡子は気付いていない。考えるだけ、返答するだけならば、それこそ《方》で作ったゾンビでもいいし、
「いいですね、いいですね」
カミーラも、自分が他者に対し、どういう脅威を
「なんだか、きっと
ふと挙げられた名前に、聡子は「ああ」と頷いた。サイコロステーキと限定すると、聡子もなんだかそんな気になった。
要するにサイコロステーキとは、売れ残って古くなった牛肉の、まだ新鮮と言える部分だけを切り取って焼いたものだ。
今日のビデオ通話で基は笑っていたが、精神的な負担は少なくとも、身体の負担は重いはずだ。
それでも笑っていられるのは――、
「ペテルと私も、きっと聡子さんの力になってくれる鳥打くんの事、大好きですよ」
基が聡子の優しさを努力の原動力にできる事を、カミーラは少しばかり誇らしく思っていた。
不幸な偶然が引き寄せた縁で、たった数日しか共にいた時間はないというのに、何かで繋がれる――二人が持っている感性は、本来、得がたいもののはずなのだ。
「サイコロステーキ作ろう」
聡子は照れ笑いしながら、自転車をこいだ。ブログを荒らされたショックは続いているが、救われた気持ちも湧いた。
聡子を最も救いたがっている者は、
「……」
黙ったままノートにペンを走らせている安土は、何度も舌打ちを繰り返していた。
書いている内容は、今までの時系列と、これから起こるであろう事件の事だ。パソコンやタブレットを使って管理すれば楽かも知れないが、そこまでの目的に対し、技術や知識が伴っていない。
――これが一番、早い!
ペンを走らせている安土は、最後に一度、大きく舌打ちして手を止めた。
「チィッ!」
「どうしたの?」
女医が驚いて訊ねた。姉妹でも安土が感情的になる所を見た事がないだけに、今の舌打ちは驚かされた。
安土は「ごめんなさい」と謝りつつも、ペンを走らせていたノートを示した。ただ走り書きなのだから、悪筆というにはあまりにも悪筆だったが。
「……読めない」
女医は顰めっ面でノートを返すと、安土も
「今回、こちらが大口を開けて行動しているから、相手に情報が筒抜けになっているはずです」
内容を解説してくれれば、簡単な話だった。
そろそろ小川陣営が手を打ってくると言う事だけだ。
「鳥打くんの場合、寸前まで確保に動きませんでした。これは確保の瞬間を私に押さえられた
しかし今回は、安土が大々的に動いた。聡子を保護して色々な手を回したし、隠密性よりもスピードを優先したのだから、動きは筒抜けになってしまったと考えた方が妥当だ。
そして安土が感じているのは、小川よりも那の気配だ。小川よりも上手が存在している、と。
「仕掛けてくるなら、このタイミングが一番だと思います」
このタイミング――聡子とカミーラ、基とペテルが別々の場所に移って瞬間だ。
――考えすぎじゃないの?
女医がそう言おうとしてしまったのは、気休めの言葉が必要だと思ったからだ。
だが言えない。こう言う時の経験値は安土が上だ。勘が働く一番の理由は経験なのだから、安土が仕掛けてくると言えば、間違いなく仕掛けてくる。
――今、動かせる駒はいるの?
「動いてもらえる人は……」
ふと安土が出した言葉だけで、阻止できると確信した。
那は駒を揃えている。恐らくではなく絶対だ。小川から借りてでも、手足の如く動く駒を持っている。
だが――いや、だから安土は阻止できる。
安土は駒扱いするような者を持っていないからだ。
動ける人間を協力者として招集できる。
数の多い駒と、少数の人間――いい勝負ができるはずだ。
医師の母を持つ身であるから、経済的に不自由をしている訳ではない。
そんな聡子が、4割引のシールが貼られたサイコロステーキ用の成型肉を選んでいる姿は、知っている者がいれば奇妙に見えるだろう。
――どれだけ食べるんだよ、ブタ。
ふと聡子の脳裏に浮かんでしまうのは、こんな場面を同級生が見たら言いそうな言葉だった。カミーラと二人分であるから、10歳の女児が食べるには些か多い。それも4割引のものを選んでいては、どうしても聡子を知るものにとっては笑いの種にできるし、できるならばする。
当然、買い物する足は速くなる。時刻は午後5時過ぎている。塾だの習い事だのを終え、帰宅する同級生が買い食いに来るかも知れない。買い物カゴには、まず肉を入れ、次にもやし、タマネギ、パック詰めのボイル済みコーンを入れた。それだけでレジに並び、会計を急かす訳にはいかないが、できるだけ早く店外へ――、
出たところで、出くわしてしまう。
「え?」
自転車に
「……」
迷惑だという顔をして迂回すると、やはりワンボックスカーがいる。
「もう……」
2度目に感じたのは苛立ちで、3度目は――、
「聡子さん、これは……」
カミーラはぬいぐるみのまま、周囲に視線を巡らせた。感じたのは不安だ。
ワンボックスカーは動いている。
巧妙に動き、聡子の自転車が他の客の死角になるように追い詰めている。形としては、迷惑駐車しているワンボックスカーが邪魔で、空いている駐車スペースを探そうとしている車だ。昨今、猫も
その動きが停止した時、聡子の背中に冷や汗が滑り落ちた。
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