第13話「矢矯のアキレス腱」
小川が今、抱えている重要案件は二つ。
一つは
小川は一度、舞台で陽大の勝利を認めているが、認めたのは勝利であって正当性ではない。今も小川が受けた依頼は生きており、陽大を舞台の上で惨めな死を迎えさせる事が目的となっている。
二つ目は
ここは違う。
陽大のように死ではない。
矢矯の脳天に致命の一撃を加えるのはルゥウシェの仕事であり、小川は自分の仕事は援護だと心得ている。
「苦痛を与える事だ」
マティーニの入ったグラスを傾けつつ、小川は自分の役割を口に出した。
「ベクターを苦しめる。それは俺がすべき」
矢矯に苦痛を与える事ならば簡単な話だ、と小川は思っている。これが陽大であれば難しい。陽大が我慢できない苦痛は、
だが矢矯が苦痛と思う方法は――、
「簡単だしな」
小川は断言した。
「それは?」
石井が聞き返すと、小川は「簡単だ」と繰り返し、ぴんと指を一本、立てて見せた。
「たった一つだけある」
「守ると決めた奴を、守れなかったと思い知らせる事だ」
これが陽大と矢矯の差だ。
陽大の場合、守ってくれる相手はいるが、守ると決めた相手はいない。
矢矯の場合はいる――
――
ただし神名は何とかなるかも知れない。神名の技量は陽大よりは上だが、それも「辛うじて」と頭につく。今、小川の手持ちにある駒を使えば、アヤや
――弓削 弥も、もっと苦しめるべき。
弓削にもいずれ陽大を失うという苦しみを味わってもらう予定であるが、今は矢矯だ。
「お弟子さんがいるのね」
ガルフストリームを一口、喉に流し込んだ石井は、改めて仇である矢矯の経歴に意識が向いた。
「ルーシェ、バッシュ、
「ルーで通じる」
「その3人を今、俺が世話人として支えてる。以前……、これは俺は関わってないが、制裁マッチがあった。
意識の外からの不意打ちで命の遣り取りに勝利した事が、どれ程の事であるかは石井にも分かる。制裁が加えられるのは当然だ。
「その時、その姉弟の世話人が矢矯を紹介した。それがベクターだ」
結果は、いわずもがな。
「ベクターは乱入で勝利した」
それは端折りすぎでいるというものだが、嘘ではない。
――次は最初から乱入だ!
矢矯は自分からそういったのだから。ただし主審とも舞台の支配者ともいえる観客には支持されたのだから、問題行動とはされていない。
「最低」
石井はそういう。ここで小川の言葉を、「一方からだけもたらされた情報は偏っているはず」などと考えられる方が少数派だ。
「その一戦で、バッシュは瀕死、ルゥウシェは喉をやられて暫く舞台に立てなかった。今も劇団は厳しいんじゃないか?」
劇団に関しては石井も察するしかないためノーコメントだが、小川のいう通り安泰とはいい難い。
「お金が必要なのは間違いないわね」
石井は危機という言葉を使わずに済ませた。金が必要なのは当然だ。収支が黒字化した事などなく、
「最初は、ベクターはルーシェの下にいた。とはいっても、役に立っちゃいなかったけどな」
小川の言葉は、半ば間違っている。ルゥウシェとバッシュが二枚看板といっていい実力を発揮しており、三番手の美星も相応の実力を持っていたのだから、矢矯には力を振るう機会そのものがなかった。
矢矯の実力を正確に把握していた者は、舞台関係者にはいなかった。安土ですら矢矯の実力が世間の評価と裏腹に、相当な高さであるとは思っていたが、本当に注目したのは《方》ではなく教師役としての面だった。
しかし現実には、矢矯は《方》で《導》に対抗できる希有な
その安土にも、小川は苦い思いをさせられていた。
「三味線弾いてやがったんだ、ベクターって男は」
それも含めて吐き捨てた。
故に矢矯に苦痛を与えられるのであれば大賛成なのだ。
「で、手段は? どうするの?」
石井が改めて訊ねると、小川はマティーニを飲み干し、タンッとカウンターに小気味よい音を響かせてグラスを置いた。
「的場姉弟の弟だ」
孝介の名前が挙がる。
「ベクターが守ろうとしている的場姉弟の内、弟は挑発すれば乗ってくる」
保証のない話とまでは行かずとも、石井も小川の言葉に疑いを持ったはずだ。石井は孝介の性格も気質も、何も知らないが、それでも簡単に釣れるといわれて「それはいい」と即座に首肯する訳はない。
そこは小川も世話人だ。
孝介の気質、そして最近の鬱屈を知っている。
身に着けている技術は全て矢矯から譲り受けたもので、近々、剣まで矢矯と同じモノを揃えるというのだから。
「釣れる。釣ってみせる」
小川とて世話人なのだ。
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