第7話「利害で繋がる三人、それぞれの午後」

 舞台で負った傷は、所定の医師、病院以外での治療が許可されない。舞台の秘匿性を堅持するためには絶対条件であるから、例外など存在しない決定事項だ。


 重傷者は動けないし、また比較的軽傷の者は軟禁同然に監視が付く。人工島で生活しているルゥウシェや石井は当然、とも明津あくつは北海道、アヤは和歌山から呼ばれているが、全員が人工島に残されている。


「6人の容態は、どうですか?」


 小川がナースステーションに顔を見せた。病院も自由に出入りされては困るのだが、直近の舞台に関わった世話人となれば話は別だった。


「まだ会わせられる状態ではありません」


 看護師の言葉は冷たいが、そんなものだ。直近の世話人は例外といっても、例外と特別は若干、意味の違う言葉だった。


 はじめの電装剣に貫かれた明津、毒の《導》と共に神名かなの連打を受けた那、孝介こうすけ銀河ぎんが棲獣砕せいじゅうさいで斬られたルゥウシェ、乙矢おとや波動砲レールガンで貫かれたアヤは、致命傷ではなかったが重傷だ。舞台に上がる百識ひゃくしきは恨みを買いやすく、それ以外で危害を加えられる事だけは防がなければならない。


 小川でも会わせられないのは当然だが、それで「ああ、そうなんですね」と帰る訳にはいかない。


「美星さんは?」


 仁和になから1勝を奪った美星だけは、その後に起こったアヤの乱入を切っ掛けとした総力戦でも軽傷だった。


「もう退院なさいましたよ」


「そうでしたか」


 会えなくて残念だという顔をする小川だが、ポーズだ。手にしているお見舞いを看護師へ預けると、「ありがとうございます」と一礼して出て行く。


 小川がロビーに戻ると、ソファーに座ったみやびが膝にデジタルメモを置き、パンタグラフ式のキーボードを頻りに叩いている姿が目に入ってくる。


 ――本業は作家志望のライターだったか?


 雅のパーソナルを思い出す小川は、軽い嘲笑を浮かべた。


 ――就職氷河期世代だったか?


 小川と同年代であるから、その頃の就職市場がものであった事は覚えている。それでも小川は中小企業ではあるが就職し、食うに困らない程度は稼げている。


 ――バイトや派遣で食いつなぎながら、見果てぬ夢に賭けている、か?


 そこが嘲笑している点だった。


「賞味期限も消費期限も切れている」


 小さくだが、小川は口に出さずにはいられなかった。40が来ようかという男が、今も出ていない芽に賭けるなど、小川にとっては滑稽だ。


 ――成る程、こんな時にまで書くという行為を続けるのは立派立派。でもな、本当に、そして真っ当な努力をしている奴が、道徳とか投げ捨てて、命懸けで小銭を掴むような所へ行くか?


 今、デジタルメモを取り出して売っている文章は、文字通りなのだ。


「雅さん」


 夢中になっている雅へ、小川が気持ち小さくした声を掛けた。


「!」


 集中していた雅はビクッと身体を震わせてから顔を上げた。


「一人、舞台に乗せられそうです。連絡を取ってみますよ」


 小川は衣スマートフォンを取り出して見せた。病院のロビーで通話という訳にもいかないため、ここではかけないが。


「お願いします」


 雅はデジタルメモを閉じて立ち上がり、小川と並んでロビーを出る。


「熱心ですね」


 雅へと声をかけた小川は、雅技左手に持っているデジタルメモへと顎をしゃくる。


「こんな時まで仕事を忘れないなんて」


 おべっかであるが、雅は気付いたのか気付いていないのか、「ええ」と首を縦に振った。


「空き時間に作業ができて、便利なんですよ。スマホやノートパソコンだと、余計な事ができるから雑念も溜まりますから」


 どうしてもSNSやネットニュースを見てしまうという雅に、小川は「そうですよね」と相づちを打った。


 そんな顔の裏で思っている事は、相づちを打つのとは真逆の事だ。


 ――集中力が足りてないんだろう。


 デジタルメモは日本語入力しかできず、本当に簡単なメモを取る機能しかない。


 それを雅は集中できるから良いといっているが、小川は寧ろスマートフォンにキーボードを付けた方が安上がりであるし合理的だと思っている。


 ――仕事中にSNSを見たくなるのは人格、能力の問題だろ。


 この辺りが、小川と雅の利害は一致しているが、馬は合わない点だろう。





 唯一、軽傷で済んだ美星メイシンは慌ただしい毎日を送っていた。


 ――賞金、治療費……差し引きは……。


 昼食をパンと牛乳で済ませた美星は、ノートを広げて電卓を叩いていた。


 金銭出納帳きんせんすいとうちょうと呼んでいるノートであるが、それ程のものではなく内容は小遣い帳程度のものだ。


 ――エンプレス・ワルツに回せるのは、これだけか……。



 ルゥウシェの劇団に回せる資金の計算だった。



 安土あづち陣営VS小川陣営という対決は、勝利した場合、安土陣営が受け取れるのは本筈もとはず聡子さとこの命だけだった。


 つまり敗北した小川陣営だったが、その事前取り決めにより賞金は総取りしている。


 大規模な舞台であったから纏まった額なのだが、それから6人の治療費を差し引くとなれば話は別だった。闇医者であるが故に治療費は高額で、残りを6人で分配すれば、溜息しか出なくなる。


 貧乏劇団・エンプレス・ワルツの次回公演は、難しいとしかいえなかった。


「維持で精一杯、か……」


 溜息交じりの言葉だったが、殆ど溜息だった。劇団員の生活もある。サラ金に駆け込む事だけは避けてくれと常々いっている美星であるが、これは些か厳しい。


 机に肘を着き、頭を抱えるようにして今度は言葉などなく溜息を吐く。


 ――負けたんだから、あの3人の取り分はナシ?


 アヤ、那、明津に突きつけてやるかと考えた。


 ――押し切れるかどうか怪しいか。


 3人は陽大や基のような犯罪者――あくまでも彼らの主観によるのだが――が許せないという理由で舞台に上っていると明言しているが、金銭が関われば人が変わる事くらい美星も知っている。


 ――涼月と明津は、何とかなる?


 那は大学生、明津は実家がニシン御殿と恵まれた境遇であるから、或いは賞金を勝者である美星が総取りする事に異議を唱えないかも知れないが、アヤは別だ。アヤも氷河期世代。経済学の修士だというが、就職したのは会社更生法が適応されるような中堅ゼネコン。裕福とはとてもいい難い。


 ――稼ぐ……か。


 その結論が出た時に連絡できたのは、小川にとっては幸運だっただろう。


 美星にとっては、分からないが。

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