第8話「橙色」

「軽くショックだったでしょう?」


 放課後、教室の外で待っていてくれたあずさへとかいがかけたのは、皮肉ばかりを込めたものではなかった。


「いいえ」


 梓も苦笑いしてしまうのは、本来、無口な方ではない二人であるのに、今日一日、自己紹介くらいしか言葉を発していなかったからだ。


 何より耐え難いのは、敵意を持たれた様子もない事だ。休み時間にも、二人に声を掛けてくるクラスメートはいなかった。


 ――無口ではない会様には、居心地が悪いでしょう。


 梓は何から話そうか迷っているという風な会を見て、軽く息を吐き出して気分を変える。


 ――お屋敷を出る時の、口を真一文字に結んだ会様こそが異常だったのです。


 あの日、人工島へ着き、慌ただしく荷物を運び込むまで録に口を利かなかった会だが、本来は梓を相手に冗談――どちらかといえばイジリの類いになるが――を口にするのが大好きな、5分と黙っていられない性格だ。


「軽くショックだったでしょう?」


 もう一度、会が繰り返した言葉は主語も目的語も省略されているが、何をいおうとしているかは想像に易い。


 ――最初から、あんまりモテすぎないでね。女子に睨まれると怖いでしょ。


 今朝、会が梓に向けた一言だ。


 眼帯を着けている事を差し引いても、とても美少女とはいえない会と違い、梓の容姿は優れている。すらりと小気味よく伸びた四肢に、よく通った鼻筋は、美人の条件を十分、満たしている――というのは、会の贔屓目だけではないはずだ。


 そんな梓だが、会と同じく今日は一日、誰とも口を利いていないのだから、モテるモテない以前の話だ。


「軽くショックでした。もう少し、気にけてもらえると思っていましたから」


 こう返すのが正解だと梓は思っている。会が期待しているのは、間抜けな道化役だ。


「そんなもの、そんなもの」


 会はうつむき加減になって、クスクスと笑った。


「半月もあればできる人もいるといわれているのに、縁がないですね」


 会とは対照的に、宙へ視線を彷徨さまよわせる梓。


「なければコンビニで買ってこいという風にいわれても、そう簡単にできないのが彼氏だから」


 会が上げた顔は、もう梓が知っている表情になっていた。


 そういうバカな話を大声でしていても、校舎内で二人へ声を掛けてくるどころか、視線を向ける生徒もいない。


 高収益層と低収益層で二層化された人工島では、学校となればより一層、二層化が進む。小学校、中学校というならば兎も角、高校ともなれば施設、カリキュラム、教材など、少しずつ差がついていく。同じ学内に流れている、会が「老人めいた諦め」と表現した空気は、この辺を源としているのかも知れない。


 二割に満たない高収益層は、低収益層のやっかみの的になってしまい、それが引き起こす多少の校内暴力事件も、ここまで進んでしまった二層化の元では、ある程度は仕方のない事かも知れない。


 そうした空気を、授業中よりも放課後に強く感じられるのは、会の感性故だ。


 自分が中心にいなければならないという強いもない代わりに、疎外される事を嫌う。片目を失っているため当主争いでも軽視されていた経験からだろう、とは梓の見立てだ。


 ――当主ともなれば、男はあちらからやってくるくらいですが。


 し立てるように話す会を横目に見る梓は、彼氏など今までいたことがなく、また百識としては珍しく恋愛に興味がある会だからこそ、自分がついて行く気になった事を思い出した。


 容姿など《方》にも《導》にも関わりがないのだが、百識ひゃくしきとして、また頂点である六家りっけ二十三派にじゅうさんぱとして見た場合は、非常に大きい要素である。



 ただ単純にモテるというのとは違い、人を引きつける容姿というのは優れた力だ。



 生憎と、会はそこまでの容姿ではない。


 とりとめのない事を喋り続けるのも悪癖あくへきだが、それでも梓は話が一段落するのを待った。


「お暇ならば、何か習い事でも始められては如何ですか?」


 会には暇、もしくは退屈な時間などない方がいい。


 3年に編入した梓は今更、何ヶ月かしか活動期間のない部活動に入る事はできないが、2年の会は今からでも部活動を始めれば友達もできるし、運動部ならば会の運動神経で来夏のインターハイとて十分、狙える。


 だが会は、部活動に所属できる性格ではない。


 ならば習い事が一番だ。


「習い事?」


 突拍子もない話だと感じる者だから、会も目を丸くしてしまう。しかし突拍子もないといえば、会が切り出す話題の方がずっと突拍子もないのだから、目を丸くするだけだった。


「コミックイラストなど、如何ですか?」


 絵画となればハードルが高くなり、さりとてイラストといわれれば範囲が広く、会では自分で決めかねる。


「マンガの模写や、また自分で動かせるようになると、きっと楽しいですよ」


 右手をペンでも握っているような手付きで動かす梓は、ずっとハードルが下がるし、範囲が絞られるならば熱中しやすいと考えたのだろうが――、


「読んだ事ないけど……」


 当主争いのただ中にいた会にとって、本は娯楽ではなく一般教養として読んできた。趣味になっていない。


「読んでみたら面白いものが、たくさんあると思いますよ」


 帰りに一冊、買っていきましょうか、という梓には、会には趣味が必要だと感じる理由が会に退屈な時間があっては気分の上がり下がりが激しくなるから、というだけではなかった。


 もう一つ、ある。


 ――舞台の事を知らない方が良いでしょうから。



 舞台――社会へ放り出された百識が行き着く場だ。



 会をそこへ送る訳にはいかない。


 だから習い事であるが――。

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