第19話「孤独を知り、絶望を感じ……」

 驚いてどうする――それが当主の正直な気持ちだった。


「これではたおされてあげられません」


 確かに苦痛は当主を蝕んでいるが、それは致命的とはいい難い。


 ――確かに凄まじい《導》なのでしょう。


 そこは当主も認める所だ。


 ――これが、自分の《導》を信じて伸ばせば当主になれた者であれば、効いていたでしょうね。


 精神の異常で方向感覚を狂わされ、肉体の異常で不調に陥らされた後、精神の崩壊で完全に命脈を絶たれ、今、発動した肉体の崩壊で死を選んでいた事だろう。



 この重圧結界縛は、陽大が経験した精神的な負担を再現している。



 傷つく事だけを望まれた陽大あきひろの苦しみだ。


 アヤと明津あくつが耐えられなかったのは、二人は傷つける側になった事はあっても、傷つく側になった事がない――もっというならば、傷つけられる側になったら、すぐに代わりに傷つけていい者を探すタイプだったからだ。


 傷つける側に回れなかった者の苦しみに耐えられるのは、同じような経験をした者しか有り得ない。


「耐えられますよ」


 当主はいう。


 当主は、この結界に耐えられなかったアヤの事も明津の事も知らないが、六家りっけ二十三派にじゅうさんぱ百識ひゃくしきだから耐えられなかったと確信していた、


 ――もし私が、ただ自分に与えられた《導》を、そのまま伸ばしていくだけで事足りる才能と強さがあれば、この結界は覿面てきめんに効いたでしょうね。


 娘たちがそうであったように、鬼神を異形化していき、爪をかけるまでもなく吐息を吹きかけるだけでも敵を倒せるような《導》に仕上げたから当主になれたというのならば、重圧結界が押し付けてくるプレッシャーは未経験のままだった。


 しかし当主は違う。


 ――私は劣等でしたから。


 当主は手足を二本以上、生やす事はできなかったし、爪や牙、或いは雷や炎を砲弾のように打ち出すような武器を鬼神に備えさせる事もできなかった。


 ただできた事は、身に纏った鬼神を更に巨大化し、その体内を戦場にする事、その中で拳を振るう事だけ。


 ――悪あがき。そうとしかいえませんよ、こんなもの。


 会へ向けられていた嘲笑を、当主も受けてきた。


 あざけりと冷笑と、劣等である事を理由に正当化された悪意をぶつけられる日々の中を生き、そこから逆転させたのだ。


かいさんが耐えられるのに、何故、私が耐えられないと?」


 陽大へ拳を振るう。照準など合っていないが、陽大が満を持して放った《導》に耐えて放つ拳は、その存在そのものが圧倒してくる。


 陽大は気圧けおされていた。


 必殺とまでは思わずとも、バランスをこちらへ傾ける事ができると思っていた重圧結界縛が、足止めにもならないなどとは思っていなかった。


「クッ」


 何より、重圧結界縛は自分自身も巻き込む《導》だ。耐えられる事は、無効である事とイコールではない。


 十年近く耐えてきたストレスだからこそ強大で、これに耐えながら《方》を駆使する戦いは短時間で限界が来る。


 歯を食い縛り、感知の《方》で動きを読み、障壁で必死に身体を動かしていく。


 互いの動きは否応なく大雑把になり、それ故に判断が難しさを帯びてくる。


「はァッ!」


 裂帛れっぱくの気合いと共に振るわれた会の槍は、隙を突いたというよりも、突いたととでもいうべき行動だった。


 括弧書きで「ここ」と書くべき一点を目指して突き入れたのではないのだから、その軌道は一文字とは言い難い。


 即ち最短距離を最速で奔るものではないのだから、当主から見れば容易く避けられる一撃だ。


 重圧結界縛の影響下であるから、当主にも余裕らしい余裕を顔にすら浮かべられなかったのだが、


 ――受けてあげられません。


 そんな軽口を叩く暇も、梓が塗りつぶした。


NegativeCorridorネガティブ・コリドー


 梓だ。


Howlingハウリング!」


 空気を壁のようにして叩きつける《導》は、梓も重圧結界縛の影響下にあっては照準に精密さを求められないからだろうか。


「ッ!」


 当主は逃げた。点ではなく面で押さえ込もうとする梓の《導》は、攻め足を残さずに逃げるしかなかった。


 ――ここで攻撃を出せればいいのでしょうが、ね。


 会と陽大が回り込もうとしているのが見えている当主には、間に合わない事も分かっている。


 二人が武器を構えるよりも早く、当主の体勢は整ってしまう。


 ――いい手下を持ったものです。


 それでも当主はそう思った。陽大の重圧結界と梓のNegativeCorridorは、月家にはなかった《導》だ。それを味方につけた事を、当主は会の実力だと認めている。


「でも、こんなものでは斃されてあげられません」


 当主から見て足りていないのだから、そういう上から見下ろしてくるような言葉が出るのも仕方がない事か。


「斃されてくれとお願いするつもりで来てない」


 槍を構え直し、会も負けじと気を吐いた。


 とはいえ、言い返す程度が精一杯というのも事実。今し方、参戦してきた陽大、梓とは違い、会は既に数日、ここで当主と戦っている。限界は、迫っているのか、越えてしまっているのかも分からないくらいだ。


「ッ」


 もう一度、会が槍を突き出し、当主がかわした。


「――」


 続いて陽大が肘を狙い、当主が退く。


 退いた先へ梓が《導》を……、


 ――あなたは外していませんよ?


 退いたはずの当主は、加速に必要な距離を取るためのバックステップだったのだ。


 ――NegativeCorridor!


 梓は目を細め、溜めが間に合うかどうか焦らされた。


 当主が打ちかかってくるよりも、自分の《導》が完成すれば勝機はあるのだが、その競争は、梓でも確実な勝利が見えていない。


 ただ一瞬の時間が必要なだけだったが、その一瞬語に見えたのは、


 ――いや、寧ろ遅い!


 梓が見たのは、負けると確信だった。



 間に合わない。



 しかもNegativeCorridorの発動に集中しているため、今更、回避行動をとる事も不可能だ。


 死が迫ってくる目は、徐々に視野を狭くしてしまい、しかし防ぎようのない耳は、周囲の音を全て聞いていた。


「フェイズ、ファイナル」


 陽大の声。


 そして最後の変化を見せる重圧結界縛。


 それは――、



超越者ちょうえつしゃの出現」

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