第15話「陽大に望まれる姿」

 ピンッと指先で帽子の鍔を弾くようなジェスチャーの後、弓削は腰に吊していた剣を抜いた。この舞台で剣を使う者は希である。使いやすい刃物とは言い難く、また結局は《方》で決着するのだから、ほぼ「飾り」であるからだ。


 弓削の剣も、そんな飾りだと思った者が殆どだった。


 その上、弓削にも《導》がないのは明白だった。もし《導》があるならば、この舞台に降り立った直後に炸裂させればよかった。使わなかったのだから、弓削には《導》による攻撃はないと判断できる。


 そんな弓削が見せた剣を抜くという行動は、示威行動にしか見えなかった。


 見えなかったが故に、不用意に殴りかかった男は即座に切り伏せられる。


「シッ」


 歯を食いしばったままであるから、弓削が発した気合いの声は低く小さかった。


 振るわれた男は、やはり飾りだと思ったはずだ。



 衝撃がなかったからだ。



「馬鹿め!」


 嘲笑を浮かべた男は勢いのまま拳を振るおうとしたのだが、次の一歩が踏み出せなかった。


「?」


 擬音で表現するとすれば「ずるり」だろうか。


 まるでチーズが蕩けるように、男の身体は足から滑り落ちたのだった。鋭いと言うには、あまりにも鋭いものが凄まじいスピードを伴って通り過ぎた証だった。ブレが全くない一撃は、斬った時に衝撃を伝えない。


「あれ、日本刀か!」


 その鋭さを見て、誰かが言った。


 柄巻きや鍔が違うため気付かなかったが、日本刀ならば使う者もいる、と目を見張るのだが、それに対して弓削は不機嫌な顔を向けた。


「剣だ。日本刀なんかじゃない。刀身をよく見ろ。玉鋼たまはがねなんて使ってないだろ」


 弓削が光源に翳してみせているのは反りのない直刀で、刀身の輝き方は玉鋼ではなく、また丁寧に扱われていない事が明らかだった。


「ハイスに軟鉄を蝋付ろうづけした剣だ」


 ハイス――高速度鋼の刀身であるから、日本刀とは言えない。


 言葉が終わると同時に、弓削が光源にかざしていた剣を振り下ろす。身体操作に関しては、弓削こそが神名の師だ。その速度は剣という道具が加わっている事も相まって、精度を伴った一撃に襲われた者は風か何かが通り過ぎたようにしか感じられなかった。


 衝撃を伴わない斬撃は、神名が繰り出した連続攻撃よりも静かで、危険だった。


 その斬撃も、一刀両断に斬って捨てる訳ではない。


 ――急所は急所故に、打つのは容易ではない。


 弓削に言われた言葉を、陽大が頭の中で反芻していた。


 頭や胸に刃を叩き込む事は、弓削の腕前でも百発百中は難しい。


 だから手足を狙っている――のは、そう言う理由だけではない。


「距離を取れ! 距離を取れェ!」


 乱入者の声は悲鳴に近くなっていた。接近戦を挑んできている弓削は、人質になり得る依頼人から離れている。


 距離を取れば飽和攻撃を仕掛けると言うのだろうが、それは弓削の方も心得ている。


 ――誰を犠牲にして距離を取る?



 弓削を釘付けにする「盾」がなければ、飽和攻撃を仕掛ける間隙は作れない。



 そして飽和攻撃を仕掛けるのだから、その「盾」は弓削と共に《導》を浴びる事になる。


 ――誰が残るか、そんな所に!


 手足を狙っているのは、動けなくする事で連携を断つためだ。ステージは「散らかって」いく。それを踏み付けたり蹴飛ばしたりして戦うのは、持ち主の悲鳴が耳についてしまう。


 故に規模を絞るしかなった。


「薄汚い人殺し、それに手を貸すブタ、その他、目立ちたがりのクソ野郎、まとめて――」


 陳腐な台詞と共に、乱入者の手が翻った。


「火刑に処す」


 乱入者の《導》が熱へと変わり、圧縮されていく。


「散華!」


 その言葉と共に圧縮された熱が広がる。燃焼のスピードが音速を超えた時、それは爆発と名称を変える。


 当然、一つではない。一つの爆発でステージ全てを包み込めれば話は早いが、範囲を絞るしかないのだから、複数の爆発を起こす事で弓削の逃げ場を奪う。


「ハッ」


 だが朱色に顔を染める弓削は、爆発の中にはいない。


 ――連携が完璧じゃないんじゃ、隙間がいくらでもある! 飽和攻撃とは言えないな!


 全ての爆発が同じタイミングで起きているのならば、弓削も回避しきれないが、少しずつタイミングがズレているのでは爆炎を回避できる。


「爆弾だったら殺されてたな!」


 爆炎を回避した弓削の刃が、乱入者を刈り取っていった。手榴弾だったならば、爆風と共に弾体の破片や内包されていたワイヤーをまき散らし、それによって殺傷されただろうが、この《導》は爆炎しか殺傷力を持っていない。


「……」


 爆発をものともせずに切り込んでいく弓削の姿には、もう小川に依頼した被害者遺族も声を失っていた。安全な場所に陣取って、軽食でも口に運びながら見ているのならば、いくらでも出てくる言葉があるが、巻き添えにされかねない場所では言葉も動きも奪われてしまう。


 精々、できる事は目を白黒させるだけで、その目を自分以外の被害者遺族へと向ける事もできなかった。


 そこへ神名の声が発された。


「今、このステージにいるのは全員、当事者です」


 陽大の身に届く声ではなかった。


「当事者?」


 鸚鵡おうむがえしにした陽大へ、神名は被害者遺族を顎で指したのだから。


「乱入者として扱われます」



 それは陽大にも、この被害者遺族に対して拳を振るう権利があると言う意味だ。



 神名の声がよく通るのは、被害者遺族にとっては災難だ。


 目を陽大へ向ければ、陽大もまた自分たちへ目を向けている事を知ってしまう。


「――!」


 言葉で表現し難い悲鳴が出た。彼らにとって、陽大は息子の命を奪った殺人鬼であり、今も人に大怪我をさせても平気な異常者でもある。


 そんな陽大の前に、何も隔てるものがない状態でいるのは、とてつもない恐怖を伴った。


 ――今まで、誰の役にも立たなかったんだろうが!


 ――最後くらい人の役に立ちなさいよ!


 ――ここにいる奴らは、全員、お前なんか死ねば良いと思ってる!


 今まで吐き出してきた言葉が、全て陽大の中にあるように思えた。


 視界の隅で、いよいよ乱入者を全て平らげてしまおうとしている弓削の姿も入った。高速度鋼と軟鉄を蝋付けした剣など、最高の芸術品である日本刀に似せた凶器だ。それを振り回す弓削の姿は、どれ程、贔屓目ひいきめに見ても好意的な言葉は浮かばない。


「……」


 陽大は無言で歩を進め、拳を握りしめていたが――、



「僕の勝ちを認めてくれれば、それで十分です」



 拳ではなく、言葉をぶつけたのだった。


 ――殴れないよ、こんな時でも……。



 自分にも復讐する権利があるからと言っても、この場で拳を振るえないのが陽大だ。



 殺してもいいと言われれば、それこそ無理だ。もし、ここで拳を振るえば、それこそ陽大はこの被害者遺族の望む姿になってしまう。


 陽大の姿に、神名も笑みを浮かべていた。


「そうでしょうね」


 陽大の姿は、神名が望んだ通りだ。弓削にとっても、それは同じ。


 ピュッと剣で空を切って刀身にしたたる血を払いながら、弓削も陽大へと目を向ける。


「勝ちだ。認めろ」


 剣を収めつつの言葉だったが、今のステージ上には弓削に反対できる者などいなかった。


 ただしステージ上には、だ。


 ――認められるか!


 小川は拳を握ったまま、陽大、神名、弓削の三人を睨み付けていた。


 もう隠し球はなかった。


 唯一の手段はと言えば、今、眼前にいる陽大の両親に刃を突きつける事なのだろが、依頼人に対しても、そこまでする義理はない。


「勝ちでいいですかね?」


 そんな小川の頭上からかけられた声は、安土だった。


「……」


 苦々しいと言う顔を向けるしかなかった小川だが、どれだけ考えても状況を一転させる言葉はなかった。


「勝ちで、いいですね?」


 小川には「そちらの勝ちです」しか言葉がない事を察していて尚、安土は小川自身の口から言わせようとした。


 ――ろくな死に方をしませんよ。


 弓削ならば、そう言っただろうと思いながら、もう一度、安土は繰り返した。


「勝ちでいいんですよね?」

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