第11話「仁和が抱く不安」

 安土は最初に知らせた相手は仁和だ。孝介を後回しにしたのは、パニックを広げてしまうと考えての事だった。仁和にしか知らせたからと言って、パニックを起こさずに済む訳ではないのだが、孝介が先に知るよりもマシだ。


「金曜……」


 流石の仁和も絶句してしまうが、恐慌までは起こさない。ショックは強いが、これからどうするかを考えているからだ。何故、こうなってしまったのかを悔やんでいる訳ではない。


「当然、相手は《導》が使える百識です」


 安土が仁和を呼び出したのは、放課後のシアトル系カフェだ。安土は一人ならば、まず来ない場違いな店であるが、仁和を呼び出しても違和感のない場所は、ここくらいしか思いつかなかった。


 ――私の声なんて、聞こえてませんか。


 安土の声を聞いてないな仁和は、同じ言葉を胸中で繰り返していた。


 ――執行できる力があるから、こんな企画が続けられている……。

 逃げる事はできない。


 ――《導》……。


 それがどれくらいのものであるかは、想像しかできない。人に向けられているシーンは見た事がないが、初めての舞台で見たような光球や、あるいは孝介や仁和でも使えるような感覚の鋭敏化や身体強化とは全く違うであろう事は分かる。


 ――生き残れる? 今のままで?


 矢矯から教わった技は、まだ自分のものになっているとは言い難い。矢矯は良くできていると言うが、木刀を振り上げて振り下ろすと言う動作ができるだけだ。


 ――ベクターさんも、それだけで十分とは言っていない。


 その攻撃を命中させる術、相手の攻撃を避ける術は、身についていないも同様だ。



 自らの知己によって行うしかない部分は、どうしても自信が持てない。



 ――けど、自信がない事を言い訳にして、思考までも停滞させてはいません。悲観的になるのも仕方がないですが、状況に対応しようともしてますね。


 コーヒーを口元に運びながら、安土は仁和から話したのは正解だったと確信した。もし孝介を交えていたら、恐慌を起こし、ここから安土が言葉を続ける事ができなかったはずだ。


「助っ人を頼んでますよ」


「!」


 安土の言葉は、仁和の顔を上げさせ、表情を一変させる。


「誰かは言えませんし、確実に来てくれるとも言えませんけれど。想像できる相手かも知れませんが、触れないで下さい」


 矢矯を思い浮かべた仁和へ、安土は強く釘を刺した。矢矯も、ルゥウシェやバッシュに対しては怒りを抱いているが、美星に関しては怒りは薄れさせている。


 ――悪い癖だけれど、美星と敵対する事に関しては迷っているのだから仕方がない。


 苛立ってしまう安土だが、一度、好きになった相手を、そう簡単に嫌いになれないのは、矢矯の長所でもあり短所でもある。


「3対3になれば、条件は五分……」


 仁和の呟きは、自分自身に言い聞かせるような風だった。3対3となっても、星取り戦となれば、一度はどちらかが闘う事になる。


 ――そこにもう1回、私が乱入したら?


 仁和は2対1にできて、その上で不意を突ける形になれば……とも考えるが、そう言う勝ち方に対する制裁なのだから、次に何が待っているかを考えるのが怖くなる。少しずつ視線が下へ下へと落ちていくのは、覚悟を決めても開き直れない事があると言う事だろう。


「この一戦を勝てば、少し楽になりますよ。もし、その人が加わってくれれば、制裁マッチは組みにくくなりますから」


 勝ちの形に拘る必要がないとまでは言うないが、安土は仁和を凹ませない。


「少なくともルーキーの乱入くらいで制裁が行われる事はなくなります」


「どういう事です?」


 身を乗り出す仁和に、安土は一言。



「その人、強いんです、単純に」



 制裁マッチを組もうにも受けるチームが少ない、と言う理屈だ。


 無論、世間の評価を見る限りは、ルゥウシェのチームで矢矯は最低だ。《導》での攻撃ができるバッシュ、ルゥウシェの二枚看板に、美星が補筆する形となっている。


 ――矢矯さんは脇備えですらなくて、人数合わせと思われている部分が多いのが現実ですけど。


 しかし安土は「強い」と言い切る。


 今、仁和は矢矯から教わった技術に不安を覚えているが、安土は知っているからだ。


 ――矢矯さんの技術は、本気で振るわれた時、あの三人の中に防げる者はいません。いえ、全体で見ても、上位に入るはずです。


 ただし仁和への説明は省く。


「金曜ですから、制裁マッチまでの日数は少なくなりましたが、引き続き、吸収できるだけのものを吸収して下さい」


 くれぐれも矢矯を急かさないように、と釘を刺してから、安土は席を立った。





 その後、孝介と合流して練習をしてから帰宅する――いつもと変わらない一日を終えた仁和の脳裏で、安土の言葉が渦を巻いていた。


 ――その人、強いんです、単純に。


 だからだろうか、料理ができあがるまでの間、孝介と二人、リビングスペースで談笑中の矢矯を気にしていた。


「これからの《方》は平行して行おう」


 麦茶を飲みながら話している矢矯は、既に制裁マッチが決定している事を知っていると言外に告げていた。一つ一つ段階を踏むのではなく、平行して行うと言うのは時間がないと言う事だ。


「刃を当てる技術の方。感知する《方》を覚えていこう」


 それは命中と回避に関わる重要な《方》だ。


「例えば……あのテレビ台。幅はいくらか、わかる?」


 今、ニュースが流れているテレビが載っているローボードを指差した。


「えっと……?」


 目を瞬かせる孝介は、健在だった頃、両親が買ってきた物だけに詳しい数字など知らない。


 手を広げて計ろうとするが、その様子に矢矯はテーブルに手を着いたまま、言った。


「1800ミリ」


「え?」


 分かるのかと孝介が顔を向けると、矢矯は「計ってみよう」と立ち上がった。


「コンベックスとか、ない?」


 しかし孝介に訊ねた物は、孝介の方が首を傾げてしまう。


「コンベック……?」


 何を言っているんだと言う顔をするのだから、孝介は矢矯が何を欲しがっているのか理解していない。


 矢矯は「あー」と声を上げる。


 ――孝介君は知らないか。……分かり易く言うと、何だったっけ?


 工業用の金属メジャーをコンベックスと言うが、今度は矢矯が単語を忘れている。


「巻き尺か金属メジャー」


 矢矯が苦労して思い出した単語は、孝介も分かった。


「取ります」


 ドライバーなどをまとめて入れている引き出しを開け、中からコンベックスを出す孝介は、そのままローボードに当てた。


「確かに! ベクターさんの言うとおり1800ミリ!」


「こう言う《方》だ。目標物までの距離はいくらか、その距離を何歩で移動できるか。そう言う事が分からないと、刃が当たらない」


「うーん……」


 唸る孝介は、割と難しい話だと理解している。距離を測り、自分がそこまで何歩で移動できるかを感知するなど、考えた事もない使い方だ。


 ――確か、一歩、踏み込めば刃が当たる距離が、間合いか。


 間合いを計ると言うが、厳密に計れと矢矯は言ったのだ。


「感知で間合いを計り、その間合いを身体操作で移動し、斬る」


 それが矢矯が教える技術の基本であり、奥義でもある。


「地味な技さ。制裁マッチの相手が使う《導》に比べれば」


 自嘲気味に言う矢矯であるが、言った直後に後悔した。



 地味と自嘲する事は、こんな技術を身につけても無駄だと思わせてしまうかも知れない。



「いや、派手さがないから人気は出ないってだけで、弱い訳でもないし、通用しない訳でもない」


 慌てて打ち消すのも、同じく言い訳に聞こえてしまうかも知れないが、そんな二人の様子をカウンターキッチンの向こうから見なていた仁和は、安土の言葉をもう一度、反芻していた。


 ――その人、強いんです、単純に。


 ――果たして、どこまで? 本人に訊いてもいいのかしら?


 訊いてはならない、という事もないだろうが、証明のしようがない。ただ一言、自分は強いと言われて信じられるならば、安土に言われただけで不安など何も抱かなかったはずだ。


「……」


 その視線に気付いたのか、矢矯が仁和の方を見ていた。


 ――疑われているか。


 矢矯はそう感じ取っても、言葉は出せなかった。納得させられる言葉にはならない事を分かっている。元より飛び道具同然の《導》に対し、剣で向かっていくと言うのは不条理な行動だ。そんな事をする百識は皆無。そこに根本がある不安ならば、納得させられる言葉は魔法としか言いようがない。


「信じて。負けないから」


 精々、その程度の言葉があるだけだ。


 矢矯の言う「負けないから」を、どこまで信じるべきだろうか?


 ――ううん。


 仁和は考える事を――疑う事を止めた。


 ――疑っても仕方がない。不安は残っていくけど、安土さんとベクターさんの信じられる部分をつなぎ合わせればいい。嘘は言わない。


 その結論に達したところで、作っていたおかずをそれぞれの皿に並べた。


「天ぷら?」


 テーブルに並べられた皿に、孝介が「へェ」と声を出した。


「素揚げ。衣つけると、時間かかるから」


 野菜中心の素揚げを、大根下ろしとショウガに出汁醤油で食べると言うのが、的場家の定番だ。ナス、レンコン、ジャガイモ、カボチャは定番。タマネギはレンジで温野菜風にして付け合わせにする。


「時間がかかる割に、食べるとなったらぺろりと平らげられると、どこかやるせなくなる?」


 ククッと薄笑いしながら矢矯がそう言うと、仁和は「分かります?」と戯けた。


「孝介が滝食いするから」


 噛んでるのかいないのかすら怪しいスピードで食べるのだから、時間のかかる料理を作るのは吝かだ。


「食べ方くらい、自由にさせてくれ。そうでなくても、ストレスが多い生活してるんだから。今日も変なのに絡まれただろうが」


 肩を落とす孝介だが、何に対してかは仁和しか分からない。


「ははは」


 だから矢矯が思わず笑ってしまった。ただ笑った理由は、孝介と仁和の掛け合いが面白かったという理由だけではない。


「あまり噛まずに食べると言われれば、俺もそうだ」



 矢矯と孝介に共通点があったのだ。



「よく噛んで食べて下さい。健康に気をつけるつもりで野菜の多いメニューにしていても、効果半減じゃないですか」


 エプロンを脱ぎながら、仁和は冗談めかした。


 残された時間はないと言うが、この時間を省くのは惜しい――そう思わされる一時だった。

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