第6話「編成完了」

 安土あづちの話は、聡子さとこの母親が自分である事との告白から始まった。


 母親だと思っていた相手が実は伯母で、叔母だと思っていた相手が母親だったという事実は、特に聡子の理解を超えていたのだが、それを一つ一つ待っていては時間が足りなくなる。


 話を次に進めなければならない。


 聡子の父親だ。



つき あきらさん」




 それが名前だ。知り合った場は、安土が通っていた大学の文芸サークルだった。


「大学生?」


 顰めっ面を向ける矢矯やはぎは、聡子の歳から逆算していた。真っ先に思うのは不謹慎という言葉であったが、それは今、いっても仕方がない。


「私は在学中でした。月さん……陽さんは、高校を出てすぐに働いていました。サークルも外部へオープンにしてたから、知り合いからの紹介で来たといっていました」


 何に惹かれたか、何を切っ掛けとしたかは、今はどうでもいい。


 月 陽という男が存在し、その男が聡子の父親であるという事。



 そして月 陽の経歴だ。



 ただし経歴を語るには、少し安土に躊躇ためらいがあったのだが。


「月って珍しい名字ですから、多分、間違いないと思うんですけど」


 不意に乙矢おとやが切り出した。


「月 美代治みよじの血縁者?」


 月 美代治――何故、この名前を出したのか、この場にいる者で気付いた者はいない。矢矯や弓削ゆげも、知らない名前だ。


「孫だといっていました」


「……」


 安土の答えに乙矢が黙るものだから、皆、傾げている首の角度を深くするばかりだ。


「月 美代治氏は、この人工島を計画した時の、南県なんけんの職員です」


 人工島の計画者――。


 だが、そういわれても、「はあ、そうですか」くらいにしか思わない。もう何十年も前の話であるし、計画した時の市長や知事、総理大臣の名前ですらスラスラといえるレベルではないのだから。


「南県の県都が職員研修の一環で、中堅職員を対象とした政策立案研修で、衣食住の内、住宅が最も経済的な負担となり、かつ公の手を貸しやすいという考え方を元に、人工島の建設を提案した人です」


 あまりに荒唐無稽こうとうむけいであったが、弁舌とコネを持っていた月 美代治は、国までも動かして人工島を建設したというのは、知る人ぞ見知る所だ。



 安土が言いたいのは、その「コネ」だ。



 それは月 美代治には、もう一つの顔に繋がり、その顔とは、少なくとも矢矯や弓削も、納得するものだ。


「月 美代治氏は、鬼家きけ月派つきはの――六家二十三派りっけにじゅうさんぱの出身です」


 コネとは、それだ。男であるから鬼家月派の当主にはなり得ないが、実家のコネを最大限に使用すれば、確かに県都、そして南県なんけん北県ほっけん、そして国を動かす事も不可能ではなかったかも知れない。


「けど、それならもっと有名な話があるでしょう? その月 美代治氏は人工島建設の着手と同時に――」


 乙矢が溜息を吐き、一瞬、間を取った。



「鬼家月派を離脱、新家しんけとなると宣言した」



 六家二十三派を離脱と、言葉にすれば一言でしかないのだが、離脱とは見限ったという事――特に鬼家月派からすれば、許されない裏切りだ。


「許さないだろうな」


 想像に易いと弓削もいう。


「はい……」


 安土の返事は重い。


「きっと、そうだったんでしょう。陽さんは、いつも大変そうな仕事をしていたようです」


 六家二十三派が手を回し始めた事までは気付いていなかった。月 陽は、祖父の威光を背に、悠々と仕事をしていた訳ではなく、寧ろ針のむしろに座らされていたのだというのは、後に知った事だ。



 鬼家月派は、美代治の月家を許さなかった。



 ならばまだ二十歳になったばかりの新人職員を潰す事など、容易い事だ。誤算があったとすれば、月 陽は仕事を辞めるという選択を取れず、潰される方を選ぶしかなかった事か。


「まだ、あの頃はスマートフォンで通話アプリという訳でもなく、パソコンのIMメッセンジャーでチャットのような事をしていましたが、ある夜、久しぶりに食欲があるといっていた夜――」


 安土は大きく息を吸い込み、これ以上にないくらい深く溜息を吐いた。


「寝落ちだと思っていました。ふいに途切れた会話を、私はそう思いました。でも現実は、陽さんは……」


 息を止めるのは、涙が浮かびそうになるからか。


「知っていますか? 胃に物理的な穴が空く事がある事を。そうなると、いくらでも食べられるようになるそうです。陽さんの食欲が戻った理由は、それでした。喜んでる場合じゃなかったんです」


 口調が徐々に早口になって行く。


「会話が途切れ、寝落ちしたと思っていた時、彼は気を失っていたんです。もし、その時、救急車を呼んでいれば助かったかも知れません。でも私は、翌朝まで何もせず、そして翌朝には――」


 月 陽は、この世を去っていた。


 月 美代治が亡くなったのは、その後、すぐだった。こちらは胆嚢癌たんのうがんだった。


「新家月家は、血が途絶えてしまった……そう思われていたのです」


 復讐は成れり、という所か。女系女権の六家二十三派は、血統を最も重んじる。女系女権であれば、父親が誰であれ、当主が生んだ子供は全て当主の血を引いているため、そうしている。逆に言うならば、男系男権に移った月 美代治は、血を根絶やしにするとすれば、繋がっている全員を消す以外になくなる。


「しかし実際は、月 陽氏には娘がいて……そうか、だから隠す必要があった」


 得心がいったと弓削は頷いた。


 娘を育てる条件は、まず収入の問題があり、次に月 陽の血筋である事を隠す必要がある。


 月 陽の恋人が産んだ子供など、鬼家月派から見れば排除すべき相手だ。


「……山家さんけ本筈派もとはずは鬼家きけ月派つきはの血を受け継いでいた……。だから医療の《導》が……?」


 孝介が呆然として顔を聡子へ向けていた。



 聡子を排除する理由は、複数だったのだ。



 医療の《導》という呪われた力を持っている事と、六家二十三派を裏切った男の血を引いている――それを嗅ぎつけられたのならば、聡子を舞台に上げる事は必定だ。あの場こそ、人の命を最も簡単に奪える場なのだから。


「……小川の要求は、こうです。聡子の命を賭け、弓削さんやベクターさん、鳥打とりうちくんと、小川が世話人としてついている、ルゥウシェ、バッシュ、美星メイシン上野こうづけアヤ、明津あくつ一朗いちろう涼月すずき とも、石井の7人との大規模な集団戦です」


 安土は努めて、ゆっくりいったつもりだった。


「賭けるのは、聡子さんの命。負ければ、奪い取られます」


「勝てば?」


 口を挟んだのは矢矯だった。


「……聡子を、今後一切、標的に選ばない事を確約させるつもり、です……」


 安土の言葉は、つまり大金が手に入る訳ではない、と告げていた。


「……」


 矢矯が天を仰ぐ。矢矯自身は金が欲しくて上がっている舞台ではないが、的場姉弟は自分たちの生活を守るために上がっている。聡子の命では、両親の形見を守る事はできない。


 ――命懸けで……か?


 即答できるはずがない。


 ――そうでしょう……。


 安土も快く受け入れてくれると確信できていた訳ではないし、寧ろ引き受けてくれるのならば奇跡の類いだと思っている。


 弓削とて考え込んでいるし、師がそれでは神名かなや陽大も、孝介こうすけ仁和になとて同じだ。


「……」


 その雰囲気は、今まで知らなかった事実が瀑布ばくふとなって落ちてきた聡子の不安を誘う。


 ――あんなにされるの……?


 思い出すのは、舞台の霊安室で見た基だった。苦痛に歪み、五体満足ですらない遺体だった。


「……」


 何もいわない母と叔母――伯母か? いや、どうでもいい――から目を背け、基に顔を向ける。


 ――私の手下になって……。


 かつて聡子は、基にそういった。


 ならば今、手下なんだから私を守れといってもいいはずなのに、いえない。


 基は、友達なのだ。手下ではない。


「鳥う――」


 聡子の口からか細い声が出たのと、基が手を上げたのは同時だった。


「あの!」


 暗い雰囲気を吹き飛ばすような、大きな声だった。


「僕は、行きます」


 意思表明だ。


 しかし決して気持ちが先走って出て来た言葉ではない。


本筈もとはずさんは、友達だから。僕は、守るって決めてて、一生懸命になるんだって決めた人のためには、一生懸命になりたいって、久保居くぼいさんが教えてくれて……」


 しどろもどろになるのは、勢いに任せて出した言葉ではなく、これが基の矜恃きょうじとなっているからだ。


「だから、僕は行きます」


「よっし!」


 基の断言に、真弓まゆみがタンッと軽くテーブルを鳴らして立ち上がった。


「鳥打くん、よくいってくれたわ! 私も、鳥打くんがしたいって事なら、一生懸命、手伝うよ。葉月はづきさんだって、手伝ってくれるでしょう?」


 基に一生懸命になると決めた相手のために一生懸命になれと教えたのは自分なのだから、真弓が出馬しない理由はどこにもない。


「……」


 乙矢は目を見開いていたが、それは呆気に捕らわれていたからだ。


「葉月さん!」


 もう一度、真弓が飛びかけると――、


「そうね、私も真弓ちゃんも、鳥打くんも、力になれるのなら、それで十分」


「おっと」


 そこへ逆サイドから声がかかった。


「俺、一応、本筈さんと鳥打くんの先輩なんだ。頼りにしてくれ。下らない事で、死ぬ事は、絶対に有り得ねェ」


 陽大あきひろだ。


 ならば陽大にも、真弓のように近くにいてくれる女性がいる。


弦葉つるばくんがいくなら、当然、私も行きます」


 神名だ。


 真弓のように、誰かのために一生懸命になると決めている訳ではないが、弓削の古本屋は三人が一体になる事をモットーとしている。


「当然、俺も」


 弓削も手を上げた。


 では残るのは孝介、仁和、矢矯となるのだが――、的場まとば姉弟していが舞台に上がる理由は、皆、何となく知っている。金という明確すぎる理由があるのだから、「聡子の命」というだけでは舞台に立つ理由にならないかも知れない。


 だが――、


「ここで断ったら、悪者じゃない」


 断れるならば、仁和は両親の思い出など守ろうと考えない。


「お父さんの事、お母さんの事、とてもとっても大変だけど、だからこそ生きていかなきゃ。目に見えないけど、二人……あ、いや、女医さんも入れて三人か。三人がくれたもの、絶対、本筈さんの中にあるんだから」


 そういうと、仁和は弟へ「ね?」と声をかけた。


「……ああ。そうだな」


 そうなれば、完全に空気が変わる。


 ――大丈夫なのか? 勝っても何も手に入らないんだぞ?


 その空気が矢矯が脳裏に浮かべた言葉を、矢矯は声にさせなかった。


 声にできるのは、一つ。


「……仕方ない。俺も出よう」


 これは、本心から出た言葉とはいえないのかも知れないが。


 だが自分が集めた9人に、安土は声をなくしていた。


 ――集まってくれた……。


 思うのは、それだ。


 安土は集めたのではない。


 出会った百識ひゃくしきに、最適な百識を出会わせていっただけだ。



 ここにいる9人は、駒ではなく人だ。



 安土は、聡子を囲んでくれる人たちを見つけられたのだ。


 ――陽さん……。


 それは陽には、してやれなかった事だ。ただ一人で支えようとして、支えきれず、手からこぼれ落ちてしまったが、今度は違う。



 ――守り切れる……。



 これは陽を失ってから今日まで、安土が目指した光景なのだ。

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