第4話「呪詛と祝福」

 車に戻った石井は、次は南へと転じた。


 神田明神だけを目的にしていないのだから、ゆっくりする時間も惜しい。CADオペレータが何日も優雅に有給休暇を取れるはずもなく、今日と土日を使って何とか回りきる予定であるから強行軍は当然だ。


 海を左手に見ながら走らせる。朝から700キロを8時間かけて移動した直後に、もう1時間、60キロ超の移動は負担であるが、時刻はいい時間帯になっていた。


 夕暮れ時だ。


 カーステレオから流れている曲は穏やかとはいえない、ルゥウシェたちの好むシンフォニックメタルであるが、見慣れない土地に見慣れた、そして見ると心が洗われる橙色の光が差せば心の疲れを取ってくれる。


「よっし」


 フッと短く、しかし強く息を吐き出した石井は、愛車のアクセルを踏んだ。



 次に目指すのは、神奈川県の鶴岡八幡宮。



 鎌倉幕府――つまり日本で最初の武家政権を立てた源頼朝が創建した神社だ。


 それまで東夷あずまえびすと蔑まれていた土地に、初めて首都と呼べる土地を作った頼朝の力を、ここで得ようというのだ。


 太鼓橋の上で石井は立ち止まった。


 陽はいよいよ傾きを深くし、平日である事も相まって太鼓橋の上で足を止める者はいない。


 社はかなり先だが、石井はここに玉鋼の入った鞄を下ろした。



 この場は右手に源氏池、左手に平氏池に臨める場所だ。



 右手の源氏池には島が三つあり、3は産に通じる祝福が宿っている。


 左手の平氏池には島が四つあり、4は死に通じる呪詛が宿っている。


「リメンバランス」


 石井が《導》を出す。



 その祝福と呪詛を得るためだ。



 ルゥウシェに産の祝福を――、


「タイクーン――主将の記憶」


矢矯に死の呪詛を――!


 石井の脳裏に甲冑姿の武者像が浮かぶ。そのイメージこそが、史上初の武家政治を始めた頼朝の姿なのだろう。


 その姿に、自分の作る名刀を手にするルゥウシェを重ねる。


 武者像が対峙する相手は、落ち武者を思わせる亡霊だ。それが呪詛された平氏、特に武家でありながら、藤原摂関家の真似事しかできなかった平清盛のイメージだろうか。


 その亡霊に重ねるのは、いうまでもなく矢矯だ。親友を裏切り、後ろから刺すような真似をした卑怯な男。


 鎧武者は名刀を振り上げ、その切っ先を亡霊の脳天に振り下ろす!


「ッ!」


 カッと目を開けた石井は、溢れ出した《導》を玉鋼に向かって押さえ込むように集中させた。


 先程、神田明神で得た怨念と怨念封じの氣に、この祝福と呪詛とを加える。鞄に入れられて尚、玉鋼が虹色の輝きを帯びていくのを感じる。



 虹――。



 この七色の光こそが、石井が目指すものを示している。


「きっと彩雲となってくれる」


 七色に輝く雲を想像していた。


 雲家衛藤派の究極だ。


 ――行こう。


 今日はここまでだと、石井は鞄を背負った。玉鋼の重さにも、もう顔は顰めない。


 ――ホテル、探さないと。


 スマートフォンを取り出し、格安のビジネスホテルを探す。行楽シーズンを外しているのだから、今からでも見つかるはずだ。





 ――剣……剣か……。


 薄暗くなった夜空を見上げ、孝介は独り言ちていた。両親が残してくれた豪邸は、2坪程度の屋上と、階段スペースと半畳程度ではあるがペントハウスがある。


 柵にもたれ掛かり、天を仰ぐ。


 考えているのは、矢矯と共に作る剣の事だ。


 ――日本刀っぽい形をしてますが、剣身はタングステンカーバイドとコバルトの合金を使っているから日本刀じゃない。似た形の剣ですよ。


 矢矯と初めて会った日の言葉だ。


 そういって矢矯が抜いた剣の輝きは、今も覚えている。


 恐るべきスピードで振り下ろされた剣。


 その剣は、バッシュとルゥウシェを斬り捨て、孝介と仁和の命を繋いでくれた。


 百識としては劣等の、《方》しか持たない矢矯は、《方》だけでも《導》を操る百識と――六家二十三派に勝つ事ができると教えてくれた。


 ――百識に必要なのは、強大な火力でも、特殊な防御や攻撃でもない。


 バッシュの《導》を前にして、矢矯はこういった。


 ――最も必要なのは、自分の感覚を確実にフィードバックする事、単一行動を確実に熟す堅実さだ。


 その言葉が表すのは、矢矯の剣は扱いが難しいという事でもある。タングステンカーバイドとコバルトの合金も、それだけでは剣にならない。軟鉄と蝋付けする必要があり、そうして作った剣は、軌道が歪めば簡単にへし折れる。


 ――もらい物すら、どうなんだ?


 自分の技量で使えるのかと考えてしまうのは、今日の修練では剣の軌道をガタガタにしてしまっていたからだ。あんな軌道で、身体操作を使って加速させれば、ただ振るだけで折ってしまう。


 矢矯から教わった技術ですら、孝介は未だ仁和よりも下なのだ。


「……」


 孝介は溜息を吐くが、柵から背を離せずにいた。

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