第5話「持たざる者の強さ、持つ者の強さ」
翌日が石井にとっては最も厳しい日となる。格安ビジネスホテルのチェックアウト時間は午前9時だったが、昨日は日付が変わる前にはチェックインできたし、食事もそこそこに寝る羽目になっても、蘇ってきた「物を作る」という感覚が石井の身体に疲労感を残さなかった。
それでも3つ目の目的地は、この旅で最も厳しくなる場所だ。
霊峰・富士――。
神奈川県内のビジネスホテルからは2時間程度の距離であるが、こここそ車で寸前まで行ける場所ではない。
玉鋼の入った鞄を背負っての徒歩となれば、「登山」と括弧書きする事になる。
「……」
御殿場ルートから目指すのは、この富士山自体を御神体としている富士山本宮浅間大社の奥宮だ。
関東一円、どこからでも望める富士山は関東を本拠地とする侍――板東武者にとって重要な場所であった事は疑いない。
富士山という名前自体、士――侍に富む山と解釈する事もできる。
――刀を作ろうとしている以上、訪れるべき。
足に重さを感じつつ歩を進めていく。
強行軍を決めた時から、ここが一番の難所になる事は覚悟していた。本来、富士山の登山シーズンは夏だ。まだ雪が残っているシーズンに登ろうというのは、滑落や遭難の危険がある。
アイゼンとピッケルを駆使しても、背にした玉鋼の重さにバランスを崩しそうだった。
しかし、そこは腐っても六家二十三派出身の百識だ。競走馬さながらに血統主義、実力主義を貫くのは、《導》と《方》だけを重視しての事ではない。フィジカル面も当然、重要視される。人格者であるかどうかは別として、メンタル面の強さもそうだ。
ルゥウシェとて――矢矯を踏み付ける事の是非は兎も角――自分の置かれた状況に絶望したりはしなかったのだから、石井とて身体が辛いだけでは崩れない。
歯を食い縛り、一歩ずつ確かめつつ歩く。アイゼンの感触も、すぐに慣れた。
目指す富士山本宮浅間大社の奥宮が見えてきたところで、残雪のないところへ鞄を置く。
「リメンバランス」
ここで手に入れるのも、同じく光と闇の二つだ。
「オーダー――軍団の記憶」
この富士山の由来にもなった士たち。
板東武者の危機を好機に変え、また数々の戦勝、奇跡の逆転を呼び起こした霊峰の記憶だ。
だが富士にもまた闇はある。
竹取物語では、ここで不死の薬を焼いたのだ。
この富士山本宮浅間大社でも祀られている木花之佐久夜毘売は、姉である石長比売によって呪われ、それ故に人は短命になったとも伝わっている。
栄光を伝えた場所であり、同時に不死を失わせた場所でもある。
その陰陽の力も、親友と怨敵に捧げる。
「うぅ!」
石井は唸りながら、その栄光の力を玉鋼に込める。
ルゥウシェには栄光を――。
この刀によって、危機を好機に変え、奇跡の逆転劇を演じてもらうのだ。
その一撃は、必ずや怨敵に首を刎ねるものになる。
矢矯の命を刈り取る――。
その陰陽の力を、刃へと込めるのだ。
孝介が通うイラスト教室は、月に二度、第2と第4日曜日に開かれている。
今の精神状態では上達の遅いイラストを描く気は起きにくいのだが、それでも月謝を払っている事もあり、またここへ来れば孝介の理解者がもう一人、いる事も、教室に顔を出す理由だ。
「なるほど」
イラスト教室の合間に相談を受けた弓削も、孝介にとっては相談できる理解者だ。
寧ろ自分の弱みを見せるには、身内の仁和や師の矢矯よりも弓削くらいの距離感が丁度良かったのかも知れない。
それでも弓削は鷹揚に頷いたが、考えこまされもした。孝介が陽大に感じている感情は、寧ろ劣等感といった方がいいくらいだ。
――しかし弦葉くんが聞いたら、寧ろ弦葉くんの方が劣等感を抱きそうなものだが。
孝介の悩みは贅沢だといえる。少なくとも守る程の何かを親から遺された者など、今の世の中、多いとはいえまい。陽大が何も持っていない事を羨んでいるのならば、それこそ神経を逆なでするような話だ。
弓削とて持ち家ではあるが、それを手に入れる為に払った代価は高い――安いはずがない。
そういう意味では、弓削にこんな悩みを打ち明けた相手が孝介のような若年者でなかったならば、「知るか」の一言以外になかった。
だが孝介からの相談ならば、そんな気持ちは起こらない。
「何か……俺は、舞台に上げさせている側にいるような……そんな気分になるんです」
両親が遺した家を守るため、という理由は、孝介にとっては弱く感じている。
自分の意志で上がってしまった――そう考えているから、舞台に上がる理由の弱さを、より強く感じてしまっている。
「そういう言葉はおかしいでしょう」
だから弓削はいう。
「ご両親の遺したものを守りたいと思うのは当然の事だと思いますよ。手放せば戻ってこないから守ると思ってしまっているのでしょうけど、そうじゃない。ご両親が遺したものだから守りたいんですよ」
その為に選んだ手段は、決して真っ当なものだとはいえないし、簡単な方へ流れてしまったともいえるのだが、「だからバカだ」とは弓削はいえない。
「でも、俺は……」
孝介の悩みは深い。
「的場くんはさっきから、自分にできないとばかり言っていますけど、一体、これから君の人生は何十年あると思ってます? 寿命の4分の1も生きていないのに、できない事が多いのは当然です」
「それは、そうなんですが……」
孝介が言葉に詰まる。
しかし言葉に詰まるのは、頭に何も浮かばないからだ。
「矢矯さんが17歳だった頃に比べると、どうでしょうか?」
弓削が出した言葉は、孝介と矢矯を比べればどうかという事。
「矢矯さんが?」
考えた事がなかった。だが考えた事がなかったが故に、孝介も思考する事ができた。
「矢矯さんが17歳の頃なんて、多分、何も持ってなかったですよ。家は勿論、車も。持っているからこそ、的場くんは責任があると感じられるんです」
弓削は首を傾げながら、上手い言葉はないものかと考え、
「持っていないから弦葉くんが強いというのは、確かにそうでしょう。弦葉くんは、何も持っていなかったから、自分で手に入れなければならなくて必死になってます」
陽大が持つ強さは何かと考えれば、今、自分の手の中にあるものは全て、自分で学び、手に入れてきたものだという矜恃だろう。その矜恃故に、見守ってくれる事を強さとできる。舞台の上で崩れ落ちた時、自分を見つめてくれていた両親や神名の存在を感じ取り、最後の力にできた理由だ。
孝介にはないかも知れないが――、
「でも、それと同じくいえる事があるんですよ」
弓削は孝介にしかない力もあるという。
「的場くんは、ご両親が遺したものがあり、お姉さんがいます。それを何としても自分で守らなければならない。そのための手段が舞台であり、《方》なのでは? そして、それを教えてくれる矢矯さんがいる――弦葉くんに負けない、持っているからこその強さですよ」
弓削の言葉は、言外に告げていた。
矢矯は、教えてくれているはずだ、と。
もし孝介に光る者があるとすれば、この言葉で矢矯の教えを思い出せる事だ。
矢矯はいった。
――男は女の2倍、3倍の事ができないと死ぬぞ。
仁和は孝介を守るために、どんな手段を講じられる。初戦で乱入できたのは、そのためだ。
今後も、それに頼るか?
――いや、できないだろ。
仁和がいるから、いざという時は仁和が来てくれると安心できる孝介ではない。
仁和は今も、孝介を守らなければならないと考えている。孝介と同じ悩みなど、抱く事こそが贅沢というものだ。
だから仁和は、女があらゆる手段を講じる事を許される前提条件「弟のために」が整う。
――じゃあ、俺は?
孝介には、「姉のために」という前提条件で行える事はあるのか?
「俺は……」
混乱は深まった。
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