第6話「恨みの心得」
富士山から下りた時点で日は中天を過ぎ、傾きかけていたのだが、石井は一服する程度の休憩を挟んで移動を再開した。残雪ある富士山を登る事は重労働だったが、今日は距離を稼ぎたい。
もう一度、北へ移る。
約180キロを3時間かけて移動した先は、埼玉県だった。
秩父神社。
埼玉県ならば神奈川県から直接、移動した方が早いのだが、そうはいかない。
「道筋に意味がある……」
自分にいい聞かせるように、石井は呟いた。初日に700キロの大移動をし、翌日は富士山に登り、小休止とすらいえない休憩の後、また180キロものドライブとなれば身体に堪えた。痩せているとはいえない、寧ろ気にしていなければ勝手に増え始める体重と年齢であるが故に、強行軍は肉体的な負担が大きい。
――コーヒーの一杯も欲しいところだけど。
ハンドルを握ったまま閉じてしまいそうになる瞼を、気合いで開く。直線ばかりでアクセルしか踏む必要のない高速道路は、特に眠くなってしまう。
傾いていく太陽が左手にあるのが、ある意味ではありがたかったかも知れない。バイザーを下ろしても、その西日は目に入る。眩しさは、何とか石井が夢の中へ落ちてしまわないように繋ぎ止めてくれていた。
ここまでの道のりを考えれば、大した事のない距離だといい聞かせて到着した秩父神社で、とりあえずは一息、入れる。近場でカフェを探すという程の余裕はなく、自販機で微糖の缶コーヒーを買うくらいだったが。
少しだけでも回復したところで、石井は愛車から玉鋼を下ろす。
「リメンバランス」
石井の《導》が結ぶ像は一つ。
この場で得る力は、今までの三つとは違い、同一のものの表裏だ。
「ポラリス――北辰の記憶」
像は剣を手に、甲冑を身に着けた姿を取っていた。
石井がイメージした妙見菩薩の姿だ。
この場でイメージする妙見菩薩は、平将門の守護を約束した存在であり、将門が新皇を称すると敵に回って滅ぼした存在。
そのイメージを玉鋼に宿す。
――椎子に守護を!
承平における戦いで悉く勝利をもたらしたように、絶対的な守護をルゥウシェに。
――裏切り者に死を!
ルゥウシェを裏切り、刃を向けてきた矢矯を滅ぼす力を宿す。
「ッ!」
手に余るとは、この時、一瞬だけ思った。
雲家衛藤派の《導》は雲のように形がなく、どんなものにもなれるからこそ、このリメンバランスは万能だと自負している。
ルゥウシェは二つの《導》を重ね合わせる事により、基の身体をねじ切ってしまう強大な力を発生させた。
重ね合わせられる回数は不明であるが、回数が増えれば増える程、強力になるのは間違いない。
――4回……4回か……!
辛くなっていくのも当然かと、石井は歯を食いしばった。ルゥウシェが基に浴びせかけた《導》は2度。その2度で呼び起こされた力でさえ、今までになく強いものだった。乙矢の攻撃によって不発に終わったが、3回目の重ね合わせが成功していたら、基の身体は肉片すらも残らなかったのではないかと思わされた。
今、石井が行っているのは、ルゥウシェが放った3回よりも多い。
ルゥウシェも3回は楽に出せていたのだ。
もし4度目があれば、どうだっただろうか?
「いいや!」
ルゥウシェと自分のどちらが格上であるかなど、頭の隅空すらも追い出す。
――格上だから耐えられる、格下だから耐えられない、そんな考え方は、百識である事が自分のアイデンティティでなくなった時、捨てたはずでしょ!
雲家衛藤派の矜恃で耐えているのではない。
親友のために耐えているのだ。
耐えられるはずだ。
――もし今まで《導》が錆び付いていなかった事に意味があるなら、椎子のためだったんだ。
4つ目のイメージを押さえ込み、玉鋼へと封入する。相乗効果か、虹の輝きが強くなった気がした。
「……」
へたり込みそうになるが、石井は堪えた。
――上に乗っちゃダメ。
丁度いい位置にあるが、玉鋼を入れた鞄に腰掛ける事は許されない。イメージを操る石井である。これを尻の下に敷く事は、不浄なイメージを植え付けてしまう。
縋る程度は許されたとしても。
「……後、3カ所……」
ふぅふぅと肩で息をしながら、石井は西を見つめた。
3カ所――それで玉鋼に宿った虹の色と同じだけの《導》が玉鋼に宿る事となる。
――あと3カ所……。
縋っていた鞄を持ち上げながら、石井は一度、深く深呼吸した。4度の重ね掛けでも身体に堪えた。それをもう3度も繰り返すとなれば、もう余裕はない。
――椎子が、敵を斬り捨てられる武器を……。
深呼吸し、キッと前を見据えた石井の目には、剣呑な光があった。
石井にとっても、ルゥウシェの活路を塞いだ矢矯は、この世から消さなければならない相手となっていた。
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