第16話「命と心の天秤――5対7」
安全圏へと脱出した
その痛みすら歪んで感じさせられる程の呪詛が身体を駆け巡った。
頭痛ひとつ取っても、締め付けられるものと、中から膨れあがろうとする痛みの両方が襲いかかってくる。
その頭痛は方向感覚、平衡感覚にも作用しているのか、自分が立っているのか、倒れようとしているのかも分からなくなっていく。
――これが、孝介も受けてるっていう呪詛!
確かに日常生活どころか、寝る事まで支障を来す。戦闘など以ての外だ。
追撃が来れば危うかった。最大の《導》が遠隔攻撃である美星であるから、ここでラディアンやエクスプロージョンが発動していれば、仁和に致命傷を負わせていたはずだ。
「……」
――斬るのは、その目障りな剣をへし折ってから!
その想いがあった。
感知の《導》を使い、接近を挑まなければならない事は、美星にとって屈辱以外の何物でもない。矢矯の戦闘方法をトレースしているような、そんな気分にさせられるのだから。
――来い!
目に力を入れる美星だったが――、
「?」
そこに油断があると仁和は直感した。
呪詛に蝕まれ、深手を負わされた身体だが、仁和はしっかりとした意識を保持していたのだ。
仁和は
弟を守る――その条件がある限り、どのような手段も講じる強さを発揮できる。
ありとあらゆるものを自分の中から引き出していく。
その全てが仁和に告げた。
――美星は、感知の《導》を使っていない?
美星から嘲笑が消えた。
仁和の思考に対する返事がなくなった。
その表情にあるのは、激しい嫌悪。
――自分のスタイルが、ベクターさんの得意なものと同じになってる事への嫌悪!
そして、こうも饒舌になっている仁和に対し、何のリアクションも返してこない事が、何より雄弁に美星の状態を語っている!
――二つ同時に使えない!
仁和が出した結論だ。
三番手の美星は、センチュリオンとオールインの二つのリメンバランスを同時に使う事ができない。
ならば今の美星は、仁和にとどめを刺す機会を伺っているのだから、攻撃のリメンバランスを待機させている。
――勝機!
ミスだと仁和は断じた。しかも致命的なミスだ、と。
美星は呪詛が仁和の自由を完全に奪ったと思っている。もう一度、センチュリオンを使って保険をかけておくのが正解だったが、それを怠った。消耗を避け、また恨みを優先した。
――目障りな剣をへし折って、可愛い可愛い教え子を血祭りに上げて2連勝!
それが美星の狙いだ。
――欲が目を曇らせた!
立ち上がる仁和は、そこで使った。
矢矯が孝介には教えられなかったが、呪詛を打ち破る念動の《方》だ。
――吸収と、放出!
身体の中で、念動による渦を二つ、作り上げる。仁和の念動も、1メートルも離れればティッシュ一枚、持ち上げる事ができなくなる程、弱いものだが、身体の中で発生させた場合、爆発的に強くなる。その強さに任せ、呪詛の流れを強引にねじ曲げてしまうという手だ。
孝介は呪詛を整流する方へ頭を回したが、矢矯は整流して止めるのではなく、飲み込んで消費させてしまう方法を取らせた。
――そもそも、ベクターさんから教わった剣は、身体の左右に二つの軸を作って、それを旋回させる事で力を発揮させるフォーム! 相性は良い!
回転方向の異なる二つの渦は、一つは呪詛を吸引し、もう一つは放出する方向に回転させる。
回転、そして慣性に巻き込まれた呪詛をコントロールするには、より厳密な感知を必要とするが、その全てを仁和は矢矯から受け取っている。
その上で、呪詛を念動の力として発現させ――、
「我が刃――」
一気に最大戦速まで加速させるに十分な強さがあった。単一行動を確実に熟し、自身の感覚を性格にフィードバックする矢矯の《方》は、仁和を引き上げた。
「極限まで研ぎ澄ませれば――!」
美星が目を剥く。センチュリオンを解いてしまったのは悪手だったが、維持していたとしても、この突撃は盾で殴った程度では止まらない。
「断ち切れぬものなど――」
間合いに侵入した仁和は剣を――振り下ろせなかった。
断ち切れぬものがあったのだ。
――何で!?
自分で自分に問いかける。
何故、振り下ろすだけで事足りる事ができないのか。
――何で!?
声すら出ないのは、身体の全てが拒否したからだ。
拒否した理由は、その声を耳に蘇らせる事で明かされた
――私は今でも、メイさんの事が好きなんですから。
矢矯が愛しているといった女だからだ。
勝利と引き換えにできない。
それ以前に、仁和を最強にしていた条件が崩れてしまったのだから。
弟の命を守れても、聡子の命を守れても、慕う相手の心を守れない。
「リメンバランス」
美星の声が《方》を呼ぶ。
「オールイン――決戦の記憶」
その《方》は《導》に変わり、仁和を貫いた。
仁和敗北――5対7。
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