第6話「安土の出番」

 ベッドに寝かされた基の遺体を見て、安土は落ち着かない様子で何度も唇を嘗めていた。緊張からか、やたらと乾く。


 ――さぁ、どうしましょうか? 事故か病気か……。



 舞台での死亡者の処置も、世話人の仕事だ。



 直接、関わっていない安土だが、押し付けられる程度の地位だった。


 女医の《方》で修復された基の身体は、妙な具合に損壊している。バラバラであったなら、それこそ電車との接触にでもしてしまえばよかったのだが、この状態では事故とも言えない。どこから転落しようとも、自動車と接触しようとも、こんな損壊にはならない。


 ――もう一度、傷つけますか?


 知識も技術も完璧ではないが、安土に考えつくのはその程度だった。


 しかし決断しようとした瞬間、安土の鞄でスマートフォンが鳴動した。



 表示されているインジケータは、安土が世話人として百識を管理するために作ったアプリケーションのものだった。



 告げているのは、小川が百識を呼び寄せた事。


「!」


 スマートフォンに飛びつく安土は、基の処置など頭の片隅からも追い出した。


 ――緊急!


 安土にとって、生命線とも言える通知だからだ。


 世話人の中で、最も情報収集に長けた者が誰であるかは分からない。舞台の運営は把握していても公表はしていないし、組合がある訳でもないのだから、世話人同士の繋がりは「顔見知り」だけだ。


 そもそも、そこまでして他の世話人と繋がりたいと考えている者も少数であるし、SNSで繋がって情報交換など、鼻で笑い飛ばす者が殆どだ。


 

 ただ、安土が希有と言える程、情報収集に熱心であるのは間違いない。



 ――わざわざ北海道から呼び寄せた?


 その夜の段階で、小川が呼び寄せた百識についての情報を得ていた。


 ――涼月 那、明津一朗……。


 二人の出身は北海道となっている。


 ――和歌山?


 アヤは違うが、那とアヤの出自を辿れば、六家二十三派に繋がるのだから、情報網には乗りやすい。


 そして小川が狙っている組み合わせも、自分が関わっているチームなのだから掴める。


 ――矢矯さんのところに来るでしょうね。


 そう読めたのは、安土の才覚だと言えよう。小川が失地回復を狙うとすれば弓削、陽大、神名のチームが先に浮かぶが、そこが後回しになるはずだと読んだ。この三人を小川が思い通りに御せる思えなかったからだ。女系、女権の六家二十三派は、とした能力で人を見る。小川が思い通りにできる駒ではない。


 ――最新のデータがあるのは、的場姉弟の方ですから。


 そのデータを元に算盤を弾けば、この2チームで優先すべきはどちらであるか明白だ。


 ――ただ、矢矯さんを殺させたら、ルゥウシェが黙っていないでしょうから、矢矯さんは前回と同様に排除されますか……。


 そこで僅かに思案顔をさせられるが、回答は簡単に出てくる。





 今も孝介と仁和は昼間の営業をしていない銭湯を練習場にしていた。孝介と仁和に才能があるかどうかは分からないが、矢矯は才能を重要視していない。


 ――反復練習。反復練習。


 自分へ言い聞かせるように心中で呟きながら、孝介は鏡に映る自分のフォームを注視していた。鋳型に入れて鋳造するとはよく言ったもので、弛まない反復練習が孝介の生命線だ。


 刃を最短距離で走らせるからこそ、スピードが活きる。


 仮に矢矯と同じ時速1200キロを出す事ができても、この軌道がブレていてははやさと言うレベルにまで発展させる事はできない。


「休憩しながらした方がいい」


 矢矯が声をかけるまで、孝介は床に滴り落ちる程、汗を掻いている事を自覚していなかった。


「――」


 そして声が出ないくらい、喉が渇いている事も、だ。


「はい、どうぞ」


 苦笑いしつつ、仁和がペットボトル飲料を投げ渡してくる。


「おっと」


 それを落とす事なく受け取ると、思わず矢矯からも拍手が起こった。



 最早、約束事の中でしか使えない《方》ではなくなったのだ。



「ん?」


 孝介は。これも自覚していなかった。


 だが矢矯が求めるものが、これである事は間違いない。


「意識しなくても《方》が使えている」



 生活に《方》を使う――それができているという事ではないか。



 そして拍手は、もう一人分、あった。


「……安土さん」


 矢矯が目を向けた先で、安土が手を叩きながら立っていた。


「それだけ能力を持ってる人が手を貸してくれるのは、幸運でしたよ」


 練習場代わりの脱衣場へ入ってきながら、安土は矢矯、孝介、仁和の順で笑みを向けていった。


「埋もれて、しかも全てをルゥウシェに投資していたなんて事は……不幸でしたけど」


 ――それは言わなくてもいいのに。


 仁和はそう思ったが、何も意味もなく言う安土ではない。


「メイさん――」


 矢矯は曖昧な、苦笑いとも嫌悪とも取れない顔を浮かべ、安土とは逆の順序で視線を巡らせた。


「美星さんの事が、好きだったんですよ」


「でも、何をされたかと言えば、酷い話でしたけどね」


 どれだけ手酷い扱いを受けたかは、安土の口から直接は言わないが。


「美星さん……、どれだけ考えてくれたんでしょうか?」


 身体と顔は矢矯へ向いているが、言葉と視線は孝介と仁和へ向いていた。


「好きな事を知っていたんでしょうか? 嫌いな事を知っていたんでしょうか? 知っていても、無視しなかったんでしょうか?」


 言葉には隠しきれない刃があった。


「知っていながら、そっとしておこう、と自分に言い訳をして、どれだけ行動を拒否したんでしょうか?」


 しかし、その刃は、美星が矢矯にした事を切り裂くために出したものではない。



 孝介と仁和に対し、突きつけているのだ。



「……止めて下さい」


 矢矯が立ち位置を変え、孝介と仁和を安土から隠した。



「私は今でも、メイさんの事が好きなんですから」



「!?」


 何を言い出すんだと言う顔は、仁和が最も強かった。


「……」


 仁和の顔に気付いた矢矯は肩を竦め、


「人を、なかなか嫌いになれないんですよ」


 考えてみれば、矢矯が美星へと加えた攻撃は、顎先へのかち上げ――殆どダメージのない攻撃だけだった。


 逆に言えば、矢矯を本気で怒らせたルゥウシェとバッシュが、どれ程かも分かる。


「だから、孝介くんも仁和ちゃんも、矢矯さんは嫌いにならないって事ですよ」


 重要な事はそれだけだ、と安土は一度、大きく手を叩いた。


 切り出したい話は、次だ。



「そんな二人に、また近々、制裁マッチが組まれます」



「……」


 矢矯の目が鋭さを増した。


「その為の百識が来ましたから。そして矢矯さんは、また除外されるでしょう」


「おい!」


 無礼と自覚しつつも、矢矯は声を荒らげていた。


 それは安土にとって話が早い。


「今度は除外されるのは拒否しますか?」


「当たり前です」


 その言葉が聞きたかった。


「では手を打てます」


 小川が相手ならば何とでもできる、とまでは言わないが、言外に言っているように告げていた。

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