第16話「言わせてはならない言葉」

 ――即断即決は正解だった。


 客席の一角から見下ろしている小川は、今回は失敗しなかったとほくそ笑んでいた。安土あづちがバックについていたとしても、この小一時間程度の事では動けなかったはずだ、と分析していた。


 現実はどうあれ、待ち構えるはじめへ、ブルーのカクテルレーザーを背にしたルゥウシェが向かうと言う構図は、客席を沸かせている。


 前回は矢矯やはぎ一人に3人が敗れると言う失態を見せたが、それでも《導》を操るルゥウシェの人気は衰えない。


 ――失地回復のため、同じ場所を選んだのも正解だったな。


 より大きく歓声が耳に入るように目を細める小川は、陽大あきひろの時と同じ気持ちに回復していた。


「舞台に上げるなら、悪人がいい」


 それが小川の信念だ。


 ――不当に罪から逃れた弦葉つるば陽大あきひろは断罪できなかったが、妊婦の食べ物に毒物混入するような奴は、これで決まりだ。


 基と繋がっている世話人がいない事は確認した。世話人がいても、安土のように百識ひゃくしきをコーチ役に就ける所までフォローする者は少数であるが。


「え……? え……?」


 基は呆然と立ち尽くすしかなかった。


 野天のスタジアムであるのに響くように聞こえるシンフォニックメタルは、ネットで「厨二病臭い」と言われるような、仰々しい言葉と外国語混じりの歌詞。


 その隙間に、耳へ聞こえてくる声は罵声。


 足はとっくの昔にすくんでいた。


 座り込んでしまわないのは、それすら選択できないくらい、基は場に飲まれてしまっているからだ。


 眼前を歩んでくるルゥウシェの衣装も異様だ。前回まで来ていたクロークではない。赤漆を思わせる色の脚絆きゃはんと鎧、肩当てと言う姿。その左手には鞘に入れた刀を握っているのだから、鎧武者のコスプレを思わせる。


 客席には矢矯への復讐戦に向けて剣技を磨いてきたのだと印象づけられ、歓声もあがっており、その全ての要素が基の身体を雁字搦がんじがらめに縛っていく。


 ルゥウシェがステージに上がる。


 特に合図はないが、後から来る者がステージに上がる事で開始となる。


「!」


 基は目を見張り、続いて悲鳴を上げた。



 激痛に。



「あ、あー! あー!」


 まだ変声前の高い悲鳴は、血と共に辺りにまき散らされた。





 その日は、真弓まゆみも学校を早退しなかった。基が頑張っているのだから、自分も基の事だけでなく、自らの事もしなければならない、と思ったからだ。基の事は気になるが、乙矢おとやと違い、気の利いた事を言ったりしたりできる訳ではない。


「あれ? 鳥打とりうちくんは?」


 今日も夕方までは乙矢の店で本を読んでいるだろう、と思っていた真弓だったが、その期待は裏切られた。


「今日は来てないわよ」


 休憩スペースでレモネードを飲んでいる乙矢は、昨日のピクニックで基の気も紛れたのだろう、と考えている様子だった。


「……大丈夫?」


 しかし真弓は乙矢とは真逆の事を考えていた。



 気が紛れたとしても、こんな状況で一日、学校にいられるだろうか?



「私なら……無理かなぁ。だって先生もグルだった訳でしょう? それで、校長先生が朝礼で、鳥打くんは犯人じゃないって言ってくれたとしても、それ自体、ハメてる方からしたら頭に来る話だし」


 嫌がらせは治まるどころか、もっと陰湿になって行くはずだと言うのは、一理あるはずだ。


「……」


 乙矢もグラスをテーブルに置き、首を傾げる。


 占い師を生業とし、魔法使いの異名を取る百識・乙矢も、全知全能という訳でも、未来を全て見通せる目と耳を持っている訳でもない。


「葉月さん、占ってよ」


 真弓は何気なく言ったのは、いつも乙矢がやっているような人生相談ではない。



 魔法を使って基を探してくれと言う意味だ。



「……」


 乙矢はグラスに残っていたレモネードを飲み干すと――、


「ちちんぷいぷい、ビビデ・バビデ・ブゥ」


 いつもの通り呪文を口にした。


 出て来た答えは……?





 飛び散った血で、顔が汚れていく。


「手……、手ェ!?」


 基が眉をハの字にし、涙で歪む目で見る右手は、肘から先がなくなっていた。



 ルゥウシェが刀を抜き放った一撃だ。



 基の右手は、舞台の片隅に吹き飛ばされていた。


 激痛と共に、焼けただれた鉄板でも押しつけられたかのような熱さが傷口に走り、それと共に身体が冷たくなっていく感覚が来る。


 寒いと感じたのは、もう少し後だった。


が――」


 ルゥウシェの目が基に向く。


「高い!」


 その言葉を、基は倒れ込みながら聞いた。


 何が斬られたのか分からなかった。そもそも自分が倒れた事すら理解できなかった。突然、壁際まで吹き飛ばされ、激突したような感覚だったのだから。


 平衡感覚が異常を引き起こす程の重圧だった。


 胃から苦いものが逆流してくる。それに逆らう事はできなかった。


 しかし吐き出したのは反吐へどではなく、血。


 そこで基は、自分が失ったのが両足だった事に気付いた。


 血反吐混じりの口を開き、出た言葉は――、



「ごめんなさい……、許して……」



 懇願だった。


 しかし場違いだ。


「ごめんなさい……。ごめんなさい……」


 か細い声は、歓声に掻き消されていたが、間近にいるルゥウシェには届いたはずだ。


 だがルゥウシェは両手を広げ、見得を切るような格好を客席へと向けていた。


 そこで基は思い知った。



 今、自分が上げられている舞台は、学校とはレベルが違う地獄なのだ、と。



 ――見てない……。この人、僕の事なんて見てない……。


 這いつくばるのは初めてではないが、これまで基を這いつくばらせてきた相手は、皆、基を見下し、笑っていた。


 だがルゥウシェは基など見ていない。


 それが意味する事は一つ。



 これが本当にという事だ。



 クラスメートは基を生け贄役と見てきた。生け贄とは「人間」の役目だ。ウサギやネコでは務まらない。


 しかしルゥウシェは、基を生け贄役とすら見ていない。



 排除すべき「物」なのだ。



 道を塞いでいる瓦礫と同じだ。


 尻を拭いた紙を流さないバカはいない――敢えて言うならば、こう言う表現になる。


「ごめんなさい……助けて……。ごめんなさい……」


 それでも言うしかない。言う以外に、基にできる行動がないのだから。


 向けられたルゥウシェの目には、果たして何がどう映っていただろうか。



 その顔を見上げるには、基の気力と体力は足りなくなっていた。



 痛みよりも寒さを感じていた。


 身体を持ち上げられた感覚と、そしてルゥウシェの声が聞こえた。


「スパロー――飛燕ひえんの記憶!」


 基の身体を貫く一撃。


「ゲイル――陣風じんぷうの記憶!」


 横薙ぎに振るう一撃。


 その二つの攻撃には《方》が込められており、二つの《方》が重なる時、湾曲させようとする《導》へと変わる。


「ごめんなさい! 許して! 許して!」


 基は力の限り叫んだ。それは周囲から聞こえてくる、呪いの声への抵抗だった。



 声は「もう終わりだ」と言っていた。



「許して……許して!」


 ルゥウシェの《導》が、基の身体を歪めていく。捻り、曲げ、あらゆる方向へ湾曲させていこうとする。痛みなど感じている事すら贅沢だった。


「!」


 ルゥウシェの目に、鋭い光が宿る。


「ダイヤモンドダスト――」


 自分が最も得意とする、氷の《導》を向ける。


 だが発動する寸前だ。


知仁武勇ちじんぶゆう御代ごよ御宝おたから


 百識であるルゥウシェの耳には、その声が届いた。


 無理に《導》を放とうとする身体を制し、防御する態勢に入るが、頭上から降ってきた何かは、とんでもない轟音と衝撃を伴い、ステージを深々と穿うがった。


「!」


 上空を見上げるルゥウシェは、そこに見る。



 乙矢だ。



 巨大な剣を両手に持っている乙矢が、宙に浮いていた。だが、その距離は、200メートル近い。


「知仁武勇、御代の御宝」


 もう一度、乙矢が呪文を唱えると、眼前に黒い球体が現れる。


 それを両手の剣で挟み込んだかと思うと、次の瞬間、球体が発射された。


 いや、発射された瞬間は見えなかった。


 もう一度、ルゥウシェと基の中間に球体は激突した。


「レールガン……超電磁砲……」


 その正体にルゥウシェが驚愕するが、乙矢はフンと鼻を鳴らし、


「レールガンの正確な和訳は電磁投射器。けど、日本語にはもう一つ、いいのがあるわよ」


 もう一度、球体を作る。


「知仁武勇、御代の御宝――」


 剣に走る青白い光は、電流だ。



「波動砲!」



 回避できるかできないかではない。ルゥウシェも逃げるしかなかった。


「鳥打くん!」


 基へと真弓が駆け寄る。


「……」


 基の顔が、真弓へと向く。


 もう声が出なかった事が口惜しい。


 言いたかった言葉があった。



 ――久保居さん……大好き……。



 届きもしないのに、助けて、許して、と言えたのに、この言葉を届けられなかった。


 言わなくてよかったのに、ごめんなさいと言えたのに、何故、この言葉だけ言えないのだろう。


 基の意識は、そこで途絶えた。


「うわあああああ!」


 湾曲し、はじけ飛んだ基を、真弓は抱きしめようと両手を伸ばしていた。


 何を掴め、何を掴めなかったのかは分からない。


 ルゥウシェの勝利が宣言された。ルゥウシェが自分の勝ちだと主催に告げ、認められたのだろう。


 真弓は――、


「お前……お前は、絶対に、許さない!」


 叫んでいた。


 さて、それをルゥウシェがどう思ったかは、真弓には分からない。


 ルゥウシェが思ったのは、真弓も基も関係なかった。


 ――これで、当座はしのげる、か。バッシュとメイの治療費も、維持費も。


 まず金の事。


 そして――、


「あのクソを、斬れる」


 矢矯を殺す事だけだ。

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