第4章「斬ると決めた日」

第1話「巡っている何か」

 早朝のウサギ小屋を、まだランドセルを背負ったままの女児が覗き込む。


「あ、赤ちゃんできたね」


 ウサギ小屋の中に段ボールで作った隔離スペースに、小さいウサギが生まれていた。


「よし、別のおうちへに行こう」


 ランドセルを地面に置き、中から小屋の鍵を取り出す。ウサギは妊娠したらオスウサギとは隔離し、出産後は親子だけで生活させなければ子育てに集中できない、と図鑑で調べていた。


「頑張ったね。頑張ったね。お母さんも赤ちゃんも、頑張ったね」


 別の段ボールに古いバスタオルを敷き、そこへそっと母ウサギと子ウサギを移す。


「そっと、そっと……」


 他のウサギを刺激しないよう、静かに小屋から出て、別の小屋へ入れる。さっきの小屋よりも小さく、作りも雑であるのは、手作りだからだ。


「お母さんのご飯は、後で持ってくるね」


 大丈夫だよと、一度、母ウサギの頭を撫でた後、もう一度、大きな小屋へ。


 掃除が必要だ。飼育環境の維持が必要なのは、ウサギだけに限らない。糞の大腸菌など、有害なものを放置すれば、ウサギだけでなく人間にも影響がある。


「補修が必要な箇所が増えてますね」


 そんな女児の背後から男の声がした。振り向けば長身の男が、ウサギ小屋を支える支柱に手をわせていた。上はリネンシャツ、下はサスペンダーで吊したトラウザースと言う男の身体は、180センチを優に超える長身に筋肉質。神経質そうにも見える反面、優しさを感じさせる相貌を持つ彼は、傷んでいる箇所を軽く手で押し、どの程度の損傷かを確かめていた。


「あんまり押さないの」


 そんな男と女が並んでいた。女はウサギ小屋に手を這わせず、点検は目視でやる。男に比べれば背が低く、女性としては平均的な155センチというと頃か。しなやかな肢体にブラウスとプリーツスカートを身に着けた女は、男とは好対照と言えるだろう。


「掃除していこう。ペテル、カミーラ、手伝って」


 女児が掃除道具を手に取ると、二人は同じくうやうやしい礼の姿勢を取った。こう言った飼育小屋の清掃は当番制のはずだ。一人だけでは手に余る。


 しかし女児は一人なのだから、ウサギ小屋の清掃当番ではない。



 自主的な行動だ。



 ペテル、カミーラと呼ばれた二人は「はい」と返事したのだが、唐突に姿を消す事になる。


「あ……、本筈もとはず聡子さとこ……」


 女児を見つけたのは、登校してくる途中のクラスメートたち。


 嘲笑が混じるのは、当番でもないのに掃除をしている女児――聡子の姿が滑稽こっけいであるからだ。掃除用具を持っている姿だけでなく、その声が聞こえた途端、ペテルとカミーラの姿が消え、代わりにクマとネコのぬいぐるみが転がっている事も指している。


「クソ女。クソ女。臭ーい」


 鼻を摘まむジェスチャーを残し、クラスメートは校舎内へと消ていく。


「……」


 それを無視し、聡子は掃除を再開する。


 クソ女――ウサギの糞を指している。


 当番制にしても等閑なおざりにしか掃除をしないのは、この臭いに寄る所が大きい。当番外の聡子が掃除を始めた理由は、その等閑さに嫌気が差したからだった。その行動はクラスメートには嫌みと映り、付いたあだ名が「クソ女」とは何とも安直なものではないか。


鳥打とりうちも消えちゃったし、今度はアイツの名前、書いてやる~?」


 笑い声が遠ざかっていく。


 ――鳥打とりうち はじめ……?


 その名前は、聡子も知っている。


 隣のクラスにいた生け贄役だ。



 ――私と、同じ……。



 聡子もまた、自身のクラスの生け贄役だ。


「掃除しましょう」


 背後からペテルの声がした。クマのぬいぐるみが消え、掃除道具を持ったペテルが立っていた。


「そうよ、そうよ」


 カミーラの声も。ネコのぬいぐるみが消え、カミーラがいる。


「うん」


 聡子は振り返り、掃除を始めようとしたのだが――、


「待って!」


 カミーラが慌てた声をあげ、ペテルに「迂闊!」と声を荒らげた。



 カミーラが何を見つけたかというと、冷たくなってしまった子ウサギだった。



 聡子に見せるなと言ったのだ。


 ウサギ小屋で飼う際、オスとメスを分けなければならない理由が、これだ。狭いウサギ小屋でオスとメスが混ざっていては、メスは簡単に育児放棄してしまう。その結果、このような悲劇が起きる。


「……」


 聡子は掃除用具を置くと、小屋の外に置いていた鞄から新品のバスタオルを取り出した。


 それで優しく子ウサギを包む。


「あとで、友達のところへ連れて行ってあげるね。寂しくないからね」


 聡子は死んだウサギを見つけると、ペット墓地へ連れて行く事にしていた。


「すみません……」


 聡子に悲しい思いをさせてしまった、とペテルが頭を下げるが、聡子は「ううん」と首を横に振った。


 しかしタオルで包んだ子ウサギを抱えながら、思った。



 ――鳥打くんも、亡くなった?



 何か確信のある話ではない。


 しかし、その直感は……?

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