第2話「的場姉弟再び」

 聡子さとこほうむった子ウサギが亡くなった夜に話を戻すと、舞台ではもう一悶着があった。


 医務室で待っていた女医は、駆け込んできた乙矢おとや真弓まゆみを前に溜息を吐かされた。


「無理」


 二人が女医に要求したのは、はじめの治療だった。


「確かに、《方》を使った治療は、腕だろうが足だろうが、繋げる事ができる。でも足りないものを作る事はできない」


 湾曲し、砕けてしまった基の身体は、欠損部位がある。それを補う事はできない。


 何よりも――、



「死んだ人間を生き返られる《方》なんて、聞いた事もない」



 基が落とした命は、どうしようもない。


「……じゃあ、せめて身体を元に戻してよ……。こんなの……」


 真弓は歯が鳴る音を止められなかった。


 後、数分でよかったのだ。


 数分、自分たちが早く到着していれば――いや、乙矢の《方》が30秒でいいから早く放たれていたならば、ルゥウシェは基にリメンバランスを放てなかった。


「……」


 女医は基の遺体を一瞥するだけだが。


 ――死に化粧は、医者の仕事じゃないけれど。


 無駄な事だと口にまでは出さないが、今更、それを行ってどうするのだ、と言う気持ちは顔に浮かべてしまう。


「札束を積めば、やってもらえるのかしら?」


 乙矢の言葉も乱暴だが、それだけ必死なのだという事は分かった。


「……やりましょうか」


 立ち上がる女医は、基の身体に《方》を浴びせていく。《導》によってバラバラにされたのだから、全てをかき集められた訳ではない。再生していく基の身体は、眠っているように安らかな姿とはならなかった。


「ッ……」


 思わず真弓が逸らした目に、涙が伝った。


「真弓ちゃん」


 乙矢が手を伸ばし、真弓の身体を抱き寄せた。


 真弓は乙矢の肩に顔を埋め、


「鳥打くんの一生に、どれだけの幸運があって、どれだけの不幸があったのか知らないけど、分からないけど……」


 声を震わせた。


「こんな最期を迎えなきゃいけなかったの!?」


 基が何をしたというのか。


「……」


 乙矢も言葉はない。


 基に責任のある話ではない。


 ――もし原因があるとすれば、私たちと出会うのが遅すぎた?



 責任はないが、原因はある……とは、乙矢とて口にできない。



「……」


 真弓がすすり泣く声が、医務室に低く響いていた。





 そんな声を、医務室の外で聞いていた2人がいた。


「ん?」


 足を止めたのは的場まとば仁和にな


「どうした?」


 孝介こうすけが姉を振り向くと、仁和は医務室のドアを見つめたまま、


「泣いてる声がする」


「そりゃそうだろ。だって……」


 孝介はドアプレートを顎で指し、中で何があるか容易に想像がつくだろう、と言外に告げた。


「……うん」


 仁和は弟へ視線を戻し、


「気が立ってるのかも」


 そう感じてしまうのは、これから二人は「舞台」に立たなければならないからだ。



 しかし気が立つで済む程度に、二人は矢矯やはぎの教えを吸収していた。



「行きましょうか」


 やっと慣れてきた衣装の襟元を気にしながら、廊下から控え室へ入る。開襟シャツの襟元は余裕があるのだが、どうしても気になってしまう。臙脂えんじ色のベストと、それに合わせたショートパンツ、ブーツとグローブという組み合わせも、まだまだ慣れたとは言い難い。特にグローブが武器を扱う際、不安になる場合も多い。


「気にしても仕方ないだろ」


 孝介もグローブが気になるのは同じだ。指先の感覚が変わってしまい、握っているのかいないのかがあやふやになってしまう。


「ベクターさんも、慣れろって言うだろ」


 控え室のドアを開けながら、本来、腹を括るのは仁和の方が得意だっただろう、と孝介はうそぶいた。


 そして室内にいた矢矯も、孝介の言葉を聞いていた。


「そう。慣れるしかないよ」


 グローブの事だろうと、矢矯が二人の手に目をやっていた。孝介が着けているのは手甲であるが、それでも素手とは感覚が違う。矢矯の《方》は、身体操作と関知の二つをセットで使う事を前提としている。


「違和感は、隙になる」


 そう言う矢矯は私服であるから、今夜、矢矯は自分の出番を想定していない。



 もう制裁マッチではないからだ。



 いや、形としては制裁マッチだ。乱入での2連勝だったのだから、今も制裁マッチは組まれている。


 矢矯が私服で控え室にいる理由は、ここに矢矯を閉じ込めておくためだ。矢矯をどうこうできる百識ひゃくしきは少数であるが、矢矯を排除する術は、いくつかあった。毎回となれば安土も手を講じるが、一度や二度ならば波風を立てたくないと言うのが本音だ。


 何より矢矯も、大人しく従う理由がある。


「俺は出られないが、まぁ……大丈夫だろう」


 大抵の相手と一勝負できる、と矢矯も太鼓判を押せるくらいになっていた。


「はい」


 孝介は頷きながら、舞台へと続く廊下へ出るドアに手を掛けた。


「頑張ってきます」


 仁和も続くと、矢矯は椅子に座ったまま足を組み直し、舞台の様子が映し出されているモニタを見遣った。


 リラックスした雰囲気を出そうとはしているが、そうではない。


 誰が相手であっても一勝負できるとは思っているが、それでも楽勝だと座っていられる戦いはないのだから。


 何よりも矢矯は自分の《方》を教える時、少なくとも自分と同じ結果を求める。



 即ち、人を殺すな――だ。



 今は丁度、ステージに上がる前だろうか。孝介と仁和は安土から武器を借りている時だ。


 前回、美星メイシンを斬った時と同様、日本刀を選ぶはずだ。


 その日本刀を、どう使って相手を無力化するか――そこには、やはり不安が尽きない。


「さて……」


 わざとらしく矢矯は呟いた。


 スピーカから矢矯が入場に使っているのと同じ、懐メロになってしまったユーロビートが流れ始める。


 孝介と仁和は、今日もレッドからの入場だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る