第25話「基の《導》」
殆どの百識が社会の生産に寄与できない能力しか持たない中、那が持つ治癒の《方》は唯一といっていい程の、社会の役に立つ能力だ。ガンだろうがエボラだろうが、ありとあらゆる病を治癒させる事ができる。女医が調べたとおり、《方》や《導》の素となっている血液中の微小タンパク質はウルトラメディシンだ。
ただし医師免許の取得ができなければ、治療も治療類似行為もできないのが現代社会であるから、その能力を活かせるのは極々一部に限られるが。
那の一般人としての顔は、旧帝大の大学院に通う理工学系の学生であるから、医師免許の取得は目指していない。
彼女にとって《方》とは仁術ではなかった。
知り合いが怪我や病気になれば使うが、そうでないならば使わない。
興味がない――それが那の弁だ。
感覚が人よりもズレていると思う事は度々だが、それが悪い事とは思った事がない。
つい先日も、三瀬神社をぶらぶらと眺めていた時、海鳥に餌やりをしている親子に対し、微笑ましいよりも理解できないという考えが浮かんだ。
――害鳥よ?
漁場を荒らすだけの鳥だというのが、那の認識だ。そんな鳥に餌やりなど、狂気の沙汰としか思っていないし、思えない。
そんな那にとって、アヤと明津の敗北は、何をおいても雪がなければならない汚辱だった。
六家二十三派ではない相手に、友達が一方的に斬られたと見られるなどあってはならない。
その汚辱を雪ぐため、医療の《導》を宿し、舞台の目撃者だともいわれる聡子を殺す――単純な行動理由だ。
ゾンビを従え、那は迫った。
――行って。
声に出さず、手を振ってゾンビをけしかけていく。
人間を真一文字に切り裂けるカミーラのレイザークロウは凄まじい威力といえるが、縦横に振るったところで、腕の長さが2メートルも3メートルもある訳ではないのだから、範囲は狭い。
――数で潰せばいい!
大抵の場合、数は質に勝る。機関銃でも持っているのならば兎も角、銃器は禁止されている武器だ。
そしてカミーラには技術系統がない。腕をただ縦横に振るっているだけでは、有効な使い方とはいえず、回避する事は難しくはない。
――明津さんくらいの剣術があれば、話は違うんだろうけど。
効率的とはいえない動きなのだから、カミーラは数で圧倒すれば無力化できる。
「このッ」
そんなゾンビを捌けるのは、偏にカミーラが身に着けている反射神経だけだ。ネコのぬいぐるみが元々であったからか、カミーラの素早さは人の形になっても変わらない。
「ペテル!」
押し切られそうだと感じたところで相棒を呼んだ。
ペテルはカミーラとは逆に、重い一撃を見舞う。カミーラのようにレイザークロウを持っていないため殺傷力という点では低いのだろうが、怪力としかいいようのない筋力でゾンビを抱え上げ、投げつけるという荒技を繰り出していく。
宛ら空間の争奪戦だった。
カミーラがレイザークロウを振るえる隙間を、ペテルは死守し、ゾンビは潰しにかかる。
「……」
そんな光景に対し、基は腰の刀を抜こうともせず立っていた。
――どうする?
基は迷っていた。多勢に無勢であるから、ここで基が参戦する事は何かの切っ掛けになるかも知れないし、何の切っ掛けにもならず、ただいたずらに混乱を深めただけで終わるかも知れない。
――動いた方が、いい?
そう思ってしまうのは、基もまた動く身体を手に入れたからだ。清との修練で、拙いながらも攻撃手段を獲た。感知の《方》は、少なくとも基を初心者とはいえない段階へ引き上げてくれている。
――少しだけ、行く?
傾きかけるが、それを止める言葉を、基は乙矢から受け取っていた。
――むやみに動かない事。
基の役目は敵を倒す事ではなく、聡子を直接、守る事だ。
――もし、カミーラとペテルが倒れても、本筈さんが生きていれば勝ちなの。いいわね? 鳥打くんが動く時は、敵の攻撃が本筈さんの方へ来た時だけ。
ペテルとカミーラが苦戦しているくらいでは動くな、と乙矢はいった。
――その通り!
背後で基が動こうとしない気配に対し、ペテルは内心、頷いていた。ペテルは、その目でゾンビを捉えられている。多勢に無勢でも支えていられるのだから、基が来るタイミングではない。
「カミーラ!」
前方を開けとペテルが声を荒らげた。
ペテルの目は、今、眼前が開けば、那までの道ができると見たのだ。
「よっし!」
カミーラは跳躍し、ゾンビの中心点へ右腕を振り下ろす。
縦、そして横薙ぎ――、その2発で、那と二人を隔てる壁はなくなった。
「おおお!」
その穴をペテルが巨体をもって押し広げる。
――行って!
血路を開いたとペテルが背中で告げた。
カミーラがペテルの肩を踏み台にし、跳躍する。
頭上から狙うつもりだった。人間の身体は上に死角ができる。そして迎撃しようにも、打ち下ろすのと突き上げるのと、どちらが早いかは考えるまでもない。
カミーラのレイザークロウが速い!
ただし那が何の対処法も心得ていなければ。
「両手とも、そのレイザークロウ? っていうのがあれば、よかったのにね」
那はするりと間合いを詰めると、カミーラから見て右側へと身を躱した。
――右手だけでしょう?
レイザークロウは恐るべき攻撃だが、右手だけにしかないならば、身体の外側へ行かれれば無力化されてしまう。人の身体は、肩よりも内側へ振るう事は容易いが、外側へ振るうのは難しい。骨格の問題だ。
そして那が振るうのも、奇しくもというべきか、拳ではなかった。
手だ。
それも平手でも掌打でもなく、ただ手を伸ばすだけ。
その手がカミーラに触れた途端、カミーラは顔が歪む程の激痛を感じた。
「なァ!?」
声が裏返り、普段ならば絶対に失敗しない着地すらも失敗してしまう。
「カミーラ!」
ペテルは相棒の名を呼びながらも、自分へと向かってくる那の動きに注視していた。
――攻撃は読める。肩を押さえられる!
両肩を自身の怪力で押さえつけててしまえば、那がどんな攻撃をしてこようとも身体に触れさせない自信があった。
事実、那にペテルの目から逃れる程の身体能力はなく、ペテルに捕まれてしまう事になる。
両肩を押さえられ。鎖骨などへし折れてしまえと力をかけられるが、その痛みに目を剥かされながらも、那の手はペテルの腕を触った。
「!?」
今度はペテルがカミーラと同様の激痛に襲われる番だった。
――痛い……いや、痛いのではない!
最初に感じたのは痛みだったが、時間差で襲いかかってくるのは痛みばかりではなかった。
痛みの他にも、痒い、凍みる、熱い、痺れ――ありとあらゆるものが那の手を通してペテルの身体へ送り込まれてきた。
それこそが那の《方》だ。
那が突破する。
「押さえつけて!」
体勢を崩してしまったカミーラとペテルには、ゾンビをけしかけた。それで決着にはならないが、上から押しかかる程度でも、動けなくすれば事足りる。
那が《方》を両手に集める。
「丁、圧、尊、殺」
那の言葉と共に《方》は輝きを強め、両手に宿った力がペテルとカミーラに向けられたものよりも格段に強まった事を示した。
「うぅ……ッ!」
否応なしに聡子は後退りした。
基も足が後ろへ下がろうとするのだが、それは理性でねじ伏せた。
――今……今か!?
今は下がっている場合ではなく、寧ろ立ち向かわなければならない時だ。
外套の下へ手を入れる。
指先が触れるのは、詰め襟の上からつけているホルスター。そこに差し込んでいる筒状の機械だ。
感触を確かめ、続いて外套で隠しているスマートフォンを探る。真弓が持たせてくれたものだ。
――画面を見なくてもタップできるように、アイコンの位置を覚えて。
真弓に言われたとおり、基は画面を見ずともタップできる程度にアイコンの表示位置を覚えていた。
何の? ――切り札だ。
タップすると同時に、スマートフォンが鳴る。ポンという通知音のような単純な音は小さく、基の耳にしか届かなかったが、確かに鳴った。
「はッ!」
那が来る。その手に輝く《方》は、ペテルやカミーラに浴びせたものとは違い、死を連れてくるもののはずだ。
聡子の前へと、庇うように基が身体を滑り込ませる。
那はそこで態と足を緩めた。恐怖を煽るためだ。
――本筈聡子を殺せば済むけど、その前に、ね。
狙いはそもそも聡子ではなく基だった。聡子よりも先に基に苦痛を与え、無理矢理、生き返らされた事を後悔させ、聡子に対する怨念を植え付けるつもりでいた。
――死んだら、こんどは私が生き返らせて復讐させてあげよう!
醜悪で邪悪な笑みを浮かべ、那は手を伸ばす。
時間にして数秒。
5秒と経っていなかったはずだが、その数秒が基の切り札を発動させた。
カンッと高い音が鳴る。スマートフォンが発した通知音ではない。
詰め襟のホルスターに納められていた筒が開いた音だ。
筒の口からは光が発させ、《導》が発動する!
「
基が発動させたのは、清が持つ最大の結界!
基と聡子の身体を包み込んだ光は、凍り付いた血でできた樹木のように立ち上がった。
「!?」
那の手も、その結界を破壊する威力はない。
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