第8話「咆哮は号砲なりや?」

 仕事の時、いつも丹下たんげ雅彦まさひこは眠たげだ。好きでしている仕事ではないというのが第一にある。


「眠そうだな」


 ハンズフリー通話にしてあるスマートフォンから、レバインの声が聞こえてきた。欠伸あくびを繰り返しているのを聞かれたのだろう。


「今日も配達だよ」


 楽しい仕事じゃないという語尾に、もう一度、欠伸が混じる。場合によっては寝ててもいいのではないかと思わされる程、慣れた道だ。


 ――誰に何をいわれる筋合いもないわ。


 無精髭の浮いたあごを撫でつつ向かっているのは、児童養護施設。購買部に卸すパンを運ぶのが丹下の仕事だった。


「いつもの児童養護施設か?」


 レバインの声に軽い苦笑いが含まれていた。


「そうだ。全く、あんな精神も身体もブヨブヨした、間抜けな老害がボロボロとガキなんぞこさえて、それを俺たちの税金で養わされるなんて狂気の沙汰だろ」


 そこへパンを運ぶ仕事で口にのりする者のいう言葉ではないが、丹下は吐き捨てるようにいった。


「そんな老害どものやって来た無駄遣いのツケは、もう俺らが払うようになってんだよな。あいつらのお蔭で、日本人は愛国心も、誇りも持てず、家族や自分さえも守れなくなった」


 丹下の吐露とろに、レバインも「ああ」と頷く。


「これからの時代は、愛国心と、家族や友達に対する思い遣り、外敵をたおす力が絶対に必要だ。あの4年間の売国政権のお蔭で、どれだけの被害が生まれたか」


 こちらも同じく言葉を吐き捨てていた。


「国からして弱腰だ。武力がないから、何にも言いたい事言えねェんだよ。交渉の最終手段は戦争だろう」


 床屋とこや政談せいだんにすらなっていないが、これを本気でいう程度のメンタリティであるから、今の状況に陥っているとは二人共に自覚はない。


 正門を潜り、いつも通り来客用の駐車場に停める丹下は、「仕事だ」と短く付けで終話をタップした。


 しかし荷物を降ろして購買部へ持っていこうとしたのだが、搬入口のシャッターが降りたままだ。


「全く……」


 苛立たしさが増すと歯を鳴らしながら職員室へ向かう丹下。


「こんちは。桜花堂おうかどうです」


 くぐもった声は、最初は無視された。下突咬合かとつこうごうによって下顎前突かがくぜんとつになっている丹下は、あごを殆ど動かさずにしゃべる癖がある。声がくぐもって明確な発音ができない場合があるからだが、今はそれだけではない。


 職員室は蜂の巣を突いたような騒ぎになっていた。凶器を持った侵入者があり、それが既に児童を殺傷しているのだから当然だ。


「桜花堂です」


 だが知った事ではないという態度で、丹下はもう一度、呼びかけた。


「今日、購買は閉まってるんですか?」


「……あー、パン屋さん?」


 丹下に気付いた教員が拙いという顔をして、丹下を職員室の外に出す。


「悪いんだけど、今日は取り込んでるの。伝票なら、事務室に行ってくれる?」


 40代と思しき男性教員は、外部に漏らしたくないという気持ちがあったのだろうか。口調が厳しかった。


「は、はぁ……」


 丹下は気に食わないという顔をしたが、職員室内から聞こえてきた怒鳴り声は、そんな表情を打ち消してくれた。


「兎に角、警察に連絡! 病院の手配! 父兄への連絡は手分けして!」


 警察、病院、父兄への連絡――これだけ揃って、何もないと判断できるのは余程の鈍感だけだ。


 ――事件か?


 だとしたらいい気味だと思った丹下は、幾分、表情を緩めてパンの入った容器を持ち上げた。





 事件のただ中では、今、まさに決戦が行われようとしていた。


 龍の頭で立ち上がった明津あくつは、眼前に龍と同じ色の刃を持つ電装剣でんそうけんを眼前に持ってくる。


 明津がはじめの黒い電装剣を一瞥してから、視線を聡子さとこへと移すのは、今の姿で圧倒的な優勢を確保した確信を得たからだ。


「さぁ、大逆転を始めよう!」


 アヤの声が更に心強い。火家かけ上野派こうずけはの《導》は、六家りっけ二十三派にじゅうさんぱ最強の火力を持つという。今、明津がまとっている龍も、あの集団戦でアヤが最後に放とうとしたレーベンミーティアに匹敵する密度がある。


「あの時だって不発にされなければ、あの程度の野球場を消滅させるくらい容易かったぞ?」


 嘲笑を浴びせかける明津は、基に斬られて直接、見てはいないのだが、基はじかに見ているはずだと恐怖をあおったつもりだった。


 水平に発射すればスタジアムを破壊し、市街地へも被害が及ぶと想像しやすかったため、観客すらも大混乱に陥れた。


 ただし今、明津の身体を覆っている黄龍こうりゅう麗光れいこうはレーベンミーティアと違い、明津を騎乗させられているのだから性質が違う。


「……」


 電装剣を構え直す基は、知らず知らずのうちに呼吸が荒くなっていた。《方》を循環させる矢矯の電装剣とは違い、基の場合は《方》を放出している。その分、消耗も激しいし、《方》の素となる微細たんぱく質も、基の血中濃度は低い方に含まれる。


 消耗は貧血に似た症状を出すが、基は歯を食い縛って体勢を維持した。


 ――他にないんだ!


 奇跡の大逆転が望める一手を知っている訳ではないし、また閃く訳でもない、と腹をくくれたからだ。ならば、いつの間にか周囲の状況に気を取られなくなっている。


 ――僕にできるのは、これだけなんだから!


 基にあるのはきよしが教えてくれた技と、心構えだけだ。


 ――パニックを起こしちゃダメだ。闇雲に振り回したら、追い詰められるのを早めるだけ!


 自分にできる事は、既に身につけているものだけだ、と基は性根に叩き込んでいた。構えを崩さず、必勝の瞬間を待つ事だけが今、できる事だ。


 ――技術より、力より、気力と忍耐力!


 基くらいであっても、容易いと思う事はいくらでもあり、分が良かろうと悪かろうと関係なしに賭けに走りたくなる衝動もあるが、それは致命的な悪手である事を教えてもらっている。


「たら……れば……」


 電装剣を握りながら、基が声を絞り出す。


「はん?」


 明津が軽く首を傾げた。


たら、レバって何? そんなのをいい出したら、お魚屋さんや肉屋さんでも勝てるって事になる!」


 炸裂しなかったのだから、アヤの《導》にどれだけの威力があるかな不明であり、最大の火力というのは滑稽こっけいきわまる――基はそう喝破かっぱする。


 当然、明津は激高げっこうする。


「人である以上、頭上は絶対の死角! 斬れるものなら斬ってみろ!」


 明津に呼応し、龍が咆哮するように大口を開け、一層、大きく身体を伸ばす。確かに遠隔攻撃の手段を持っていたとしても、頭上を狙うのは不条理であるし、電装剣とて届かないものまでは斬れない。


本筈もとはずさん! 向こうへ!」


 左右に分かれろと指示を飛ばした基は、自らは斜めに斬り込んでいく。如何に六家二十三派の《導》が生み出した龍とはいえ、電装剣ならば切り裂けるはずだと横一文字に振るう。


「はははは!」


 だが返ってくるのは明津の嘲笑だけだ。


 手応えらしい手応えはないのはいつもの事であるが、《導》で作られた龍は切り裂かれると同時に結合する。


「固体であり気体であり流体でもあり、そのいずれでもない! 《導》の龍なのだ!」


 明津が龍の上で電装剣を振り上げた。


 龍はいよいよ基へ襲いかかろうと降下してくる。


「!?」


 基が掻い潜れたのは、明津に振り上げるというワンアクションがあり、龍の動作に溜めがあったからだ。


 ――避けられる! なら攻撃だってできる!


 基本的なことしか習っていない基だが、明津は基本的な事すらも習っていない。


 剣や刀どころか包丁の扱いも怪しい点に活路があるはずだと見た。


 ――避けて、斬る! それだけだ!


 攻め足を残す回避方法は身につけているし、相手の動きを感じ取る《方》は基が最も得意とするものだ。


 覚悟を――、


「!?」


 だが覚悟とは裏腹に、基は目が眩んだ。電装剣の刃も不自然に揺らいだ。


「限界みたいだな」


 明津は舌苔ぜったいで白くなった舌を見せる程、大口を開けて笑みを見せた。


「せめて一太刀で――」


 明津が大きく電装剣を振り上げるのは、基が得意とする斬奸剣ざんかんけん両断りょうだんを真似た技で仕留めてやろうという思惑だろうか。


 龍を動かそうとする。


 その瞬間だ。


「あぐッ」


 窓のすぐ外でアヤの悲鳴と窓が割れる音とが響いた。


 見れば、アヤが窓に叩きつけられており、その向こうには……、


「しっかりしろ! 鳥打とりうち君!」


 声を張り上げ、走り寄るのは陽大あきひろだった。


弦葉つるばさん!」


 陽大の姿に基が目を見開いた。種明かしをすれば、今日、児童養護施設に本やDVDを寄付する日だった、というのが陽大がここにいる理由であるが、それが偶然であろうと必然であろうと基には関係ない。


「動きなら俺が止めてやる! 斬れ!」


 陽大は起き上がろうとしたアヤに蹴りを入れて壁に押さえつけながら、室内へと手を伸ばした。


「弦葉陽大!」


 明津はギッと歯を鳴らして睨んだが、悔しい顔は一瞬だ。


「止める? 《導》も持っていないお前がか!」


 基のように結界の《導》を持っていれば話は別だが、それを持たない陽大にどんな手段があるんだというあざけりだった。


 だが明津は知らない。


 バッシュのリメンバランスを浴びた陽大は、聡子の治癒の《導》を受けた。



 基がそうであったように、陽大にも《導》が宿っている。



 陽大に宿っているのは、結界の《導》だ。


「気をしっかり持て! 君たちなら耐えられる!」


 陽大が両手を組み、それを壁に振り下ろした。


重圧じゅうあつ結界縛けっかいばく!」


 それは広範囲に及ぶ――自分も味方も巻き込んだ。

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