第5話「矢矯・その《方》」

 しかし、そんな技術――技ではないと矢矯自身が言うのだから、技術と言うしかない――の修練は、地味としかいいようがなかった。


 全身が写る鏡を前にして、二人は振り上げた木刀を、ゆっくりと、繰り返し振り下ろしていた。


 その動作も――、


「ぶれました」


 少しでも軌道がぶれると矢矯の手が木刀を掴み、最初からやり直しとなる。


「……はい」



 もう何度、繰り返しているか考えるのも嫌になっている孝介は、額に玉の汗を浮かべていた。


 ――素振り百本とか、そっちの方が楽なんじゃないか?


 ゆっくり動くから楽という訳ではない。そもそも人は、5分でも腕を上げていれば息が苦痛を感じるようにできている。


「疲れるでしょうけど、堪えて下さい。ブレは無駄に繋がりますから。今は、正しいフォームを覚えましょう」


 ゆっくりと鏡で全身を確認しながらする理由だ、と矢矯は言った。


「覚えれば、素早く振っても正しいフォームになる、と言う事ですか?」


 息を整えながら問いかけた仁和は、先程、矢矯が振るった剣のスピードを思い浮かべていた。同じ動作をしようとしているが、そこまでのレベルに到達する可能性までは考えられない。


 ただ矢矯は「それは、まぁ……」と少し言葉を濁したが、可能性が絶無だと思っているからではない。


「身体は《方》でコントロールするんです」


「身体を《方》で?」


 鸚鵡返しにする仁和は、身体強化ならば自分も孝介も使える《方》だと思った。事実、デビュー戦では二人とも使った。ただし、強い《方》とは思えないが。

 それに対して矢矯は、仁和が思い浮かべた《方》を読んだかのように首を横に振りながら、ポケットからハンカチを一枚、取り出した。


「念動ですよ」


 仁和も孝介も、ろくに使えない《方》だと思ったのだが、矢矯も強い念動を持っている訳ではなかった。


「私の持ってる念動は、この通り、ハンカチ一枚、持ち上げられる程度です」


 矢矯の《方》も、手から1センチ程の距離で、ハンカチを一枚、保持できる程度――持ち上げられるのではなく、落ちないように保持できるだけ――でしかなかった。


「こう言う《方》は、身体から離せば離す程、効果が弱まっていくものですが、逆に自分へ近づけていくとどうなるか? つまり――」


 そこからは、言葉よりも矢矯の行動こそが雄弁であった。


「!?」



 矢矯の手が剣を抜いていたが、やはり二人の目には止まらなかったのだ。



「私の場合、自分の身体の中で発生させる場合、恐ろしく強い力が出せます」


 全員が全員、できる訳ではないだろうが、それに近い《方》があるはずだと言うのが安土の見立てであり、矢矯が二人をコーチする気になった理由だ。


「まずは自分の身体が、どう動けば最短距離で刃が通っていくのかを覚える事。次に、身体を《方》で動かす事を覚えてもらいます」


 それを身につければ自分と同じ行動が取れるようになる――勿論、「お手軽に」とまでは言わないが。


「……」


 そんな所で、矢矯は時計を見遣った。もう日が傾く頃だ。


「今日は、素振りの方はここまでにしましょうか」


 あまり長くやり続けても、集中力が落ちるばかりである、と矢矯も心得ている。


 ただ、解散の前に、先程、言った《方》について教える。


「骨や筋肉で支えている身体を、《方》で動かすんです」


 矢矯の言葉は一言であるが、これこそ、言うは易し、行うは難しと言うものだ。


「ッ」


 孝介は途端に顔を顰めさせられる。矢矯の言う通り、孝介の念動も自分の身体の中で使用すれば、恐ろしく強くなる。音速に近いスピードで右拳を突き出す事も可能なのではないか、と言う程、強く。


 だが強い力を使って、細かな動作――それが鞄を持ち上げる程度の作業をしようとすると、途端に難しくなる。


 ――腕を下げる、手を開く、鞄へ伸ばす、掴む……。


 普段ならば意識して行わないようない動作まで、いちいち意識して行わなければならなくなる。


 それはぎこちないと言うにはあまりにもぎこちなく、文字通りコメディアンがロボットの真似をしているかのようになってしまう。


「指をそれぞれ独立して動かせるようになったら、上できですよ」


 矢矯は笑わない。矢矯自身、今では針の穴を通すコントロールを身につけているが、最初はこうだった。


「今は、自分の身体が如何に動かないかを理解するだけで十分です。剣だって満足に振れないし、それこそ歩く事すらままならない身体なんです。ただ、慣れていって下さい」


 矢矯は二人に視線を往復させた。


「簡単に言いまして、《方》で生きると言う事は、《方》によって歩き、《方》によって食事をし、顔を洗うと言う事です。思考法すらそこへ持って行く」


 24時間、自分の生活を百識である事に費やせば、と矢矯は言うのだが、


「ちょっと……キツいです」


 孝介は根を上げた。そもそも《方》は無限に使えないし、精密な制御を主に考えた事など初めてだ。


 使えば立ち所に効果がある――そんなものだと思っていた二人にとって、矢矯のやり方は想定外だった。


「慣れて下さい。慣れと練習です。全力全開――身体強化を使い続けるよりは、遙かに楽でしょう?」


 矢矯はフッと笑うと、「移動は徒歩がいいですよ」と言った。

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