第13章「月に哭く鬼、哮る鬼」

第1話「幕間にて」

 本来、百識ひゃくしきとはを指している。


 むしろ学問に近いものであって、《導》や《方》を戦闘に使用する事の方がイレギュラーだ。


 百識の頂点は、風雲ふううん水火すいか山鬼ざんきの六家、それに連なる二十三派であり、真の意味で百識たり得るのは当主のみという考えが成立していており、ルゥウシェたちが矢矯たちに敗れようと、六家りっけ二十三派にじゅうさんぱの威信とでもいうべきものは盤石を保っていた。



 保っていた――過去形で語られる引き金が惹かれてしまったのだ。



「当主が敗れた? 誰に?」


 夜が明けそうな時間に起こされた男は、寝室の入り口に立っているもう一人の男へ欠伸混じりの言葉を向けた。


 欠伸が混じっているのだから面倒臭いという雰囲気を隠しておらず、言外に告げているのは「夜が明けてからじゃダメなのか?」という非難であった。


 身体を起こすのも面倒で、着てるパジャマの上からでもわかる通り、不摂生の身体は長身とはいえ、BMI指数ならばギリギリ25を切っている程度の身体だ。


 伝えに来ている側の男も、よく似ていた。


 ただ頷くだけでベッドから男を起こせるのだから、上下関係はない。


 そこは二人にとって問題ではなく、問題となるのは、次に出て来た名前だ。


鬼家きけ月派つきはに」


「何!?」


 ベッドから起き上がった男は、飛び跳ねるようにベッドから降りた。


か!?」


「あァ、そうだ。雲家うんけ衛藤派えとうはの当主は、かいちゃんに負けた」


「そうか……そうか……」


 落ち着きのない様子で部屋を往復する男は、パンッと手を叩き、笑みを見せた。


「忙しくなるか?」


「なるかも知れないが、その後、暇になりそうだ」


 報告してきた男は、くるりと背を向ける。これは朝を待って告げるよりも、夜明け前でも叩き起こして告げたかった言葉だった。


「俺は、戻るよ」


「あぁ、ありがとう。あきら兄さん」


 兄が寝室から出て行くのを見届けた後、男はベッドに腰を下ろした。


「そうか……そうか……」


 また繰り返す。



 男の名は、つき たかし



 この舞台を混沌に叩き込む事になる男であるが、今の段階では然程の重要性はない。





 そんな夜明け前を、会は眠れずに過ごしていた。


 身体のダメージはないに等しい。鬼神は攻撃と防御の双方に作用し、制御に失敗した場合に負うのは怪我どころでなく致命傷になりかねない。


 眠気が訪れないのは、気が張り詰めていたからだ。


「……はぁ……」


 数えてはいないが、二桁後半から三桁になるのではないかという回数の溜息を繰り返し、寝返りを打つ会。


 自身のデビュー戦となった団体戦の後でも、こんな気分はなかった。


 ――気持ち悪い。


 高揚とは言い難い、


 草凪くさなぎに槍を突き入れた時、会には殺す気がなかった。肩口を狙い、場合によっては腕一本を吹き飛ばすつもりで放った衝撃疾走は、急所そのものははずしていた。激痛で意識を絶ってしまうというのは、矢矯やはぎが最もよく使っていた手段でもある。


 だが今日、歌織かおりの首を締め上げた時は、窒息させるというよりも、首の骨をへし折るつもりで力を込めていた。


 可能か不可能かは、今夜、歌織が失神する事で決着がついた通り、不可能だったのだろうが、殺意を込めて力を振るった。


 ――自分の中で、殺しても良いと線引きしたのが気持ち悪い。


 本来、六家二十三派の当主が交代する時は、現当主の死も含まれているのだが、そこまでの覚悟が会にはなかった事を示している。


 母親が当主を継いだ時はどうだったのか、今、当主争いの中心にいる姉妹達はどうなのかは考えない。


 ただ自分の中に渦巻く5文字――気持ち悪い――だけがぐるぐると旋回していた。


「……会様」


 ノックと共に聞こえてくるあずさの声。


「え……?」


 会が枕元の時計を見ると、夏の夜明けは早いとはいえ、まだまだ寝ていても大丈夫な時間だった。


 それでも梓に呼ばれたのだから身体を起こし、ドアを開ける。ノックして返事があっても、梓は自分からドアを開けて来ない。月家の屋敷にいた時から、梓はそうしてきた。


 ドアを開けると、梓が持ってきていたのはホットミルクだった。


「眠れていないようなので、この暑い時期ではあるのですが」


 少し落ち着くかも知れないといわれると、会も「いただくわ」とカップに手を伸ばす。


「成長なさいました」


 梓の言葉は、伸ばした手が空を切らなかった事に対してだ。左目のない会は月家の屋敷から出て行った日、自分の部屋であるのにドアノブへ伸ばした手を空振りした。


 それが今、しっかりとマグカップの柄を掴めたのは、感知の《方》を使い熟せているからだ。


「まぁ、これくらいは……」


 苦笑いする会だが、弓削ゆげが感じている以上に飲み込みが早い。そうしなればならない立場にあるのが六家二十三派の女子である。


「成長の度合いを確認するには、丁度いい物差しがありますよ」


 ホットミルクに口を付け「あち……」と呟いた会に、梓が笑みを向けていた。


「あるの?」


「あります」


 鸚鵡おうむがえしにしてきた会へ、梓は頷いた。


 簡単だというそれは……、



「殺意を向ける相手がいるかいないか」



 今夜の会には丁度いい話だったかも知れない。


「いるならば不足しています。《導》なんて人を傷つける以外に使い道のないものですから、殺せる威力を備えて初めて役に立つし、それでも簡単に死なないのが百識です」


 威力ならば、バッシュが使ったソロモンは、人一人を蒸発させるほどの威力を示したが、陽大あきひろを消滅させるには至らなかった。陽大が身に着けていた衣装が防御力を有していた事と、陽大の持つ《方》が障壁であった事が幸いしたともいえるのだが、陽大の幸運、バッシュの不運で片付けてはならない話だ。


「相手の姿や力に恐怖した時に行き着くのが、その人を殺せる力を備えた《導》ですが、それを振るうのは、相手に死んでいただきたいと感じているのであって、逃避なのです。逃げ出したいから《導》を使う百識は、強くありませんから」


「……」


 会は視線をホットミルクの液面へ向けていたが、梓がいわんとしていることは分かった。


 ――衛藤歌織へ手を伸ばし、隙だと思って力を入れた手は、逃げようとしていた……。


 それで気持ち悪さを昇華できる訳でも、肯定できる訳でもないのだが。


「……ありがとう」


 何に対しての礼かは、口にした会も分からなかった。分からないままカップをぐっと煽り、「熱い」と顔を顰めさせる。


「飲んだら、寝て下さい」


 空になったカップを受け取った梓は短くいう。


NegativeCorridorネガティブ・コリドー


 会へ《導》を向けるため。


GoodNightグンナイ


 寝かせる。


 夢までコントロールできる訳ではないが。

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