第14話「真弓の想い、基の罪」
「たくらん?」
よく分からないと首を傾げる基に対し、真弓は誤魔化すような真似はしない。
「お父さんが、本当のお父さんじゃなかったの。お母さんの不倫相手の子供」
上手い説明の言葉はない。
「中学生の時、盲腸で入院した時に、血液検査があって。それで分かったの」
感情が先回りしてしまい、どこから説明していいのか分からないまま続けてしまうのが、真弓の悪い癖だ。
「お父さんはO型、お母さんはB型。で、私はA。普通、B型とO型の両親からは、B型かO型しか生まれないの」
「そうなんですか?」
基が真弓と乙矢に視線を往復させると、乙矢は「普通はね」と言った。現実には、B型とO型の組み合わせでも、A型が生まれる可能性は0ではないのだが、そうではないと疑うに足る理由があった。
「家の近くに病院があったんだけど、そこに行ってなかったの。私が生まれた産院って、北県にある、キリスト教系の病院だったの」
そこを母親が強く推した。その理由は、設備が優れている事や、スタッフの技量などと
「新生児の血液型を告知しない病院だったから」
不倫相手の子供であると、母親本人に自覚があったのだ。
母親は、どうしてそうなったのか分からない、夫への愛情は変わっていないと言ったが、こんな事が露見してから家庭内が平穏であるはずがない。
「その日から、私は誕生日を祝ってもらえなくなったし、プレゼントももらえなくなった」
「それ、酷い!」
基が声を荒らげたのは、感情にまかせた勢いだけのものだ。
しかし真弓は目を丸くしてしまうのだから、酷いとまでは思っていない。
「でも、私はちゃんと学校に行かせてもらえてるし、ご飯も食べれてるよ」
虐待されている訳ではないから、と言うのは、高校にも通えているし、こうして乙矢と連める程度に小遣いももらっている事で十分だ。
「もしも、お父さんが、お母さんも私も知った事じゃないって放り出してたら、私も鳥打くんの事なんて無視してたかもね。お父さんは寂しそうな顔ばかりするようになったし、あまり話さなくなった。私の顔なんて見たくないし、お母さんの事なんて大嫌いなんだろうなって思うんだけど」
言葉を切る真弓は、そう思い、何もかもを投げだそうとした時期があった。
生んだのだから、母親からは望まれていたのだろう。
しかし名乗り出さない実の父親からは?
表情が消えてしまった父親からは?
望まれた子供だと言う自覚は、どうしても生まれなかった。
乙矢と知り合ったのは、そんな時だ。
「葉月さんに、言われたのは、それでも自分のしなきゃいけない事を放り出さないお父さんの事、考えてみようかって事だったの」
誕生日もクリスマスも、いや「お祝い事」は全てなくなったが、父親は黙々と働き、家庭を維持している。
その父親の姿を、自分を裏切った妻や、騙されたまま十年以上も育てさせられた娘に対して強く出られない、情けない父親と見る事もできる。
しかし、真弓がそう見るようなメンタリティしかなかったら、乙矢はこんなアドバイスなどしなかった。
乙矢は真弓の父親の性格が、「
名乗り出てこない実の父親は、それこそ真弓の誕生など望んでいなかったし、引き取って育てる気もなかったのだろう。
母親もシングルマザーとして娘を育てる力も気もなかった。
だからこそ、父親は毎日が地獄に等しいとしても、黙々と自分のすべき事をしている。
窮状に陥り、助けを求められれば、どんな場合でも見殺しにはできない父親の姿を見て、真弓が何を考えるかを確信して向けた言葉だ。
「だから私は、もし自分が一生懸命になろうって思った人と出会ったら、一生懸命になろうって決めたの」
基と出会った時、真弓は一生懸命、救おうと思った。
「鳥打くんのために、一生懸命にさせて」
だから今、基が戦うと決めたならば、全力でフォローする。
「……ありがとうございます」
基は深々と頭を下げた。自分のために一生懸命になる――ならせてくれと言う相手など、初めて出会った。
唇が震える感覚がある。
だが涙は流れない。
「あ!」
真弓が明るい声をあげた。
「エビマヨ!」
今度は塩おにぎりではなく、具入り――しかも真弓が好きな具だったからだ。
「好きな具ですか?」
基の顔に涙はなく、ただ笑みがあるだけだ。
「大好き! 鳥打くんのは?」
次のおにぎりには何が入っているか、と覗き込む真弓に、基は半分だけ囓ったおにぎりを示した。
「エビマヨです」
同じだった事は、偶然ではない。
「おおー、いいね、いいね」
真弓は乙矢へウィンクして見せた。
「ちちんぷいぷい、ビビデ・バビデ・ブゥ」
乙矢は相変わらず、クルクルと立てた人差し指を回していた。
人呼んで魔法使い――それが乙矢の二つ名だ。
幸福にするだけの魔法ではないが、幸福にすることを祈って、乙矢は使っている。
しかし基の幸福とは表裏の存在も、今はいる。
校長室へ呼び出された川下は、谷校長の口から基の名前が出た瞬間、憤懣を隠そうともしない顔をしたのだが、乙矢が残していった「証拠」を突きつけられると、表情を変化させていった。
「父兄が怒鳴り込んできたぞ」
そこから始まるのは、叱責だ。
「見ての通りだ。穴はいくらでもあるが、調査が必要になった。何故、誰にも言わずに無記名のアンケートなどを採った?」
こんな時こそ「ホウレンソウ」だろうと言う谷校長であるが、では相談したところで、どういう回答を得られていたかは、考えるまでもない。
アンケートに生け贄役の名前があった時点で、谷校長とて基を断罪したはずだ。
しかし反論の言葉は、容易に出てこない。
この場に呼ばれ、叱責されるという事が何を意味しているかを考えてしまうからだ。
「大きな失点だぞ、これは」
トントンと、谷校長が苛立ちに任せて机を指で鳴らす。
生け贄役を必要としているのは、何も生徒だけではない。
教師の中にも、「劣った者」は必要だ。
叱責が続く内に、川下の顔は蒼白に転じていた。
「……鳥打の叔母からは、俺とお前の署名と捺印のある書面を要求された。文面は俺が考えるが、お前のボーンヘッドは、全校朝礼で言う事になるぞ」
鋭さ……いや、剣呑さが増した。
「後で文面は渡す」
谷校長は苛立ちのまま、言葉を紡ぐ。
「覚悟していろ」
主語が省略されているが、何を意味しているかは分かる。
「有給も代休も残っているだろう。少し早いが、産休に入ったらどうだ?」
下がれと命じる谷校長の手振りは、まるで犬でも追い払うような片手を振るというものだった。
「……失礼します」
それでも一礼して下がる川下は、谷校長に対し、何かを言う事はできない。彼女も39/40のユートピアの住人だ。
即ち、廊下に出た川下が思い浮かべる顔は、一人しかいない。
――鳥打 基!
犯人かどうかは、もうどうでもよくなっていた。
川下の意識は、単純に完結したからだ。
基が犯人でなければならない――。
カツカツと態と足音を立てて歩く川下の目には、廊下ではなく、こことは違う邪悪な地点が映っていたに違いない。
――このままでは、済まさない!
事実がどうあれ、川下にとっての真実は、基が犯人である――その一つだけだ。
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