第25話「鬼神と修羅――4対5」

 弓削ゆげが教える身体操作は、対数螺旋を応用する事を基本とする。1、1、2、3、5、8……と続くフィポナッチ数列から算出される螺旋回転を用いる事で効率化を図る。


 陽大あきひろもただの肘打ちを、必殺のφ-Nullファイ・ナルエルボーにできるのは、対数螺旋を利用しているからだ。


 陽大では肘打ち一発に収束させるしかないが、神名かなはもう一段階、上にいる。


 ――毒がいつまで効果を発揮できるかわからないけれど、一瞬だけ隙が作れればいい!


 踏み込むと同時に繰り出す右拳は、敢えて対数螺旋の加速は使わない。


 胸の中心に叩き込む右拳は、寧ろ引く方に対数螺旋の加速を使う。



 加速させて引く事で、左を動かすためだ。



 膝へ向かって左の蹴り。


 蹴り足を踏み込ませる事で身体を跳ね上げ、右拳を突き上げる。


 右を引き、左拳で肝臓を一撃。


 そして左半身に込める加速は最大の力を叩き込み、右足を側頭部へ――。


鬼神乱撃陣きしんらんげきじん!」


 それが陽大が理想を見た神名の秘技だ。


 自らの身体が浮いてしまう程の衝撃を頭部に集中させるのだから、如何に六家りっけ二十三派にじゅうさんぱでも戦闘不能になる――と見た者が殆どだっただろう。


 ――どう!?


 身体を半回転させて着地した神名が上げた視線には、崩れ落ちるともがいるはずだった。初段の右拳に胸骨を砕いた手応えがあったのだから、肺か心臓にバグ・ナクの刃が掠めた。肝臓へもだ。


 だが現実は――、


「!?」


 腕を捕まれた神名は目を剥いた。


「知らないだろうから教えてあげる」


 那だ。


「頭を殴られて意識を失うのは、脳挫傷という事。脳震盪を起こすには顎先を、本当にピンポイントで打つしかないの」


 那は神名の鬼神乱撃陣に耐えたのだ。


「ピンポイントを外した理由は簡単」


 那が神名の腕を抱き寄せるように引いた。



「経験不足」



 その一言で全てが説明されてしまう。


「大体、《導》なんて使った事なかったんでしょう? どれくらいの効果があるのか、まるで把握できてない。不安で不安で仕方がないんじゃ、パッケージ化もされていない《方》なんて使えない」


 必殺の《導》には成り得なかったのだ。忌々しい記憶と共にある毒であるが故に、神名も忌諱し続けていた。


 その威力を把握できていなかったからこそ、鬼神乱撃陣の攻撃ひとつひとつに精度を欠いてしまっていた。


海家かいけ涼月派すずきはの《方》をなめるな! その程度の毒、治癒するのに必要な時間は数秒、気の抜けた攻撃なんて尚の事、効果なんてない!」


 怒鳴る那の腕が神名の首に巻き付けられる。封印していた《導》と、ギャンブルに等しい攻撃がヒットしていただけに、無効だったと知った衝撃は神名の意識を戦いから逸らしてしまっていた。


「そしてお前の弱点は、お見通し。身体的な負荷が大きくなり、集中力を各事態になったら、指一本、動かせなくなる」


 那は神名の頭を小脇に抱えるように締め上げる。打撃、絞め技に関わらず、接近戦は下品と談ずる那であるが、相手が明らかな弱点を見せている場合は別だ。


「――」


 神名は声も出なかった。身体の中で障壁を展開させているが、その障壁は極々、弱い。陽大と同じく、ボールをぶつけられる程度ならば防げるくらいなものだ。


 那が障壁の上からだろうと関係ないと締め上げれば、神名の首は確実に絞まっていく。格闘技の経験などない那であるから、頸動脈を締め付けて気絶させるような技術はないが、乱暴であればある程、神名には効く。


 呼吸を止めてしまう事が那の目的ではない。


「首をへし折ってあげます」


 腕力や筋力のような肉体的強さを第一としない六家二十三派であるが、サラブレッドのように血統崇拝され、生まれた時から当主争いを宿命づけられている那はフィジカル面でも馬鹿になどできない。


 息が詰まってしまっている神名には、頭の仲で軋むような音が残響する。首の骨が軋んでいるのか、それとも気道が潰されようとしているのか、それすら判断できない程に。


「――」


 声にならない叫びと共に抵抗するが、それでも那のいう通り、感知が甘くなり障壁の制御がままならなくなった神名にできている事は、精々、手を引っ掻こうとするくらいなものだ。それとて麻痺の残った身体では爪すら立てられていない。


「さぁ……さぁ!」


 首の骨を折るのは那でも手こずるが、それを手加減してなぶろうとしていると感じさせる声。


 ミリミリと軋む音は那の耳にも届いていた。


 その音に混じり、ともすれば掻き消されてしまわれそうだが、神名の声がした。


「ごめんなさい……」


「?」


 那は、一体、神名は何をいったのだろうと思った。


 続いた言葉は――、



「降参……」



 敗北を認めてほしいという懇願だ。


「助けて……許して」


 確かに権利はある。ただし口にすれば終わる訳ではなく、那が容認し、観客が受け入れた場合のみだ。


「はァ?」


 那は素っ頓狂な声を出した。


 容認するつもりは更々、ない。


 観客とて保険金殺人の犯人を母親に持つような女など、死んで当然と思っている。その上、神名は4人もの少年を殺した陽大の仲間でもある。


「生きる必要性を感じない。理解できません」


 那に対し、神名からの返答はなかった。


 手が垂れ下がる。


「首の骨が折れた手応えはないけれど、窒息しましたか?」


 どうするかと考える那が出す結論は早い。


 ――審判を犠牲にしたり、負けたりした事でもあるし……慈悲を見せましょうか。


 降参を受け入れる事が、自陣営のプラスにナルト瞬時に算盤を弾いたのだった。バッシュの勝ち方や明津の敗北を挽回しようと思ったら、ただの勝利ではイーブンになるだけだ。


「審判、内竹うちだけ神名かなは降参するそうですよ」


 顔を審判へ振り向ける那。


 その一瞬だった。


 顔を向けた事により、若干の隙間が那の腕に生まれた。


「!」


 神名が歯を食い縛り、自分の全てを動員する。


 ――感知!


 那と審判の立ち位置、自分の状態。陽大と同じだ。身体に損壊がなければ、無理矢理にでも動かす事はできる。


 ――障壁!


 呼吸が詰まっているため、酸素不足に陥った筋肉はたいだが、障壁で支える事はできる。


 左手が翻る。


「!」


 気付いた那が慌てて腕に力を入れたが、神名が見出した勝機は那への反撃ではない。


 左手に着けていたバグ・ナクを審判へと投げつけたのだ。


 ――勝利宣言はさせない!


 バグ・ナクの毒が審判の喉を冒し、声を奪う。


「な!?」


 勝利宣言させない事と、那の驚きを引き出す事とが神名の目的だ。


 驚きは隙を生む。


 一瞬に過ぎなくとも、分の良い賭けだ。


「このッ!」


 何もかもを総動員した神名が振り解く。


 顔同士がぶつかりそうになる距離は、神名の間合いだ。


姑息こそくな――」


 歯噛みした那が見たのは、精々、神名の入身にゅうしんくらいだった。


 踏み込んだ右足を軸にして那の胸板へ叩き込むのは、陽大のφ-Nullエルボー。


 ――いいえ、一度じゃ無理!


 その肘から神名が繋いでいく。


 鬼神乱撃陣のダメージを瞬時に回復させた那の《方》は、意識を刈り取る位でなければ倒せない。


 左拳をもう一度、肝臓に叩き込む。《導》の毒を効かせたバグ・ナクは投げてしまったが、本気で突き入れれば破裂させる事も可能な一撃だ。


 引く反動で右の鈎突きを鳩尾へ叩き込み、下がった頭へ左の打ち下ろしを見舞う。


 ――最初に審判を巻き込んだのはそっち!


 那がバランスを崩すが、倒れる事は許さないとばかりに右の突き上げで起こす。


 ――ここに賭けなきゃ、弦葉くんも弦葉くんの守りたいものも守れない!


 胸骨と肋骨が合わさった一点へ左の直突き、追撃の諸手突き。


 ――ここで勝たなきゃ!


 死に体となっていた那の顎へ、バク宙する程の勢いをつけた蹴りで締める。


修羅しゅら無想むそう乱撃陣らんげきじん!」


 陽大のφ-Nullエルボーと、自身の鬼神乱撃陣とを合わせた8発もの打撃を、今度は正確に急所に叩き込まれたのだ。


 那の《方》が致命的なダメージだけは快復させるのだろうが、顎先を打ち抜かれた事と三半規管を直撃された事による感覚の消失だけは回復させがたい。



 陽大を守るという目的がある神名に、タブーなどなかった。



 崩れた那は身じろぎひとつできなくて当然だ。



 神名勝利――4対5。

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