第7話「愚かでも、不毛でも」

 予知、預言にも等しい《導》を身に着けていたとしても、百識ひゃくしきは決して神の如き耳目を持っている訳ではない。


 それは、分類不能の、《方》とも《導》ともいえない魔法という力を持つ乙矢おとやもそうだった。はじめの身に降りかかった惨劇を防げなかったのは、神の目を持たない徒人ただびとだからだ。



 そして乙矢おとやの魔法と似ている《導》を操るあずさも、何もかもを見通せる訳ではない。



年甲斐としがいもなくっていわれない?」


 乙矢は自分が休憩している時間を見計らってコンディトライ・ディアーへ姿を見せた梓へ、その切れ長の目と共に言葉を向けた。


「何がですか?」


 だがアイスコーヒーの入ったグラスを手の中で回転させて、中の氷をカラカラと鳴らしている梓は、それこそ察しの悪い顔。


「……」


 乙矢は軽く眉間にしわを寄せた後、


「その年で、生足晒して学校に通っているとか」


 声色に乗せたのは、半分以上、嫌味だ。


 かいと共に高校に通っているが、梓は見た目通りの年齢ではない。聡子さとこの曾祖父を知っている世代なのだから、乙矢から見ても相当な年長である。


「あぁ」


 しかし梓は涼しい顔で、回転させていたコーヒーグラスを止めた。


 そして軽くグラスを煽って、


「バカでもアホでも、好きなんだから仕方がない事です」


 嫌味を嫌味として受け取らないのも、歳のためかも知れない。



 好きなんだから仕方がない――隠れている名前は会だ。



 そして「わかっているのでしょう?」と隠し味の如く言葉に込めつつも、乙矢へ視線を向けると言葉が出て来てしまう。


「あなたも、そうでしょう?」


 梓が浮かべる笑みにあるのは、皮肉や嫌味ではなかった。


「不毛でも愚かでも、愛しているなら仕方がない」


 誰の事をいっているのかは隠しているが、それをいわれずとも乙矢も分かる。


真弓まゆみちゃんの事ね」


 乙矢の顔に自嘲は――、


「その通り」


 この際にはなかった。


 それは梓には意外だったようで、一瞬だったが目を丸くさせる。


「そうですか」


 短い言葉を気を取り直すようにいい、コーヒーを口に含む。


「――」


 そして取り繕うように何かをいおうとしたのだが、ノックもなしに入ってきた足音がタイミングをそらさせた。


「こんにちは~」


 その明るい声は、今し方、話題に上がっていた久保居くぼい真弓まゆみのもの。


「あら、いらっしゃい」


 丁度、会話も途切れ途切れになっていた所だ、と乙矢は椅子から身体を浮かせた。


 そして今日は真弓一人だけでなかった事も、今日のような状況では有り難い。


「こんにちは」


 真弓の後から顔を見せたのは基。


「あら」


 意外そうな顔をする乙矢に対し、真弓が蔵書の方へ背伸びし、


葉月はづきさん、料理の本も持ってたと思うんだけど」


「いくつかはあるわよ」


 真弓も料理する気になったのかと、真弓と同じく蔵書へ視線を向ける乙矢であったが、続く言葉には思わず視線と逆方向へ振り向かされる事になる。


「小学生でも作れる料理の本は持ってなかった?」


 小学生でも作れるといわれ、思い浮かぶのは基だからだ。


鳥打とりうちく――あいたぁ」


 首を押さえて顔をしかめた乙矢に、真弓と基が揃って笑った。占い師としての乙矢も、百識としての乙矢も、慌てる事となど無縁のイメージしかなかった。


「鳥打くんが料理?」


 乙矢は笑われた事に対する苦笑いすら痛みに歪めながら、笑っている基の顔へ目を向ける。


 だが意外だとは、言葉にも態度にも出さない。


「でも、やってみたら楽しいかも知れないわね」


 男児が料理をしてはならないという法はなく、また基に何にでも興味を持って欲しい、その興味をイジメに対する防御策にして欲しいと願ったのは他ならぬ乙矢なのだから。


 そして基が料理に興味を覚える理由も、乙矢と真弓は知っている。


「最近、本筈もとはずさんとお弁当のおかずを交換してるんです。本筈さんは自分でお弁当を作っているから、僕も全部は無理でもおかずをひとつくらい作りたいって思ったんです」


「そう」


 乙矢の顔に笑みが浮かぶくらい、痛みを忘れさせる言葉が基からもたらされた。


「本筈さんの作るサイコロステーキが、とっても美味しくて。こういうの、冷えたら固くなって美味しくないっていう人もいるけど、僕は好きです」


 カミーラが予想していた通り、基もサイコロステーキが好物だった。


「私は目玉焼きとかウィンナーを炒めるくらいしかできないから、教えてあげられないし、葉月さんなら簡単な料理方法が乗ってる本を持ってたなぁと思い出して」


「教えられるものもあるわよ」


 だから基と一緒に来たという真弓に対し、乙矢が手に取ったのは簡単な料理の本ではあるが、の本ではなかった。



「ウィンナーの飾り切り」



 そして乙矢が開いたページには……、


「この、クマとネコをおぼえるのはどうかしら?」


 それは聡子と基を繋げるものになる。


「あ、それいい!」


 むしろ基よりも真弓が身を乗り出し、切るだけでなく炒める事も大事という一文に目を輝かせた。


「うんうん、これは私も憶えよっと! どっちが先に綺麗に焼けるようになるか、勝負しよう」


「はい」


 基と真弓は笑みを交わし、その光景が何とも言えず眩しいと乙矢は目を細めていた。


「……」


 取り残された形になる梓であるが、その気持ちは分かる。



 惨劇を乗り越えたメンバーなのだ。



 ――ただ、その惨劇を予想しきれなかった事は、セットで憶えておかないとダメですね。


 乙矢も梓も、未来を全て見通せる能力はない。


 だから見落としは絶対に存在する。


 愛している会の事に於いてすらも、だ。

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