第17話「回答集を持つ女」
首都圏へ出れば珍しくなくなるが、地方で女性スタッフが出向いてくれるのは希であるため、神名の方は今のところブルーオーシャンだ。
それ故に作業は多くなるのだが、数は多くともやる事は流れ作業だ。如何に神名が《方》を駆使しなければペンも持てない身体でも、場数を踏み、慣れる事が全てだ。
そして流れ作業になっていれば、やはり気になる。
――本当に大丈夫?
どうしても倉庫整理をしている孝介と陽大の事が頭に浮かんでしまう。
神名から見て、二人の相性は悪い。
陽大は決して人の顔色を見て行動を決める方ではない。それは初舞台でも、最後、自分を舞台に上げるよう要求した加害者たちの親に対し、刃を向ける権利があったというのに、それを放棄した事からも窺える。
自分の分というものを弁えていて、律する事ができる少年だ。
だが、そんな陽大も、突かれたくない点というものがある。
あまりにも自分と差のある相手が、その差を自覚していない場合だ。
――確か、同い年だったっけ。
孝介も陽大も、今年17歳になる。
だが二人の差は歴然で、陽大は中学時代の事件以来、この人工島で塗炭の苦しみを味わいながら生きてきた。
対する孝介は、両親を失うまでは何の不自由なく暮らしていた。
舞台に上がる切っ掛けも、陽大は自分に選択権などなかった。自分たちは被害者の家族だと一点の曇りもなく考えられる者たちが、小川を通じて強制的に上げた。
孝介は、自分の生活を守るために、自分から選択した。
――そこを、拡大解釈してるんだろうな……。
神名が思うのは、そこだ。
陽大は、孝介はこう思うはずだ、と考えてる。
生活を守るため、他に方法はなかった――。
孝介から直接、聞いた事はないはずだが、自分の境遇と照らし合わせて考えた結果、恵まれている者は、そう考え、そういわなければならないと思ってしまっている。
神名とて、直接、陽大から聞いた話ではないが、それを察せられる程度に人生経験を積んでいる。
「私だって、的場くんは恵まれていると思うし、ね」
母親に殺されかけ、目が覚めたら父親と弟が死んでいた等、誰も経験した事がない。被害者として扱われず、あくまでも加害者家族として扱われる神名は、父親から遺してもらったものなどない。
その点に於いても、土地家屋を遺してくれた的場家の両親は素晴らしい。
しかし維持する事が首を絞める事になるというのであれば、手放した方がマシだと思っている。
それはそれとして、神名とて舞台には自分の意志で上がった。これしかないと飛びついた事は間違いないが、「だから強制だった」というつもりはない。
その点に関しては、神名は孝介と仁和の考え方に近かった。
――二人だって、視野狭窄に陥ってたとしても、考えた結果、上ったんだから。
そこを責める気にならないため、神名は孝介と陽大が心配なのだ。
衝突は必至だったと思っている。
今も上手く行っているかどうかなど、分からない。
――そういえば今朝も、学校はどうしたっていってたわね。
溜息の中深呼吸なのか分からない、深い吐息を吐き出した所で、スマートフォンが鳴った。
ディスプレイに表示されているのは陽大のスマートフォンだ。
「弦葉くん? どうしたの?」
慌てて出ると、陽大の方も慌てていた。
「的場が倒れた!」
作業中に孝介が倒れたのだ。
「すぐ行くわ。楽な姿勢で寝かしててあげて」
作業を中断した神名は、玄関に置いてある車のキーを取った。
孝介の身体を縛り付けている呪詛は、寝ている時にこそ最悪の効力を発揮する。
まず苦しさで眠れない。眠れたとしても、それは限界を迎えて気を失ったというべきものだ。
そうなっても、呪詛は確実に悪夢を見せる。
肉体的にも精神的にも休ませない。
この効果は
「大丈夫ですか?」
「内竹さん!」
車を横付けにして倉庫へ飛び込んだ神名は、倒れた孝介を前にして目を白黒させている陽大の姿が目に飛び込んできた。
「……」
孝介の傍らへ膝を着くと、神名はそっと孝介の髪を掻き上げ、顔色を確かめた。顔色は、よくない――悪い。
――呪詛を、押さえ込めない時間が多すぎた?
孝介が《方》を連続使用できる時間は、どれだけ長く見積もっても数時間レベルだ。どこかでインターバルを取る必要があり、この場合、インターバルとは無防備になる事を示している。
限界を超えるのは時間の問題だったし、限界を超えればどうなるかもわかりきっていた。
悪夢を防ぐならば、神名が障壁を張り直すしかないのだが……、
「まったく……」
神名の呟きは吐き捨てるようなものではなかった。
神名も感知を持っているが、弓削や矢矯ほどの厳密さはない。
眉間に皺を寄せて探るのは、孝介が張っていた障壁の
――これ、か。
何を防いでいたかは、推測するしかない。もう少し遅ければ残滓も霧散し、神名では感知できなくなっていた。
推測し、頭の中で展開させるが、障壁を張るのは一瞬、
――弓削さんが伝えようとした事、大丈夫?
弓削の行動を無にする事似なりかねないと思ったからだ。
――ゼロと
孝介が何かの答えを得て、それを実戦しているのならばいいが、そうでないならば神名の行動は答えを教える事になる。
他人から教えられたのでは、孝介の成長を詐害する。
緊急避難だという言葉が浮かぶが、それでも孝介のこれからを考えれば、舞台から降りる目処など立っていないのだから、これから果てがない。
成長は絶対条件だ。
孝介や陽大が弱いとは思わないが、強くもない。絶対的な強さは望めないし、また矢矯や弓削でも百戦百勝は難しい。
そこまで必要なのだ。
「内竹さん?」
手があるならば、と陽大が見上げてくる。
「……仕方ない……んですよね」
神名が障壁を張る。孝介が張っていた障壁とは若干、違うのは、残滓から推測して張り直したという理由だけではない。
――ゼロと零は違う。
弓削がいった言葉の実践だ。
――ゼロは無という事だ。何もない。ゼロパーセントというのは、可能性がないという事になる。零は、あるんだ。計上できないくらい低いという意味で、無じゃない。
即ち、それは全てを止めてしまうのではなく、全てを減衰させるだけの障壁。
五感が伝える信号も残しながら、苦痛は軽くする――単純な話だ。
――簡単な話なのに……。
神名は眉を顰めつつ、立ち上がった。それだけ孝介に余裕がなく、陽大が抱いていた反感が強かったという事か。
軽く頭を振った神名は、緊急避難だ、という結論で落ち着ける事に決めた。
こうなった場合、早く動けるのは、かつて矢矯が孝介にいった通りだ。
――女は、ある条件がついた場合、何をしても許される風がある。
だから腹を括れる。
そして腹を括るといえば――神名はこの段階で走らない事だが――紀子とてそうなのだ。
あらゆる手段を講じる事に抵抗のない相手が、孝介を狙っている。
時間は、孝介の成長など待ってくれない。
「家に運びましょう。ここに寝かしておく訳にはいかないです」
自分で答えを見つけていってほしいが、教えていくしかないのだ、と神名は割り切った。
「はい」
陽大は担架の代わりを探した。
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