第16話「午後のカフェにて」
そのカフェ「サム姉さん」は、オーナーの義姉がサマンサというイタリア系アメリカ人である事に由来する。フレンチトーストという名前であるが、本場はアメリカ。その本場直伝というのが、サム姉さんの名物だった。
店内は南国リゾートをイメージした店内は、看板メニューがフレンチトーストという事もあり、女性が多い。
――こりゃ、一人だったら来ないな。
駐車場にSUVを停車させる
いや、苦笑いされる理由は、自分と縁のない店だからではない。
「ありがとうございます」
ここへ自分を連れてきたのが、助手席から降りた
矢矯は自分が女子高生と、この手の店にくるタイプでないと自覚している。
――しょぼくれた俺と来る店じゃないな。
運転席から降りながら、矢矯は少し神を気にした。病室に泊まったのだから、着替えてもいないし、シャワーすら浴びていない。そんな自分が、他の客にどう写るのかを気にしていた。
「いう程、他人の事なんて気にしてませんよ、絶対」
矢矯の動きに気付いた仁和が、ドアノブに手をかけたまま笑っていた。仁和も、矢矯と同じく年上の男を連れて、ここへ来るのが似合うとは思っていない。それでも笑っていられるのは、それこそ他人は仁和と矢矯が思っているほど、こちらの事など気にしていないと知っているからだ。
「正直、ベクターさんも、今まですれ違った人たちの事、覚えてないでしょう? それこそ、よっぽどな格好をしてない限り」
着ぐるみパジャマでも着て歩いていたら覚えているだろうが、そうでないならば思考を支配されるのは一瞬だけだ。
「そうかもね」
矢矯も苦笑いを消し、仁和が支えているドアを潜った。その先にもう一枚、ドアがあり、そちらは矢矯が支える。
「ありがとうございます」
矢矯に礼をいって店内へ入った仁和は、いらっしゃいませと声を掛けてきた店員へ二本指を立てて見せた。
「二人です」
「奥の席へどうぞ」
南国リゾートをイメージした店内にマッチするよう、日焼けした顔をサイドコーンロウの髪型で縁取りした男性店員が、仁和と矢矯を案内した。
「フレンチトーストっていうと、カフェで頼んでも、フランスパンを厚切りにして、卵と牛乳に浸して焼いたのにシナモンでも飾ってればいいくらいにしか思ってなかった」
皆のテーブルへと、矢矯が物珍しい視線を巡らせていた。
「自分で作るなら、食パンを使って、あとは蕩けるチーズでも挟みますね」
そんな矢矯が珍しいと、仁和はクスクス笑っていた。矢矯が食べる事に拘泥していないのは、長いとは言えない付き合いであるが、深く付き合ってきているのだから知っている。時折、ストレスから味覚障害に陥るという矢矯は、それこそ一人で外食するとなればファストフードばかりになる。
「自分で作った事すらない」
矢矯も笑いながら、先程の店員が持ってきてくれたメニューを開いた。メニューを開けば、周囲のテーブルにないフレンチトーストも写真付きで載っている。
「私、決まりました」
メニューから顔を上げた仁和は、何度も首を捻っている矢矯を見て、また笑い出した。
「悩みますねェ……」
こういう時、パッと決めてしまうタイプだと思っていただけに、今の矢矯は可笑しい。
「こうも種類があると……」
目移りするのと同時に、食べ慣れない物だけに「甘い」という二文字しか浮かばないのだから、迷ってしまう。
「……オススメ、ある?」
矢矯は諦めたように顔を上げた。
「そうですねェ」
仁和はもう一度、メニューに視線を落とし、
「違うの頼んで、シェアしましょうか」
「仁和さんの好きなの頼みなよ」
矢矯がそういうと、仁和は軽く手を上げ、「すみません」と店員を呼んだ。
「はい」
「ナッツキャラメルスタンダードと、チョコバナナ、お願いします」
「はい、お待ちください」
サイドコーンロウの店員は、白い歯を見せて微笑み、カウンターの向こうへ消えた。
「イケメンだね」
その店員を見ながら、矢矯がそんな事をいうものだから。仁和が盛大に吹き出した。
「いや、髪型、とてもオシャレだ」
矢矯に他意はない。ただ今日はヘアワックスすら付けていない事を気にしているからだ。
「孝介とも、ここには来た事ないんですよ」
一頻り笑った後、仁和はそう切り出した。
「ん?」
矢矯が目を瞬かせたが、仁和はもう一度、同じ事をいい、
「仲が良い姉弟って見られてますけど、そこまで一緒に行動した事なんてなくて、舞台の事と、ベクターさんが教えてくれる事になったから、一緒にいる時間が増えただけで、それまでは、学校から帰ってきても自分の部屋に直行。そもそも放課後は寄り道ばっかりで、帰ってくるのも門限ギリギリでした」
何がいいたいかといえば、一言で済む。
「感謝してます」
百識の師としてだけではない。
「少なくとも私は絶対に。孝介だって、何度も口にするタイプではないですけど」
孝介が弓削や神名へといった事は、当たっている。
――多分、姉さん、矢矯さんの事が好きそうだから。
一時の迷いといえるかも知れない。
しかし仁和は矢矯に対し、特別な好意を抱いているのは間違いない。
「……ありがとう」
矢矯の返事も単純だった。
「ただ俺は、まだ――」
そして何かをいいかけたが、所在なさげに外した視線が捉えてしまった二人が、言葉を押し込めてしまう。
「二人です」
店員に仁和と同じく二本指を立てて見せたのは安土。
そして連れているのは弓削だった。
「……あそこ」
安土の背を叩く弓削が、矢矯と仁和を見つけていた。
「ああ、連れがいました」
二人に気付いた安土も、丁度、二人の隣のテーブルが空いていると店員に一礼する。
「こんにちは」
にこやかに言葉をかける安土であるが、面食らった顔をしてイル矢矯は一礼しかできないし、向けられていた言葉を中断させられてしまった仁和も、「こんちには」と返すのは精一杯だった。
「丁度良かったです。ベクターさんにも、話さなければいけない事がありますから」
隣の席にいいかどうかは、安土の口からは聞かれなかった。
「俺に?」
焼き場が聞き返すと、「えェ」と安土は頷き、店員が持ってきてくれた水とメニューをお座なりに受け取って、言葉を続ける。
「今後、大きな動きが二つ続くと思うんです。一つは。孝介くんの事」
「……弓削さんが、教えているんでしょう?」
軽くなりかけていた空気だったが、安土の言葉は矢矯を引き戻してしまった。
しかし、そこは安土だ。
「そこなんですよ」
大袈裟な身振り手振り、そして口調を加え、矢矯の方へ身を乗り出す。
「それが気になって仕方がなかったんです。孝介くんと、ちょっと行き違い、すれ違いがあるんでしょう?」
「……」
核心を突いているだけに、矢矯も安土に対し、僅かに眉を潜めるだけしかできなかった。
だから続ける。
「孝介くんにとって、一番の師はベクターさんですよ。それは間違いないです」
こういう話の進め方は、安土の手練手管――よくいえば面目躍如といえない事もない――という所か。
矢矯の性格を掴んでいるからこそ、進められる話し方だ。
「その孝介くんなんですよ。呪詛を受けるような舞台に立った理由は……理由というか原因? 原因といった方がいいでしょうね」
少し回りくどくし、矢矯が苛立ちから意識を逸らせようとしたところで切り出す。
「小川です」
矢矯にとっても因縁のある相手であるから、逸れかけた意識を引き戻すには十分だった。アヤと
「多分、事情を想像していただけたと思います。相談するよりも前に動いてしまう孝介くんの正義感、義務感、責任感……そこまでいわないかも知れませんけど、孝介くんの性格は、わかっていただけるでしょう?」
できるだけ穏やかに、安土は分かって欲しいというニュアンスを最大限に込めて、ただ身体は椅子に深く腰掛け直す。
「弓削さんを頼ったのも、イラスト教室で一緒だから、ベクターさんを除けば、一番、頼りにしやすかったからです」
「……」
矢矯は何もいわないが、いわない事が了承したという空気を出していた。
「その小川から、孝介くんの情報を買った相手がいます。二つ目の大きな事というのは、その世話人の事です」
まず間違いなく、孝介を狙ってくる――安土は告げた。
「
その名前は矢矯も知らない。
「説明しますよ」
安土の顔に、本当の余裕が生まれていた。
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