第7話「塗り潰した黒い暦」
人工島はありとあらゆる所に防犯カメラがある。見えている、いないに関わらず。
その上で殺人の時効も撤廃されて久しいのだから、こんな場所で人を殺すのは狂人の仕業といえる。
怪現象――《導》によって四肢を切断された真矢にとっても、その通りだった。
――何だ?
真矢はか細い声すら出ないのだから、両足と片腕を切断された事による出血は相当なもの。
意識ももうろうとし、視野は狭く、視界は暗くなる中であったが、真矢は自分を見下ろしてくる娘の顔だけは判別できた。
――
娘の名前など、久しく呼んだ覚えがなかった。
顔をはっきりと見たのも久しぶりだ。
呼びかけられるのも当然、同じであるが――、
「お父さん!」
青い顔をしているであろう真矢に呼びかける真弓の声は、当の真矢は聞こえていない。
青い顔をしてイル真矢の意識を必死で繋ぎ止めようと呼びかけながら、魔法による治癒を行う。来てくれと
「何で、何で!」
真弓の顔には悲しみの他に、困惑と怒りの表情が混じっていた。本当の父親を名乗る男に振るった短剣を作る事、必殺の
「何でできないの! 何で!」
元々、苦手意識があるものを、こんな緊急事態に使おうとしているのだから当然といえば当然で、何度も真弓は癇癪を起こしたように声を荒らげた。
――そんな顔してもできるようにはならないだろ?
何を言っているのか聞こえない真矢だが、
その姿を見て、真弓の幼い頃を思い出すのは、真矢の眼前にあるのが死に際に見える走馬灯に飾られているからかも知れない。
――
その時の姿こそ思い浮かぶが、それが何年前か、真弓が何歳の時なのかは思い出すのが間に合わない。意味のない単語を繰り返すだけではないから、2歳か、3歳か、そんな所だ。
――大人の真似をして箸を持ったまではよかったけど、すぐに握り箸になって、それじゃ
まだ真弓と親子関係があった頃で、しかも楽しい思い出ばかりの頃だったというのだけは、思い出すまでもなく覚えている。
「は……はは……」
「お父さん!?」
それでも真弓は聞き逃さず、薄目を開けた父親の顔を覗き込む。
「お父さん! お父さん!」
見えているのかいないのか、それすら確かめられず、真弓は真矢の頬を叩き、呼びかけた。真矢の目が焦点を結んでいるのかいないのかも判断できていないまま。
嗄れた笑い声だけを発せられたのは、真矢にとっては皮肉としかいえない。
――泣くなよ。泣き顔は、笑顔と同じくらい見たくなかったんだ。
切り捨ててしまえない娘の事を、強く感じさせられる表情だから。
――笑顔が可愛いと思う。だから泣いてほしくないと思う。どうしても、そう思う。
その度に、真矢は苦い想いに火を点けていかなければならない。
――真弓を、愛していると認めようとする自分に、気付いてしまうだろうが。
それを黒々としたもので塗りつぶしていかなければならないのが、死ぬ間際でする作業だったとは皮肉や嫌味だ。
――真弓を愛していると認めたら、騙されても良かったと思わなくちゃダメだろ。
だから黒く塗り潰す。
――あんな酷い男に、騙されたことが幸運だったって想わなきゃダメなんだぞ。
黒く塗り潰さなければならない。
――お前、気付くだろ。酷い男に騙された事が幸運だって、俺が自分のために思ってるなんて。
真弓が、真弓自身に嫌悪をぶつけないためだ。
――死ぬなら、一人が良かった。
声は、ひょっとしたら出たかも知れない。
「お父さん!」
一際大きかった真弓の声は、父がこの世から離れていった事を感じ取っていたからか?
「真弓ちゃん」
乙矢が声を掛けたのは、入れ違いだった。
――ごめん、遅刻した。
続く言葉は、流石にいえなかった。どれだけ謝罪の意を込めても、軽くいっては茶化したように聞こえてしまう。
「葉月さん……」
油の切れたロボットのように顔だけを振り向けた真弓に対し、乙矢は軽く首を横に振る。
「防犯カメラは細工したわ。ここでの事は、何も映っていない」
そして視線を真矢へと移し、
「生き返らせる事も、できるけど」
黙ってせず、敢えて真弓に訊ねたのにも隅はある。
――真弓ちゃん、気付いたものね。
真矢が抱いていた想い――矛盾だらけの思考といわれてしまうかもしれないが――を、真弓が悟った事を感じ取った乙矢だから、訊ねた。
真弓の返事は待つまでもない。
「いいえ」
決まっている。
「お父さんを苦しめてたのは、お母さんの裏切りじゃなくって、私の事を娘として愛している事、そのものだった。でも私を愛する娘だと認めるには、この男に騙された事も悪くはないって思わなくちゃならないから、認められなかった」
真矢が直感していたとおり、真弓は父の死を前に気付いてしまった。
「私の顔を見たくないのは、私を愛してくれてたからで……私を愛してくれてるから、私を傷つけてしまう事があって……ああ、もう!」
最後は、やはり癇癪を起こした。
「お父さんは、もう自縄自縛、
真弓の結論に、乙矢は黙って身体を抱き寄せたのだった。
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