第6話「ずっと出せない手紙と、いつも効かない薬」
それでも真弓が、このタイミングでしか介入できなかったのは、それらの情報を効果的に繋げ、また絶好の機会を掴む事に欠けていたから。
全てを見通したとしても、それを活かすには経験が必要であり――潜り抜けてきた悲劇の倍は、回避できなかった悲劇を経験していなければ不可能な話なのだ。
真弓は視界が赤く染まったように感じていくのは、
「お父さん!」
真弓が父と呼ぶ男、真矢は赤く染まって倒れている。
――違う、足! 今なら、
自分が身に着けている魔法では間に合わないと直感していた。
――葉月さんの魔法は万能! 葉月さんなら何とかしてくれる!
真っ赤に染まった真弓の視界は真矢を中心に据えようとするのだが、その「お父さん」の前に男が立ちはだかる。
「真弓」
真矢の両足を切断した男は両手を広げ、まるで真弓の再会に感動の
「辛かったろう。もう大丈夫だ。ネグレクトやってたクソは、もういなくなったぞ」
足下に倒れている真矢の脇を蹴って見せたのはアピールだったのだろうが、真弓にとっては最悪の行動でしかない。
真矢が上げたのは精々、呻き声程度。
それは四肢を切り裂かれた事による激痛が、真矢をショック状態に陥れた事を告げている。
「お父さん!」
地面を蹴って叫んだ真弓の声は、真矢へと向けられていたはずだ。
だが届いたのは真矢ではなく……、
「あァ、お父さんだ」
真弓にとって、顔すら見た事のない男がにんまりと笑みを浮かべていた。
「今まで苦労させてきたな。悪かった。でも今日からは、お父さんが真弓と一緒にいるよ」
男の声を、真弓はどこか遠くから聞こえてくるように感じている。
――たったこれだけが遠い!
声を無視して真弓は走った。視界に入る光景が、脳裏に基の死を思い浮かばせる。
――あの時だって、ほんの10秒、早かったら!
また繰り返すのかと自問しながら、動かない父親に向かって走る。
「真弓――」
手を広げている男など、当然、無視した。
倒れている真矢を抱きかかえ、
「重……ッ」
肩に真矢の腕を回して持ち上げようとした真弓は、思わずそう口にさせられた。特に肥満という訳ではない真矢でも、成人男性は重い。
「フィジカルはまだまだか。でもお父さんが鍛えてやる」
背後から投げかけられた声に、真弓は視線だけを振り向けた。
それが
そして男の口から聞こえてきたのは、最も聞きたくない《導》を発動させる言葉だ。
「リメンバランス――」
それは
「シザース――かまいたちの記憶」
疾風が巻き起こり、不意に真弓の肩が軽くなる。
顔にかかる生暖かいものは、激しく吹き出したにも関わらず、どろりとした、嫌な感触をもたらす。
血だ。
真弓が肩に回していた真矢の腕が、斬り飛ばされていた。
「……」
真矢からの悲鳴は、もう聞こえなかった。
「鍛えてやる。真弓、お前なら、今なら雲家衛藤派の当主だって夢じゃないんだ」
男の《導》は、雲家衛藤派のものだった。
「雲家衛藤派の血を引いているお前が、乙矢葉月の《導》を使うんだ。今、衛藤派に残ってる奴らなんか雑魚だ」
本来、六家二十三派の
問題にするのは、母親の血統だ。
当主の血を引き、確実に残せる女だけが当主争うの場に立てる・
父親が雲家衛藤派から出ているという理由では、真弓に当主争いの権利を生まない。
「さぁ、お前が、そいつから奪われてきた人生を取り戻しに行くんだ」
だが今の混乱ならば、或いは――そんな期待を男は抱いているのだろう。
そして期待の裏には――、
「全てお父さんが教えてやるから」
自分が当主を裏から操る黒幕に就くという事。
「まず、そいつを切った風の《導》から教えてやろう」
また男が手に《導》の光を灯したのが見えた瞬間、真弓は反射的に動いていた。
「よして!」
男を突き飛ばし、真矢から離れさせる。フィジカルはまだまだといわれた真弓でも、不意を突けば男を突き飛ばすことくらいはできた。
突き飛ばし、怒鳴る真弓。
「誰だよ、あんた!」
肩で息をする真弓は、突き飛ばした男と倒れている父親とに、視線を往復させていた。
――葉月さんの所に……葉月さんに!
乙矢と同じ魔法が使える乙矢であるが、普段から不完全にしか使えないというのに、今の精神状態で、真矢を快復させるのは無理だ。コントロールがままならない。
男のいっている事を理解する事など不可能だった。整理して話していないし、そもそも男は真弓に対し、思い込みで動いている。
形だけ見れば、確かに真矢は最低限度しか生活費を入れておらず、そういう意味では男のいう通りネグレクトしているといわれても仕方がない。
真弓の誕生日すら祝っていないのだから、男の中では真弓は真矢を恨んでるはずだった。
いや――恨んでいなければならない。
恨み骨髄に徹する真矢から、血の繋がった父親に助けられ、それ故に真弓は男に感謝するというのが、思い描いていたシナリオであり、これは男にとって絶対だった。
不確かで未確定の未来であり、それに関わるのは他者の自由にはならない人の心であるというのに、絶対に訪れなければならない事として確定させるのは、彼がルゥウシェと同じく雲家衛藤派だからかも知れない。
理解するための思考が残っていない真弓だからこそ、その嫌悪感が膨れあがった。
「お父さんだよ。なんで自分が《導》を使えると思ってる? お父さんの娘だからだぞ」
苦笑いよりも苛立ちに似た表情を浮かべるのは、男にとって真弓の反応は気体通りではない、即ち間違った行動だからだ。
「お父さん?」
真弓が今、何をいっているんだ、とでもいいたげな顔を見せた事など、その最たるものといえる。
そういう空気を読むのは、真弓が得意とする所。
――何もかも自分の思い通りに行かないと気が済まないっていうのを、とことんまで行かせすぎてるんでしょ!
要約すればそうなる。
真弓の前に今の今まで姿を見せなかったのは、子供ができる未来は、この男にとって存在する意味がなかったからだ。そういう意味では、男の方がネグレクトといえる。
そういった自分の事は全て無視して、真弓の眼前に立つ心境とは、自分を恨む真弓などいてはならないと考えているからだ。
「私のお父さんは――」
男と真矢に往復させていた真弓の視線が、一瞬、真矢に止められる。
――私のお父さんは、この人だけ!
その一言が続いたはずだが、真弓は口にできなかった。
真弓は、真矢に求められていない言葉である事を考え、それが躊躇させる原因になった。
その躊躇が、男が抱く苛立ちの
「リメンバランス」
男の《導》がもう一度、真矢へと向けられる。
「シザース――かまいたちの記憶」
もう片方の腕も切り落としてやると放たれた《導》であったが、真弓へと向けられなかった事が次の光景に導いた。
――
真弓の魔法によって右手に現れた短剣は、男の胸を貫き、天へと昇れとばかりに振り抜かれた。
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