第11話「風雲急を告げるも……」
「まさか」
突然の訪問を受けた女医が安土へ向けた第一声は、そんな一言だった。
それだけ信じられなかった。
「聡子が……《導》……?」
信じがたい話だ。
「大抵の人間に百識の源はあるというけれど、自然覚醒するのは希だし、それが《導》だなんて……」
百識の子だから百識とはいかない事を知っているだけに、女医の衝撃は強い。
「大体、《方》と《導》じゃ、全く性質が異なるのよ」
わかりきっている事であっても言葉にしてしまう程だ。
源を同じとしながら、《方》と《導》というように分けられている理由は諸説ある。《導》は《方》よりも具体的である、というのが孝介陽大の認識であるが、安土と女医は少し違う。
名前の意味だ。
それぞれ《方》と《導》と、違いは字が示している。
その字の如く《方》とは「方法」や「方向」を、《導》とは「導き」を語源としいるという説が、女医と安土に共通した認識だった。
例え「前後左右が分かる」としても、東を向いているのか西を向いているのか「右」が示す場所で違うように、《方》とはそう言った曖昧さがある。
対する《導》は、確実に導ける。
それ程の違い、差がある。認識――百識の識は、ここから来ているという説もある――の差は、威力、規模の差よりも大きい。
――自然発生する? 皆無ではないけれど……。
女医は眉間の皺を深くするしかなかった。全くない話だと撥ね除けられないのが辛いところだ。
身内なのだ。
有り得ない偶然だろうと、考え得る必然だろうと、そんな事よりも眼前に突きつけられた現実こそが重要だ。
「……どうすれば……」
珍しく安土が混乱した顔を見せているのも、女医に現実に対処しろと強く思わせた。
それは二人の関係だ。
「しっかりなさい。私の妹でしょ」
女医と安土の関係――姉妹だ。
だからこそ、百識の身内は百識にならない事を知っていた。安土には《方》も《導》も宿っていない。
「私たちの他に、知っている人は?」
女医は冷静に努めた。
「……今は、多分、まだいません。けれど時間の問題でしょうね」
監視カメラの映像は、安土が自由に消せるものではない。もう誰かがチェックしている。聡子が入っていった部屋が遺体安置所である事、そこに置かれていた遺体が基である事など、情報がバラバラになっているため発覚は遅いのかも知れないが、断片的にでも情報があるのだから統合される。統合されずに放置されるようであれば、ここまで長く、大規模に舞台など行えない。
「方法はいくつかあるけど、今、手っ取り早く取れるのは、逃げるか、隠すか」
女医の提案は、行動を決めるのは得意だろう、という挑発も含んでいる。女医はあくまでも医師であり、世話人ではない。こういったときの対処は、経験の積み重ねが必要だ。
トラブルの回避、突破の経験は誰よりもあるんだろうというのは、挑発でもあり、願望でもある。
「……」
安土は一度、自分で自分の両頬を叩いた後、思案顔を浮かべた。
「今、聡子さんは? どこにいるか、わかりますか?」
今、聡子がどこにいるのかを知りたい。基と一緒にいる確率は低くなく、居場所が分かれば二人とも確保できる。
「待って」
女医は鞄を漁り、スマートフォンを手に取った。聡子に防犯のためだと持たせているスマートフォンのGPS機能から居場所を探れる。
「ここは……コンディトライ?」
ディアーは女医の知っている店ではなかった。
「夕食前に、カフェ?」
安土は首を傾げさせられた。聡子の性格から、夕食の前にケーキやウィーン菓子を食べるイメージはない。
しかし首を傾げたままでも、女医にスマートフォンの画面を見せられると頭が回った。
「ディアー……」
安土は知っている。直接、遣り取りをしていずとも、百識の情報は全て頭に叩き込んでいるのだから。
希有な百識と言っていい乙矢の居場所だ。当然の話だ。
「行ってみましょう。そこなら、打てる手が――」
あるはずだという声を、安土のタブレットが着信音を鳴らし、遮った。
特徴のある着信音は、世話人として収集している情報が届いた事を示している。
「!」
安土が飛びつくように取ったタブレットに表示されていたのは――、
「急ぎましょう。事態が、動いています」
小川が動き始めたという情報だ。
――さて、どうしようかしら。
占い師をしている乙矢は、話す事が仕事、話術のプロと言えるのだが、今の状況を説明するには考える時間が長く必要だった。
――基礎定数なんて、分かるはずがないし……。
――百識全てを敵に回すから?
その説明が浮かぶが、それもストレートに言ってはいけない言葉だ。基やペテル、カミーラは聡子を守るためにいる。三人を暴走させる切っ掛けになりかねない。
しかし何が最も危険かといえば、医療の《導》を持つ百識を排除しようとする動きだ。
――情けない。
話し方が分からないという事態を、今、乙矢は初めて経験していた。
「葉月さん?」
真弓も初めて見る姿だった。
目を向けると、乙矢の事を知っている真弓と基ですら怪訝そうにしているのだから、知らないカミーラやペテルは警戒すらしている。
「その……医療の《導》っていうのは――」
小さくなっている聡子に、何でもいいから声をかけなければ、と思った時だった。
「……すみません、お待ちいただけますか?」
室内に響く、ドアを荒々しくノックする音に対し、乙矢はタイミングを逸したと舌打ちさせられた。
しかしノックこそが、タイミングを整えてくれる。
「本筈聡子の母親です」
ドアを開けた乙矢に対し、女医が一括するように声をぶつけた。
「お母さん……」
聡子が肩を震わせると、女医は大股に室内へと入る。
「……はぁ……」
溜息は、基が立っている事に対してだ。
「舞台の……お医者さん?」
真弓が目を丸くしていると、女医に2歩か3歩、遅れて安土が入ってきた。
「すみません」
一礼する安土に、乙矢は眉間に皺を寄せた。
「人生に迷っている顔ではなさそうだけれど」
安土が乙矢を知っているように、乙矢も安土が世話人である事は知っていた。
「……迷ってます」
安土は乙矢へ言葉を向けると同時に、聡子へと一瞬、視線を向けた。女医と姉妹である事は秘密にしている。「安土」という偽名しか名乗っていない。
そして説明に言葉はいらなかった。
タブレットの画面に、安土と女医が血相を変えてやって来た理由が表示されている。
そして、それは聡子だけの問題ではない。
「僕と、同じ……?」
基は思わず鼻白んだ。
聡子が基と同じ手段、同じ人物によって他薦されているとなれば、乙矢は兎も角、真弓が黙っていない。
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