第10話「ビジネスライク」

 みやびりょうも舞台に上がっているのだから、恵まれた男ではない。


 紀子よりもひとつ年下であるから、所謂、超氷河期世代に当たる。


 大学ではなく専門学校に行ったため超氷河期の底を経験する事はなかったが、恵まれた境遇になるには――あくまでも本人は、と注釈は付くのだが――間が悪かった。


 DTPオペレータとして就職した先は、この出版不況といわれる状況であるから、甘くはなかった。


 仕事は減っているはずが人員も絞っているため残業は常態化し、激務は人間関係に悪影響を及ぼす。


 今でも雅が夢に見るのは、出勤したビルを包む異様なオーラだ。


 無論、目の錯覚に過ぎない。


 だが、そんなものが見えてしまう程、雅が追い詰められていたのは確かだ。


 心療内科を受診した雅に伝えられたのは、適応障害と鬱状態。


 退職を余儀なくされてからの事は、よく覚えていない。生きる事に必死で、何かをするにも気合いが必要だった事と、人工島での新生活を始められたのは祖母の尽力があっての事だったという記憶があるだけだ。


「久しぶりです」


 雅がそんな声をかける紀子みちこと関係は、元同僚。在職中は付き合いらしい付き合いがなかった相手であるが、退職した今の方が濃い付き合いをしているというのは、ある意味に於いては皮肉かも知れない。


「お久しぶりです」


 紀子も飲んでいたミルクティーを口元から離し、座ったままであるが一礼した。紀子も雅の退職後も残ったが、最終的には退職――紀子本人は独立というが――した。


 そこから舞台に上がった時、雅と紀子の関係は逆転した。


 舞台では雅が先輩だ。


「最近、本業はどうですか?」


 紀子がそう訊ねるのは、お互い、舞台は本業ではないと考えているからだ。


「順調ですよ。原稿の報酬に色を付けてくれるようになりましたし、公募も一次突破は楽にできるようになりました」


 DTPオペレータを退職した後、雅が選んだ仕事はライター業だった。ただし、今いった通り、パソコン1台、スマートフォン1個あればできる仕事と高を括って失敗した例でもある。フリーランスこそ他者との繋がりが大切であるから、会社勤めしていた頃以上に人間関係が煩わしい。


「そちらは?」


 雅から話を振られる紀子の場合はフリーランスのデザイナーを生業とした。


 何より舞台の方でも、世話人という「人」と関わる役目を選んだのだから、結局の所、人間関係はどこにでも顔を見せる。


 二人とも人付き合いが得意とはいい難い。


 今、二人の間に流れている空気が如実に表している。近況の、それも仕事の話しか振れる話題がないのは、希薄な関係という事でもある。


 それが紀子という世話人だ。安土のように、それぞれをフォローしようという気はなく、小川のように手広く門とを開こうという気もない。


 ――友達を作るために世話人をしてる訳じゃない。


 ビジネスライクに接する以外の関わり方に興味がない。


 それを雅も分かっているから、仕事の近況を聞くのが一番だ。紀子にとっては、それが最良である事は間違いない。


 ――10年付き合いのある友達と、2年やそこらの付き合いしかないアンタと、どっちを優先するかなんて考えるまでもなく友達。10人中10人が答える常識。


 弓削ゆげから離婚届を突きつけられる寸前に、紀子が放った言葉がそれだった……という事までは知らないが。


「いい話があります」


 ミルクティーで喉を潤わせ、紀子が切り出した。


「いい話、ですか?」


 身を乗り出す雅は、ポーズ半分、本音半分というところか。


 ――舞台の事となると……。やっぱり仕事は順調とは程遠い。


 それに対し、紀子は内心で軽い嘲笑を浮かべていた。人工島に渡ってくる前は生活保護にも頼らなければならなかったというのだから、それが数年で好転し、裕福な暮らしができるようになる訳でもない。


 ――いや、今ももらってる?


 人工島の人口比では低収益層は8割にも及んでいるのだから、雅が抜け出せていない可能性は高い。そもそも2割の高収益層が舞台に上がった話など、あったとしても数えるくらいだ。


 ――ライターの仕事も、役所には秘密ね。


 ならば飛びついてくれるだろう、と紀子の期待は大きくなる。


六家二十三派りっけにじゅうさんぱが次々に敗退しているのは、ご存じですか?」


「ええ。雲家うんけ火家かけ海家かいけと立て続けに、と聞いています」


 雅の言葉は、縁のない話ですがと続いたのだが、その部分は口の中で噛み殺した。雅も新家だ。そして突出した百識であるならば話は別だが、六家二十三派が相手にする男ではない。


 敵にするには弱すぎて、味方にするには下賤すぎる――六家二十三派から見れば、自分どそんな存在だ、と雅は思っている。


 ――眼前にいるのが、風家ふうけ土師派はじはだというのに?


 雅が噛み殺した言葉を読んだ紀子は口の端が痙攣しそうになっていた。


 しかし話は進める。紀子にとって、これはビジネスだ。


「その中で、雲家うんけ衛藤派えとうはです。先日、斬った奴がいるんですよ。16歳? 17歳? まぁ、新家の子供です。でも流石は雲家衛藤派。転んでもただでは起きない。仕掛けたらしいんですね、呪詛を」


 カップに残っていたミルクティーを飲み干し、紀子は笑みを作った。柔和で、人を安心させ、そして心強く感じさせるであろう世話人の笑みだ。


「ほう……それは……」


 雅も思わず飛びついてしまいそうになるが、紀子の笑みでストップをかけた。


 ――飛びついていい話じゃない。


 良い事ばかりとは限らないのが、このビジネスだ。舞台に上がって得られる命の代価に対し、雅も自分の考えを持っている。


「何でも、七匹の竜が身体の中でのたうち回るような苦痛を味わうんだとか……。身体的な影響は分かりませんが、少なくとも集中力を欠くし、《方》しか持たない相手です。勝てば、間接的に六家二十三派と並ぶ事ができますよ」


「ふむ……?」


 腕組みする雅。《方》といっても様々だ。孝介が身に着けているのは、念動、身体強化、感覚の鋭敏化とそれに付随する感知――今、身に着けようとしている障壁は紀子のデータにはない――というデータを持っていなければ、雅は返事などできない質だ。


「相手が持っている《方》は、念動を主として、感覚の鋭敏化と感知、極々、初歩的な身体強化です。念動も弱く、精々、小石一つ持ち上げられるくらいだとか。接近戦しかできません」


 距離を置いての攻撃ができれば、今の集中できない孝介など怖れるに足らない。安請け合いと取られるのも癪であるから断言はしないが、紀子は鞄からSDカードを一枚、取り出す。


「動画?」


 雅がそんな事をいいだすと、紀子は苦笑いさせられた。


「残念ながら、録画があればいいんですけど、ないですからね、舞台は」


 流出が何より怖いのだから、世話人がそんなものを用意できるはずがない。


「代わりに、認められた《方》を一覧にしたものです」


 これならば、ゲームか何かのデータくらいにしか思われない。


「……返事は後日で良いですか?」


 雅は尚もそういうが。


「ええ、十分です」


 紀子も弁えている。そして――、


「その的場孝介は、バックに付いているベクターも雲家うんけ衛藤派えとうは火家かけ上野派こうずけはに勝っています。もし的場孝介を血祭りに上げられたら、その辺りの人たちも溜飲が下がる思いかも知れません」


 それを付け加えておいた。

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