第9話「馬鹿馬鹿しい仕来り」

 弓削ゆげのした事は、それ程、複雑なわけではない。向かってこようとした二人の機先を制して身をかわし、一撃しただけだ。


 ――単純であるからこそ、手の内の工夫は無限大……。


 矢矯やはぎがよくいっている言葉を反芻はんすうしながら、孝介は何をされたのかを考える。集中力を削られてしまっているから、それ程、深くは考えられないのだが、考えて取り入れていかなければ先がない。


 機先を制するのは――簡単ではないが――理屈は分かる。



 感知だ。



 弓削と矢矯は、孝介から見てもよく似ている。念動と障壁という違いはあるが、どちらも身体を操作する手段に使い、得物は超硬金属――矢矯はタングステンカーバイト、弓削はクロームモリブデンと違いはあるが――を刀身に持つ剣を使う。


 ならば相手との間合いを計り、機微を感じ取る感知は必須だ。


「……」


 また難しい顔をして考えていたのだろう。


「大丈夫ですか?」


「……!」


 必死で我慢しているように見えたのか、神名かなが孝介の顔を覗き込んでいた。


「大丈夫です!」


 慌てて背筋を伸ばす孝介に対し、斜向かいに座っている弓削が笑った。


「ここではいいが、あまりよくない」


 周囲が見えなくなる程、集中できる事は、長所であり短所でもある点だ。身体操作と感知は、二本柱とでもいうべき《方》である。途切れさせる事は死へと繋がってしまう。


 ――内竹うちだけさん、気配がないから。


 孝介の隣に座っている陽大あきひろは、孝介が気付かなかったのも無理はないと思っていた。神名は低酸素脳症によって身体が麻痺してしまっている。日常生活の全てを《方》によってまかなっているのだから、人形が動いているような違和感を伝える。存在感はあるが気配はないという状態では、感知の《方》が万全でもあるいは見落としてしまう。


「ご飯の時くらい、いいじゃないですか」


 神名は弓削とは違う意味を持つ笑みを浮かべながら、ダイニングテーブルに料理を並べていく。


 スープの椀はそれぞれの前に並ぶのだが、メインとなるのは取り分けず、大皿のまま出されるタンドリーチキンと、レタスやトマトのサラダだ。


「暑くなる季節ですし、カレー味のものを食べて元気を出しましょう」


 態々わざわざ、お替わりといわなくていいから、こうした方が遠慮せずに済む、と神名は考えている。


「いただきます」


 手を合わせた孝介は、神名の考え通り遠慮などせずに取り皿へ載せていく。


「料理、上手ですね」


 心持ち濃い味付けにしてあるタンドリーチキンは、丁度、一汗掻いた後の孝介には有り難い。


「普通です」


 神名の返事は照れたようだった。


「いいえ、俺や姉さんに比べたら……」


 孝介は、ちゃんとした料理だ、という言葉は飲み込んだ。実際、孝介も仁和も、合わせ調味料を使って何とか作っている。自分たちで作っているから、或いは矢矯であるから文句をいわないだけで、それらを「手料理」と括弧書きする事には抵抗を覚えていた。


「でも、上手なのは事実ですよ。当番が内竹さんの時でよかったな」


 孝介の世辞ではない、と陽大も頷いていた。


「全く、全く」


 弓削も同じく。


「当番制なんですか?」


 目を丸くする孝介の的場家では当番制ではなく、料理は仁和の、洗濯と掃除が孝介の役割になっている。


「共同生活だから自分の事は自分でする。掃除とか料理とか、当番制にした方が効率的な事は、当番制だけどね」


 これは弓削の方針でもある。ゆるい繋がりでいたいから、全てを曖昧にするのではなく決めなければならない所を決める。


「うちは料理は姉、掃除と洗濯が俺って役割分担にしてますね」


「それでもいい。押し付け合いになってないのが大事だろう」


 分担制も悪くはないという弓削だったが、良くない、悪いに繋がる言葉が出て来てしまう。


「でも、料理は姉の分担の方が良いかも知れません。矢矯さんが時々、来るし」


「矢矯さんが来ると、お姉さんの方が良い?」


 神名が聞き返すと、孝介は「はい」と頷き、



「多分、姉さん、矢矯さんの事が好きそうだから」



 手料理を振る舞えるのは、仁和としても嬉しいのではないかという言葉に対し、弓削と神名は声を詰まらせた。


「それは……多分、ダメ……」


 神名が曖昧な言葉を出しながら、弓削の方を向いた。


「……君とお姉さんは、正式に矢矯さんに拝師はいししたんだろう?」


 弓削にそう問われると、孝介は首を捻りながらも首肯する。


「一応。正式な儀式とかがあるなら、そこまではしてないですけど」


 孝介と仁和は新家しんけの上、両親から百識ひゃくしきとしての何かを引き継いだ訳ではないため、正式な儀式や仕来りがあるのかは知らない。


 弓削も「そうなんだろう」と一呼吸、置いた後――、



百識ひゃくしきは、師弟の恋愛は厳禁とされてる」



 問題となるのは仕来りだ。


「百識には、こういう言葉があるんだ。一日でも師たれば、終生の親となれ、と。これは心構えの問題じゃなく、持たなければならない常識だとされてるんだ。弟子一人を特別扱いする訳にはいかないから」


 血縁関係を重視するのが百識であるから、特に六家りっけ二十三派にじゅうさんぱから離れ、男系となった新家では恋人や配偶者は特別な意味を持つ。弟子の中から、それを出すのは倫理に反する事とされ、もっと昔であれば――、


に当たる」


 弓削ですらしかめっ面をしてしまうのだから、どんなに革新的な新家でも、そこに踏み込んだ者はいない。制度は馬鹿馬鹿しいと思うのだが、今まで作られてきた倫理観を簡単には踏み越えられない。


「そう……なんですか……」


 知らなかったと呟く孝介は、所在なさそうに視線を宙に泳がせた。


「いや……まぁ、まぁ、独り身の俺がいうのも可笑しいんだけどね」


 慌ててフォローになっているのかいないのか、分からない事をいう弓削であるが、横目で見ている神名は知っている。


 ――弓削さんにとって結婚なんて、苦い記憶しかないんだろうな……。


 弓削の元妻を、神名は知っている。





 そして元妻の紀子はといえば、一人の百識と会っていた。

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