第11話「新家対新家」
2LDKという広さは単身者では持ち余す程なのだが、雅の場合、リビングが居室、一室を主寝室、もう一室は壁の三面を本棚で埋め尽くすという使い方をしているため、持て余しているとは思っていない。
流し台の脇に置いてある水切り用のカゴからティーカップを、ブスチック製のワゴンからティーパックを取り出した雅は、もう片方の手でPCの電源を入れる。
電気ポットから湯を注ぎ、砂時計をくるりと回転させたところで起動画面へと目を向けた。型落ちのノートPCは立ち上がって、操作可能になるまでに時間がかかる。
砂時計とティーカップを持ち、ローテーブルの前に座る。
「さて……」
砂時計の砂が完全に落ちたのを確認してティーパックを取り出し、マウスに持ち替えた。まだノートPCの動作が重く感じるのはご愛敬だ。
――
そのデータを見て、雅は唸った。紀子のいっていた通り初歩的な《方》しかない、と断じていたら大怪我をすると感じたからだ。
「標準的、と見るのが正解だろうね」
思わず呟いてしまうのは、雅も新家で《方》しかないからだ。
だからこそ相手を蔑視しないのは、長所というよりも美点という方が相応しいだろう。
「戦績を見ても、初歩的とはいえない力を示している」
初戦は兎も角として、次戦では乱入してきた美星に対し、20メートル超の距離を一瞬といっても良い時間で踏破し、その両手を切り飛ばしている。
3戦目は、ソニックブレイブと名付けた剣技で勝利。
「4戦目は……形としては、ベクターが一人で片付けてしまったようだが、それでも無傷で生き残っている」
ティーカップを引き寄せる雅は、「このデータを見て初歩的としか思えない相手の気が知れない」と独り言ちた。矢矯に助けられているところ、初戦の勝利に乱入があった事から、孝介と仁和は劣等だと決めつけたい何かが働いている。
しかし強敵だとも思わないのは、続きがあるからだ。
石井と孝介の一戦だ。
「呪詛……か……」
1対1の戦いで、しかも雲家衛藤派の石井との戦いであったから、孝介も無傷で完勝するような事はできなかったためだ。その呪詛の内容は注釈という形で、小川からもたらされた情報だ、と書かれている。
「絶え間ない苦痛が襲いかかる……?」
それは抽象的だとしか感じられなかった。
「苦痛?」
身体にどんなダメージを与えていくものなのか、それが抜け落ちているからだ。
紀子も「身体的な影響は分からない」といっていた。
ただし、この手の初歩的な《方》を駆使して接近戦を挑むならば、集中力を欠き、《方》の制御が難しくなる事は勝機を失う事に繋がる。
「……」
雅は腕組みをし、座椅子の背もたれに身体を預けた。この一戦で手に入る金額に
「いや……」
答えは出る寸前で止めた。
――まだ早い。
急いては事をし損じる、というのは言い訳だろうか。
身体を起こした雅は、マウスを動かし、ブラウザを立ち上げる。入るのはSNSだ。
まず目に入ってくるのは、フォロワーのゼミでの話だった。
授業に必要な資料を生徒の前で整理していた担当教授がいったのだと記されていた。
――書類整理に手間取ったクソ教授が、いずれカウンセラーになろうとする者に必要なのは、率先して関わろうという姿勢だ。だが何もしないという姿勢は反省すべきではないかだって。
――そんなの無理だろ。お前らがアーシロコーシロといって、それに従って生きるようにしたんだから。
随分な憤り方をしている書き込みだ。
雅はキーボードを取ると、
――突然、気効かせろとか無理で当然。時と場合で自分の意見を入れ替えるのは、老害の始まり。
フンと強く鼻を鳴らし、キーボードをタンッと大きな音を立てさせて叩く。
雅にとって、学校とはそういう場所だった。
少なくとも優等生であれば、栄達は兎も角、将来は安泰だと教えられてきた。
だが現実は、この状況だ。
――自分で考えて反論できて、しかも反論は周囲を納得させられるものだった。素晴らしい!
キーボードに指を走らせる。教授は驚いていたが、ゼミ生の大半は当然だと頷いたのだと返信にあった。
「いずれは歯車になるだろうけど、それが自分で考えられる歯車なら、最高だよ」
大学生ならば、今、黙して俯く時ではないのだ、と雅は続けた。
奇しくも弓削が孝介と陽大に教えたい事も、その「考える」という事だ。
夕食が済むと、流石に泊まっていくという訳にもいかず、孝介は自転車に跨がり、
「気を付けて下さいね……」
「はい。また明日、来ます」
孝介はできるだけハキハキとした口調で返事をし、自転車を発車させた。
しかし神名の心配も尤もだと自覚するまで、時間はかからない。
――やっべェ。
ペダルを漕げば、今の自分が酷くアンバランスである事を思い知った。
感知と念動を全開にして呪詛を押さえ込めば、参るのが早くなる。
障壁を使って呪詛が送ってくる苦痛を打ち消そうとすれば、今度は身体の感覚も怪しくなり、ペダルに足が着いているのかも分かりづらくなる。
フラフラしているのも自覚できないのだから、自転車道を走っているはずが歩道に近くなりすぎたり、車道にはみ出したりしていた。
クラクションを鳴らされる事もあっただろうが、それすら分からないのだから深刻だ。
そして、より深刻な状況は、クラクションの音を感じられた時にやって来た。
何もかもが一斉に襲いかかってきた時、孝介は上下すらも分からなくなっていた。
立て直そうとした時には、もう遅い。
――0と零は違うって、何だ?
ただ弓削の言葉だけは忘れなかったが。
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