第12話「小さな親切、大きなお世話。それと確執」
覚えているのはクラクションの音と、感覚の消失――正確にいうならば、感覚の混乱だった。上が頭の方向だと分からなくなり、自分の足下が上であるように感じてしまった。
その混乱は容易に座標を見失わせ、転倒させる。
転倒した孝介が感じるのは、転落するはずのない足下への抵抗だった。
アスファルトの地面に爪を立て、必死にしがみつこうと足掻く。
そんな混乱の中であるから、《方》など何も使えない。念動も障壁も、こうなってしまっては使えない。恐らくは舞台で命を落とす時、孝介はこういう姿をさらす事になるだろう。
孝介は自分の身に何が起きているかを感知する事もできず、ただ恐怖に震えていく。
呪詛だ。
孝介の身体を蝕む石井の《導》が、ありとあらゆるものを飲み込んでいく。
まず感覚を奪う。身体から力が消失し、《方》すら使えなくなる。
そして意識を奪う。
夢とはいえない夢を見た。
暗闇の中に佇む孝介は声を聞いた気がした。
――恵まれていて、戦う理由らしい理由なんてない奴が。
嘲笑は、孝介が舞台に立つ事を選んだ浅はかさへ向けられていた。
――必要があるとは思えない。住む家があり、財産もある。
周囲を見回すが、人影すらも見えない。
「生活を守る必要がある!」
どこにいるか分からない声の主へ怒鳴り声をぶつける。
だが嘲笑は強まった。
――取捨選択できない言い訳のためだけに舞台に立ってる。
孝介のいう理由など聞く必要を感じていない。
――立っている理由など何もない。立たされている訳でもない。守りたいのは、姉のため、大切な両親が遺してくれたもののため、何でもいいから言い訳が欲しい。
嘲笑は強く、強くなっていく。
――全て行動で語れ。批判する相手全員に説明して回るのか? 無理だ、無理だ。
笑う。
――いや、恵まれてる事も、説明して回るか? どけだけ説明しても、理解できないけどな。
嗤う。
――25点。
「うるせェ!」
怒鳴ると同時に目に飛び込んでくるのは、声をぶつけられていた闇の中ではなかった。
白い天井と無機質な壁。清潔感だけがある場所。
「気がついたかしら?」
ベッド脇からかけられた声は、聞き慣れた女医の声だった。
女医の顔と共に
「通りかかってよかった。フラフラしていたから、何事かと思ったんだ」
ここに連れてきたのは矢矯だった。クラクションの音も、矢矯のSUVだった。
「何があった? バイトを始めたと
パイプ椅子から立ち上がった矢矯は、孝介の異変を見て、この舞台の医務室へ連れてきたのだった。一般の病院であったら、正体不明の奇病扱いされていたはずだ。
「……」
女医は矢矯を一瞥した目を孝介へ向けた。石井との一戦は孝介が単独で動いたのだから、何があったかを、どう説明する気なのかという目だ。女医は話しに加わる気はない。
「……それは……」
孝介も言い淀んでしまう。しかし言い淀みながらも、呪詛に抵抗しようと《方》を使えば、矢矯の感知はそれを捉える。
「何を感知して、何を止めようとしてる?」
感知の《方》に関していえば、矢矯は格上だ。それこそ矢矯よりも上手はいないと思って良い程に。
「呪詛の《導》ですよ」
こうなれば女医が答えた。女医は矢矯が得がたい存在であると思っている。
「呪詛?」
聞き返した矢矯は、慌てて孝介の顔に手を翳した。より近くで、また身体に触れる事で詳しく知る事ができる。
「呪詛……」
矢矯も感じ取った。石井から受けた《導》が、七匹の竜となって孝介の身体を蝕んでいる事を。
「……《導》だ……。それも、強い」
単純なエネルギーが渦を巻いているのではない。だから感知を駆使し、その竜が動かないように縛り付ける必要がある。
――手に余るだろう?
矢矯も目を白黒させていた。孝介が《方》を全開にしていれば防げるとは思っているが、いつまで防ぎ続ける必要があるのか、全く見当が付かないのだから。
「ベクターさん」
深呼吸を繰り返しながら、孝介が言葉を向ける。
「何だ?」
「ゼロと
矢矯も藪から棒にと思ったはずだ。
「それより何があったのか、教えて――」
孝介の質問を打ち切り、自分の質問に答えろといおうとした矢矯であったが、チッと舌打ちをし、前髪を書き上げて苛立ちを表す。
「ゼロは無という事だ。何もない。ゼロパーセントというのは、可能性がないという事になる」
矢矯は知っていた。
「零は、あるんだ」
ゼロと零の違いだ。
「計上できないくらい低いという意味で、無じゃない。零細企業っていうだろう? 細々とだけど、確実にあるから、零細なんだ」
「零はある……」
「天気予報では、ゼロパーセントといういい方はしない。零パーセントだ。つまり、雨が絶対に降らないという意味にしていない」
説明を追えたところで、矢矯は孝介の目を覗き込むような視線を送った。
――今度は、孝介くんが答えろ。
そういう意味を込めている。
「……ありがとうございます」
孝介は礼をいった後――、
「障壁です。その呪詛の力を押さえ込むため、障壁を習ってます」
「障壁……
矢矯が思いうかべた相手は弓削だった。障壁を使う
「はい……」
孝介の返事は重い。何故、呪詛にかかったかの説明は、まだ考え込んでいる。
「弓削さんに、ゼロと零は違う。それを考えて、組み込まなければいけないといわれて……。わかりますか?」
質問を重ねる事で時間を稼ごうとしてしまう。
しかし矢矯は――、
「さぁな?」
軽く肩を竦めたのだが、矢矯は答えを知っている。そういう仕草だ。
ただし教えない。
「弓削さんが、教育上の信念として、そういったのなら、答えは自分で掴まなきゃな。人から聞いても身につかない」
席を立つ矢矯は、そのまま背を向けた。
「仁和さんには、激務で倒れてたといっておく。帰ってこないから心配してた。探しに出てよかった」
部屋から出て行きながら、矢矯はフンと鼻を鳴らした。
「……大人しくしておきなさい」
女医も同様に、孝介へ一言だけ遺し、部屋を出て行く。
その理由は――、
「ベクターさん」
部屋を出て行った矢矯を追うからだ。
「……俺も、一部屋、借りられますか?」
振り向いた矢矯は青い顔をしていた。
――寝るのも起きるのも薬頼み。
かつて女医は矢矯にそういった。いつも無茶しっぱなしの矢矯だ。孝介を探しに出て、しかも弓削の所で《方》を習っていて遅くなったというのは、ストレスの強い話だった。
――蔑ろにされたと思っている。
矢矯の《方》では救えない、と判断したのは女医であるが、それと矢矯の心情を汲むのは別の話だ。
仕事の後、走り回ったのだろう。色々な薬が切れているか、もしくは飲み過ぎたか。どちらにせよ、この状態で車を運転させるのは危険だ。
「私の権限で、用意させましょう」
「すみません……」
矢矯の返事に力はなく、女医はキリと一度、歯軋りした。孝介の行動と女医の提案が、このチームに悪影響をもたらしたのは間違いない。
――参る……。
安土に何と説明しようか、頭の痛い話になってしまった。
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