第26話「いきましょう」

 こんな状況の中、孝介こうすけは一人、蚊帳かやの外に置かれたかのように静止していた。


 傷を負った背を下へ向けないようにするには、矢矯やはぎの身体を抱きかかえて支えるしかなかった。


 ――息をしてる! 


 矢矯の青白い横顔を横目に見れば、浅くはあっても呼吸を感じられた。


 ――血だって勢いが弱まった!


 クファンジャルが突き刺さっていた背に視線を落とせば、傷口から吹き出していた血は、もう流れ出る程度に減っていた。


 ――助かる、助かる!


 しかし心中で繰り返す言葉は、確信しているのでは泣く必死の祈りだ。


 血が噴き出さなくなっているのは血圧が下がっているからであり、呼吸が浅くなっているのとて出血が過ぎたためだ。


 ――大丈夫なんだよ!


 それを認められない孝介の声なき叫びだった。


的場まとば君!」


 そこへ走り寄る神名かなは、顔も上げない孝介にかけるべき言葉を失った。


 呆れたのではない。


 ――何て顔……。


 顔色から心情を察せられる事など稀だと思っている神名だが、それでも分かる程、孝介は絶望に支配されている。


 そこへ、まだ戦闘は継続中であり、その真ん中で何をしていると告げるのは相応しい行為ではないと思わされた。


「……」


 迷いからか、神名の視線が弓削ゆげ陽大あきひろへ向けられた。


 弓削は上空へ逃れた珠璃しゅり余所よそに、陽大の援護へ向かい、陽大は迎え撃つ形を取っている鳥飼とりかいへ走っている途中だった。


「後ろから狙われるかも……?」


 神名の口から出た言葉は偶然、ついうっかり出た、という程度のものであったが、孝介の意識をこちら側へ引き戻すには覿面てきめんの効果があった。


「後ろ……後ろ?」


 孝介が顔を上げ、自分の傍にする神名と、その視線の先にいる陽大と弓削の二人を見つけてしまう。


「弓削さん!」


 思わず声を上げてしまった孝介は、助けに行って背後を狙われる――矢矯の二の舞だという思いが頭の中を駆け巡った。珠璃は複数の遠隔攻撃手段を持っている。直線で放つ熱素ねっそ、浮遊砲台の黒白こくびゃく無常むじょう、様々な角度から発射できるアカシャ・ライジング、珠璃自身が切り札だといったシュペル・ノーウァと、今、掴んでいるだけで4種。


 ――全部、避け方が違うんじゃないか!?


 弓削も矢矯と同様の感知を持っているが、身体操作の方法が念動と障壁の変化という風に違うが故に孝介は背に冷たいものを感じた。


「気が付いた?」


 神名は孝介の傍に膝を着き、矢矯の背を見た。


 ――痛々しいけど、短剣を抜かない方が良かった?


 血を噴き出させてしまった原因は、孝介が忌々しいとクファンジャルを抜いてしまったからだ。深々と刺さっていたのだから、傷は縫合するしかないのに、ここには縫合する道具も、また孝介に知識も技術もなかった。


 出血が少なくなった理由は、神名にも分かる。


 ――縫合して輸血したら、ギリギリ助かるかも……?


 神名は眉を潜めながら、もし今すぐ戦闘を終わらせられたら、と思案した。常識的に見れば手遅れだが、《方》を使った治療ができる女医は常識の外にいる。美星メイシンの《導》を直撃で受け、一時は心肺停止まで陥った仁和になも生還させた。


 だから神名はいう。


「すぐに終わらせられるなら、助けられるかも」


 数の上では、こちらが上回っているのだ。


「!」


 孝介の目にも、光が戻った。


「背を下にしちゃいけないけど、壁にもたれかけさせて」


 スタジアムのフェンスにもたれさせ、神名と陽大は立ち上がった。はじめのように結界の《導》があればいいのだが、今、ここに基はいない。陽大が持っている結界の《導》は、守るためのものではないから論外だ。


「行ける?」


 神名は一度、訊ねた。矢矯のお陰で、孝介は無傷。武器は矢矯が落としていった剣がある。


「はい!」


 孝介の返事に頷いた神名も「行きましょう」と声を掛け、二人は最大戦速で走った。


 最後に一度、孝介は矢矯をふり向いたが。


 ――矢矯さん……!


 フェンスにもたれ掛かる矢矯の身体は、少し小さく見えた。

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