第21話「いみじき矜恃――4対7」

 這いつくばって尚、倒れてしまいそうになるカミーラは、右腕を失った代償が予想以上に大きい事を思い知らされていた。


 ネコのぬいぐるみに《導》で命を吹き込んだのだから、カミーラの身体能力はネコと同様の精度を誇っていたはずだ。


 だが重心の変化に平衡感覚がついていかず、大きな動きをしようとすれば転倒してしまう。


「害虫らしい姿だけど、生憎あいにくと実物を見た事がなくてね。北海道にはいないからね」


 う事くらいしかできないカミーラへ、明津あくつが笑いを向けた。


 醜悪だった。


 ――いいえ、構わない!


 カミーラは明津を見上げたまま、這う事しかできないとしても、また必殺のレイザークローを失ったとしても、食らいつくくらいの事はできると睨み付けていた。


 這いつくばった状態でも、跳躍ちょうやくできる自信が湧いてこなかった。真っ直ぐ飛んでいるつもりでも、身体の右側が軽いためバランスが崩れる。


「できる事といえば――」


 明津の視線がカミーラから外れていく。


 カミーラの目もそれを負ったのが、明津にタイミングを教えてしまう。


「背後からの奇襲!」


 振り向きざまに一撃を見舞う。


 背後からペテルが迫っていたのだ。


「ッ!」


 それでも読まれたのだから、ペテルは急停止を選択した。電装剣でんそうけんに対する防御策はない。精々、回避を徹底する事くらいだ。


 攻め足を残してギリギリの回避は望めない、という考えが、このとき、悪影響を及ぼした。


「!」


 空振りする明津が振るったのは、電装剣ではなかった。


 ――罠か!


 黒い刀の鞘だった、とペテルが目を剥く。


 ――鞘か!


 それでも体勢を崩したのだから、とペテルが踏み込むのだが、その鞘も罠だ。


「かかったな!」


 明津の声が弾んだ。


 ――よっぽど、双龍そうりゅうが効いたんだな!


 確かに今、振るったのは鞘だったが、電装剣の柄を納めていた鞘とは違う。


 今、明津の右手にある柄は、電装剣ではなく――、石井の日本刀だ。


剣閃けんせん龍雷りゅうらい!」


 居合いの縦抜き。


「クッ」


 ペテルが息を呑まされた。縦の居合いは横よりも難しい。明津は身体強化を使い、無理矢理の技にしているが、ペテルが見せてしまった一瞬の逡巡、また電装剣を捨てて攻撃に転じてきた事で生じさせてしまった隙が、明津の切っ先を届かせてしまう。


「クソッ!」


 相打ちに顔を顰める明津であったが、ペテルの怪力でも急所を捉えなければたおされる事はない。


 しかし明津の切っ先は、掠り傷であろうとも呪詛を流し込む。


「……!」


 ペテルは真っ赤に染まる視界に蹈鞴を踏まされた。傷口は精々、胸の皮一枚を斬られたに過ぎないのだが、ダメージは孝介や仁和に襲いかかってきたものと同等だ。


 ペテルは目が眩み、膝を着くのだが、膝を着いたのか、それとも倒れたのかも分からなくなる。


 そんなペテルを横目に、明津は悠々と日本刀を構えた。


「狙ってたものは分かっている。お前には身体強化がない。電装剣は確かに防御のしようがない必殺の武器なんだろうが、な」


 日本刀の切っ先越しに、明津の目が基を捉えていた。


「当たらなければ、こういうものは意味がない!」


 技術がない事を嘲笑う。


「ベクターに比べれば、俺はチンケな野郎だと思ってるんだろう? けど、お前らよりはマシだ」


 這い寄るしかできないカミーラ、立てなくなったペテル、棒立ちの基を順に見遣る明津。


「この二人は足止め。隙を突いて結界の《導》を食らわせる……それくらいしか手がないんだろう」


 手招きする明津だが、吐き出す挑発の言葉は、腹を括ってかかってこいという意味など含めていない。



 ――できるだけ足掻あがいて、死ね!



 観客が望んでいる事でもあるし、何よりも明津自身が強く望んでいる。


 矢矯に後れを取った事を取り戻すためにも、電装剣での対決に負ける訳にはいかない。


「かかってこい!」


 明津ががなり立てる。


「足掻く以外に何ができる!」


 胴間声どうまごえで。


「……そうですね」


 それを静かに一刀両断にしたのは、ペテルの静かな声だった。


「!?」


 明津が向ける目にあるのは、驚愕きょうがくの光。


 ――傷の浅い深いで効きが違うのか!?


 だが、そんな話は石井からなかった。そして孝介が負った傷を見ると浅手ばかりだ。つまり深手か浅手かは無関係と見ていい。


 ならば今、孝介が《方》を駆使して辛うじて命脈を保っていられるような呪詛が、ペテルの身体を蝕み、駆け巡っているはずなのだ。


 ――このクマには《方》も《導》もないだろう!?


 治癒や防御に使える《方》も《導》も、ペテルには宿っていないはずだ。


 ――なら何故だ!?


 明津は叫び散らかしたかった。ペテルはあらゆる感覚を奪われ、そこに筆舌に尽くしがたい苦痛、そして屈辱を与え続けているはずだ。


 だがペテルは明津の足を掴むと、まるでよじ登ってくるかのように身体を預けて立ち上がってくる。


「離れろ!」


 その足に日本刀を突き立てる明津は見た。


 不気味に瞬く白い光が、刀身からペテルの体内へと流れ込んでいくではないか!


「ほらみろ、もう終わりだ!」


 明津は威嚇しようと声を荒らげたつもりだったが、それは威嚇というよりも懇願だった。


 ――終わりだろ! 終われよ!


 心中の言葉にも、「俺が終わらせる!」という言葉が出てこない。


「ははは」


 だからペテルから返ってきたのは笑い声だった。


「鳥打君は、いみじくもいいました。教えてくれました」


 ペテルの頭には、基の言葉が残っていた。



 ――心が苦しいのに比べたら、身体が苦しいのなんて何でもない!



 ペテルにとって、カミーラにとって、基にとって、最も苦しい事は、聡子が泣く事だ。


「心中に痛みに比べれば、こんなもの、痛くもかゆくもないわ!」


 ペテルが巨体にものをいわせ、明津を押さえ込んでいく。

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