第8章「鈍色の鬼神、月華の下で我らは死なず」

第1話「破滅の始まり」

 ストレッチャーが慌ただしい音を立てて廊下を走っていく。


 乗せられているみやびはぐったりした様子であるが、口元につけられた呼吸器が絶え間なく酸素を送り、辛うじてとはつくのだが命を繋ぎ止められていた。


 強引に肩から膝下までを切り裂かれたのだから、その痛みでショック死してもおかしくはなかったのだが、精神力が勝ったというべきだろうか。失血性のショックさえ回避できれば、《方》による治療が行える女医ならば十分に命を救える。


「……」


 運び込まれた雅を前に、女医はトリアージを気取る訳でもなく処置を始めようとするのだが――、


「いや、本筈もとはずさんは別に回ってくれ」


 ストレッチャーと共に医務室へ入ってきた男性医者が、女医に退室を促した。


「はい?」


 思わず頓狂とんきょうな声を出してしまうのだが、男性医師は孝介こうすけがいる第二処置室を指差した。


的場まとば孝介こうすけの処置だけでいい」


 それは雅には関わるなという強い口調だった。


 ――何故?


 疑問が浮かぶのは当然であり、これが本業であれば問いただしているところなのだが、闇医者の仕事は本業ではない。


「はい」


 短い返事と共に女医は踵を返した。


 第一処置室と第二処置室の違いは、精々、ステージから近いか遠いかだけで、中の設備に違いはない。


 入れば肩で息をしている孝介が座っていた。今回は掠り傷とはいえない傷が目立つ。衣装の色が青紫であるから、血の赤は黒く見えた。


 ――それもそうか。


 呪詛じゅそに冒されて万全とは言い難い状態の上に、感知と念動に加えて障壁までも連動させなければならなかった孝介の負担は想像に易い。無傷で切り抜ける事など不可能あるし、第一、雅は孝介自身が断じた通り、強襲突破型の戦闘方法をとっていた。


 石井や美星のように《導》を戦法の中心に据え、郷里を取っての戦闘を得意としていた場合とは、どうしても経過が異なる。


「縫う必要がある。脱げる? それとも切る?」


 全てを感知させられる《方》は女医も身に着けていない。縫合し、その傷に対して《方》を使用するのが最も効率的だ。


「脱げます」


 そう返した孝介に、女医は目を丸くして見せた。障壁を身に着け、念動と連動させられるようになったとはいえ、呪詛の威力は今も孝介の中にある。この短期間で、それを感じさせない動きになれた事は驚愕に値する。如何に紹介したのが自分だとしても。


 ――向いてたんだ。


 それ以上に、妹の世話人としての技量が、特別、優れているという事に驚いた。


「そうか」


 妹の姿が浮かんだところで、女医は思わずそういった。


「え?」


 不思議そうな顔をする孝介に、女医は「何でもない」とはいわない。


「近々、舞台に立つ事になる。強制ではないでしょうけど」


 女医が預言よげんめいた事を口にするが、孝介は首をかしげる角度を深くするばかりだ。



 女医が直感したのは、聡子さとこ安土あづちの関係が露見したという事だった。



 ――だから安奈と繋がっている私は、安奈と繋がっている的場くんしか世話するなって事か。


 安土を排除したいと思っている者が動き始めている。


 ――誰?


 そこまでは分からない。非合法な活動が露見する原因は情報の拡散だ。個人個人が持てる字用法は、可能な限り断片化させるのは常套手段。


 ともあれ、それらはいずれ分かる。巻き込まれたのは確かなのだから。





「……」


 まさにその時、安土は小川から突きつけられていた。


「娘さんが、いたんですね」


 ビルの最上階にあるバーで、小川は並んでカウンターに座る安土へと写真や書類を押しやってきた。


 写真は聡子と女医と安土の写真。


 書類は安土が偽装してきた事を示していた。


 聡子の存在が安土の周りにないのは、別におかしい事ではない。姪と叔母という関係は、そこまで近しいものではないのだから。


 だが全て抹消しているとなれば不自然さが顔を見せてくる。


「もっと上手くやって下さい」


 安土の思考を先回りした小川の発言は、強く苛立ちを掻き立てられる。


 ――確かに、今ならもっと上手くやりますよ!


 世話人として生きるために、ウィークポイントを切り捨てるしかなかった記憶は、苦いという一言では表しきれない。


 今、自分が置かれている現状は、怖れていた事そのままだ。


「駒を出してもらえませんか?」


 要求してきた小川の顔を見返した安土は、そんなもので済むはずがないと直感している。


 当然だ。


「……大きな大会にする気ですか?」


 安土の言葉は、イベント事のようにいうのではない。



 そういう皮肉にするしか手がないからだ。



 安土は小川の他にも、自分へと七対の視線が注がれている事を感じ取っている。


 ――あちらにいるのは、ああ、成る程。


 極力、顔を動かさないように見遣る方向に、4人掛けのテーブル。


 ――ルゥウシェ、バッシュ、美星メイシン、石井……。


 孝介、仁和、矢矯やはぎと因縁を持っている4人。


 その4人とは逆サイドに、3人。


 ――アヤ、とも明津あくつ……。


 こちらは陽大あきひろはじめ弓削ゆげ神名かなとの因縁がある。



 安土が世話人としてついている全員と、浅いとはいい難い因縁の持ち主だった。



「はい、大きな大会に」


 皮肉だと気付く事は、有利だと自覚している小川には調子づかせる事になる。


「ここまで大きくしたら、商品も出せますよ」


 商品――ろくなものではないと想像できるが、想像した中で最も碌でもないものだ。



「勝者の側になったら、我々はあなたの娘の命を」



 馬鹿をいうなと撥ね除ける事はできない。聡子が決して許容できない《導》である医療の《導》を身に着けている事は、もう誰もが知っている事だ。百識の倫理が働けば、安土の理屈だけでは阻止できない。


「……私の百識が勝利したら?」


 安土が態とらしく潜ませた声は、思っている程の効果は発揮してくれなかった。


「望むものを」


 つまり聡子の命を助けるだけだ。


 ――それで皆が納得するといいな。


 小川の予想では、矢矯と仲の悪い弓削や、自分の生活にしがみつくために舞台へ上がっている的場姉弟へ楔を打ち込めるはずだ。


「調整します」


 頼んでいた飲み物に手を付けず、安土は席を立つしかなかった。

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