第2話「ゲームのルール」

 席を立ち、バーから出て行く安土あづちの背を見ながら、小川はグッと拳を握ってみせた。


 ――ザマァ!


 今の気持ちを一言で表すとすれば、そうなる。


 小川にとって安土は、そそぎがたい汚辱を味合わされた相手だ。


 ――勝ちですよね?


 今も安土の言葉が耳に残っている。許しがたい犯罪者である陽大あきひろを処断する事もできず、依頼人の命まで危険に晒すという失態を演じさせられ、その上、自らの口で敗北宣言しろと要求された時だ。


 その安土が返す言葉もなく、有効な対策も立てられず、ただ詰まされたという事実のみを突きつけられて撤退させられる。


 ――これ以上、いう事がない。


 その高揚した気分のままに、テーブルに載せられているカクテルを煽った。


うまい」


 思わず出た。


 しかし今のカクテルは少々、アルコールが弱い。


「マティーニ」


 今の気分は、弱いカクテルではない。


「カクテルの王だ」


 態々わざわざ、口に出してしまうと滑稽こっけいきわまるというものであるが。


「かしこまりました」


 バーテンダーは一礼し、ドライジンとベルガモットを用意していく。


 シェイカーが小気味よい音を立てる中、小川はくるりとストールの上で半回転して百識ひゃくしきたちを振り返った。


「よろしいですか?」


 小川が視線を一巡させる。


 矢矯やはぎに対し、小川と同種の怒りを抱いている三人、ルゥウシェ、バッシュ、美星めいしん


 はじめに対し、怒りを抱いている三人、アヤ、とも明津あくつ。この三人は、そもそも弓削ゆげや陽大へぶつける算段で呼び寄せている。


 世話人でもある石井は、安土と陰険があるといえるか。


「舞台さえ整えてくれれば十分」


 カクテルグラスを傾けるルゥウシェは、安土の方など見ていなかった。


「ベクターを斬る機会だけ作ってくれれば十分」


 ルゥウシェが目を向けるのは、そのために整えた武器だけだ。



 石井が《導》で作り上げた玉鋼たまはがねの単一結晶で作られた日本刀――ルゥウシェの《導》に耐えうる神器だ。



 ――裕美ひろみは七つの《導》を重ね合わせた。なら、私だって!


 その視線の下で、矢矯に振るう《導》をイメージしていた。七つの《導》を掛け合わせる事は困難窮まった、石井にできたのならば自分にもできるし、何より矢矯にくれてやる死は、そうでなければならない。


「ルーがないなら、私もない」


 美星が「ね?」と訊ねると、バッシュも無言ながら頷いた。


 石井は言わずもがな、だ。


「そちらは?」


 ルゥウシェが身体ごと、アヤたちへ向き直った。


 こちらのチームの意思は統一されていると無言で伝える目は、どこか挑発的だ。


「……」


 明津が眉を顰めるのは、矢矯が仇なのはルゥウシェたちだけではないからだ。


 明津とアヤも、結局は矢矯に斬られている。


 那の《方》によって快復したが、その痛みと屈辱を忘れた訳ではない。


 だが電装剣でんそうけんで斬られたというならば、二人を治療した那とて同じ。


「私は、別に構いませんよ。誰が誰の相手だろうと。する事は一緒」


 声を出したのは、その那だった。


「戦って、勝つだけです」


 明津とアヤの気持ちは分かるが、ここで仲違いというのは有り得ない話だ。


「それに、元々、私たちは弦葉陽大の処断に来ている訳ですから、それができればいい話でしょう?」


 アヤも明津も那に反対しなかった。反対したい気持ちはあるが、仕返しがしたい、という言葉は、アヤも明津もプライドが許さない。そんな幼稚な感情で動いている訳ではない。


 ――あっちとは違って、ね。


 アヤは皮肉な光を相貌に湛え、ルゥウシェを見返した。


 ――雲家うんけ衛藤派えとうはは、貧乏劇団の維持が目的だったっけ? それでベクター一党を相手にして二連敗。


 言葉にせずとも、アヤの挑発的な目は雄弁だ。


 ――そもそも、山家さんけ本筈派もとはずはの子供の命で良いの?


 那も同じような言葉を視線に込めていた。


 それに対する返答は、やはり言葉では発されない。


「ふーん」


 鼻を鳴らすような返事をわざとするのは、ルゥウシェの悪癖あくへきだ。その悪癖に、可能な限りの嫌味を込める。


 ――結局、そっちだって二連敗してる。いいとこなしで。


 ルゥウシェは少なくとも、斬撃に《導》を込めるという技を披露する事で、舞台の客に健在ぶりをアピールしている。それに対し、アヤと明津は雪辱の機会に恵まれず、那はその基に斬られた。


 互いに交差させる視線で告げている事は共通していた。



 バカにされるのはどちらだ――。



 決して一枚岩ではない。


 小川はそれに何を感じたか。


「ただし、問題が一つ、あるんですよね」


 次に出て来たのは、それに対する調停ではない。


「こちらの戦力は、ルゥウシェさん、バッシュさん、美星さん、石井さんの雲家衛藤派の4人と、火家かけ上野派こうずけは上野こうずけさん、海家かいけ涼月派すずきは涼月すずきさん、そして明津さんの3人と、合計7人。しかし相手は――」


 開いた手を眼前に掲げてみせる小川。


「ベクター、的場まとば姉弟きょうだいの3人」


 まず右手を折る。


「犯罪者、弓削、内竹うちだけの3人」


 左手。


「クソガキ、ビッチ、それを庇ってる売女ばいたの3人」


 右手の人差し指を残して9本の指を折った。


「9人います」


 7対9のハンディキャップマッチにしても、この場にいる者は何とも思わないだろう。


 少なくともアヤや那は。


 思う事があるのは、ルゥウシェたちだ。


「ハンディキャップは、控えた方がいいかも知れませんね」


 痛い目を見ていましたよねと、一言でもいいたくなる。


 一瞬、アヤが腰を浮かせる。


「まぁ、まぁ」


 そればかりは小川が割り込んで止めた。


「何人か、間引まびきましょう。仕掛けられる罠がありますから。手の内なんですよ、既にね」


 ここは自分の存在をアピールしておきたい。


 ここで起こっている事は、ミーティングや作戦会議ではない。



 綱引きなのだ。



 そして小川は、自らこそが状況をコントロールしているのだ、と見せびらかせたい。


 ――駒なんだから、いわれた所へ行くいがいにないだろう。


 この場を調える事自体が、小川に貸しを作るという事なのだと認識させなければならない。


「二人を排除して、もう一人か二人、絶対に万全の状態では上げませんから」


 作り笑いを見せる小川。


「満足させて下さい」


 それは「観客を」という意味だろうか?


 それとも「俺を」という意味だろうか?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る