第3話「急がば回れというけれど……」

 小川が想定している安土あづちの手は、ただ一つだった。


 何が何でも隠そうとしていた聡子の命がかかっているのだから、何としても小川の駒である7人に対抗する人員を揃えようとするはずだ。


 こればかりは外れようがない。


 ――さぁ、困れ。


 小川はそう思っていた。


 小川から見て、安土の駒はクセが強すぎる。陽大あきひろはじめは犯罪者、孝介こうすけ仁和になは自分の欲望でしか動かず、そんな三組のコーチ役を引き受けている者など、ろくな経歴ではない。事実、占い師の乙矢おとやや古本屋の弓削ゆげなど、小川から見れば正業ではないし、まともな職業に就いている矢矯やはぎとて、真っ当な生き方をしていないのは一目瞭然いちもくりょうぜんだ。


 そんな9人が聡子さとこの命しか拾うものがない戦いに身を投じるはずがないのだから、どう万全の体勢を整えるつもりなのか見物だ、と感じている。


 事実、安土には、その一手しかない。


「……」


 退店した安土はスマートフォンを手にし、IMクライアントを立ち上げるのだが――、


「んんッ」


 うなるような声と共にスマートフォンをタップしようとした指を止めた。時刻は既に0時になろうとしている。平日の夜中に、明日の予定も聞かぬまま連絡を回すなどマナー違反だ。


 ――明日、改めて……。


 連絡していくしかない。


 ――集合は、早くても明後日の昼ですか。


 2日の浪費となってしまうと考えれば、もう一度、スマートフォンをタップしそうになってしまう。


 ――焦っていますね。


 衝動的な行動ばかり思いうかべてしまう理由を、安土はそう感じた。IMは双方の手が空いていなくとも連絡が取れるのが便利だが、着信音が鳴る。この時間に鳴らされて愉快な者はいない。


 ――その上、矢矯さんはダメですね。


 寝るのも起きるのも薬に頼っている矢矯は、起こせば覿面てきめんにダメージを受ける。小川も織り込み済みの事だろう。


「明日……明日……」


 自分自身にいい聞かせるように繰り返しながら、安土はスマートフォンを鞄の中へ入れる。上着のポケットに入れてもいいが、それではすぐに手を伸ばしてしまいそうになると思った。


 ――こちらは9人、あちらは7人です。誰かを排除しようとするはず……。


 安土が思いうかべる相手は矢矯だった。


 ルゥウシェが狙っているのだから、矢矯が排除される対象である可能性は低いのだが、最もスコアを上げているにも関わらず健康に不安のある矢矯は最も排除しやすい。


 今、安土が引き金を引いてしまう事を望んでいる。証拠はないが、安土は自分の直感を信じる。その直感は「だろう」ではなく「かも知れない」なのだから。


 2日のアドバンテージを小川へ与えるのは癪だが、ここで急いては2日では済まないアドバンテージを与える事になる。


 ――眠れそうにないですが。


 白いセダンに乗り込む安土は、大きく深呼吸した。


 溜息では、断じてない。


 安土は腹を括れる。


 ――遠回しにする話じゃありませんね。


 愛車をスタートさせながら、安土は話す内容も決めていた。





 眠れぬ夜を過ごした安土からのメッセージを受け取ったのは、ある意味にいては矢矯には鬼門だった。


「……」


 机に突っ伏して寝ていた矢矯を起こした。


 アラームではない。アラームは13時の2分前に鳴らすようセットしている。頭と身体に不愉快な重さを感じるのだから、そのまま無視して寝直してもよかった。それでもスマートフォンを手に取って確認したのは、メッセージ着信音が専用のものだったからだ。


 ――安土さん?


 世話人が専用のIMクライアントであったから、矢矯は重たい身体と頭を起こした。


 文面は、少しだけいつもと違う。



 ――明日の正午、よろしいでしょうか? 相談事があります。今後の方針について。



 そんな文面を送ってくる安土ではなかったはずだ。そして添付されている地図情報が示しているのは、安土が行き付けだといっていた中華ちゅうか酒家しゅかの場所。


 ――昼?


  高級な昼食といえなくもないのだが、手軽にランチが取れる店ではないのだから、矢矯は首をかしげさせられる。


 しかし送信されている他のメンバーの名前を見ると、想像はついた。


 ――孝介くん、仁和ちゃん、弓削、鳥打くん……。


 顔と名前が一致する相手はその程度であるが、その程度であっても顔を知っている百識ひゃくしきがいる。


 そして共通する事は、基が那と戦わされた舞台で、聡子を守るために動かされた百識だという点。


 ――何かあったな。


 想像するのは容易だ。


「……」


 寝ている場合ではないと、矢矯は頭を振り、シザーバッグから無水カフェインを取り出す。あと30分以上、眠っててもいい時間であったが、起きる事にした。


 無水カフェインを炭酸飲料で飲み干す。ややあって襲いかかってくる痛みから、顔を顰めつつも耐え、ホワイトボードに視線を向ける。


 明日の予定に、年次有給休暇を書き込まなければならない。


 ――嫌なものだ。


 マーカを手に取りながら、矢矯は一度、舌打ちした。時間外労働を繰り返していたならば、法的には兎も角として、道義的に有給休暇は取りにくい。時間外労働ではなく、休まずに出勤して仕事をするのが本筋だからだ。


 しかし矢矯は幸いな事に、無断の早朝出勤は時間外労働にはならず、有給休暇を取る妨げにはならない。


 矢矯1日と書き込み、IMクライアントに「了解しました。出席します」と返事を書する。


 見れば、孝介、仁和、基も返事をしていた。あちらも丁度、昼休みなのだろう。弓削や陽大は遅れているようだが。


 小川は苦労しろといった。


 だが現実は――?

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