第4話「安土の編成」

 自分が関係している者に対し、という表現を使う小川から見て、孝介こうすけ弓削ゆげは扱いやすい駒ではない。


 世話人とは棋士きしなのだから、駒がいわれた場所に行かないなどという事はあってはならない、と考えるのが小川だ。


 それを可能にするファクターを、小川は金と名誉だと断言する。


 貧乏劇団を維持できる金額がルゥウシェたちを、不当に罰から逃れた陽大あきひろはじめを討たせるという事が、アヤたちを動かしている。


 それに対して安土あづちの駒は、かなりいびつだというのが小川の見立てだ。


 ――的場まとば姉弟きょうだいが満足する金額は、そう簡単に手に入らない。


 そもそも治療費だ何だと必要になり、手元に残る金額など、命を賭けるに値しない小銭になってしまう。矢矯やはぎがいた二戦は無傷で切り抜けたが、孝介だけで挑んだ二度の戦いは違った。石井戦では今も身体を蝕んでいる呪詛を受けているし、みやび戦では半殺しの目に遭っている。その二度の治療費は、場合によっては足が出ているはずだ。


 ――犯罪者共は、舞台では名誉を取り戻す事ができない。


 陽大と基は、舞台でどうしようとも汚名を雪ぐ事はできず、寧ろ陽大などは経歴を知る客からは勝てば勝つ程、悪名が轟いていくはずだ。


 ――ベクターや弓削は、どんなものを求めているか、把握できてるか?


 最も何を求めているのか分からない二人だ。弓削も本業だけで十分、食べていけるし、名誉というならば陽大を守る事になる。矢矯は、黙って真面目に仕事をしていれば定期昇給のある職に就いている。


 金ではないのだから名誉かといえば、それも舞台に上がる理由にはしにくい。


 ――ベクターの名誉は場姉弟を守る事、弓削も乙矢おとやも、名誉は犯罪者を守る事だろ。


 舞台に上がらない事でしか、それは達成できないはずだ。


 そして、弓削と乙矢に比べ、もっと厄介な事になってしまうのが矢矯だ。


 ――おいおい、ベクターは矛盾を抱えてるぞ。


 矢矯は孝介と仁和になが命を繋ぐ事でしか名誉が守れず、しかし二人には金が必要だ。


 ――自分で出るしかないな。7人抜き、決められるか?


 不可能だと断じはしないが、無茶だとわらう。



 無茶――矢矯が抱え続けている弱点ではないか。



 ――寝るのも起きるのも薬頼み、睡眠薬や無水カフェインだけじゃないな。精神安定剤も使っているな?


 薬漬けになって、自分で作り出してしまった激務に耐え、そんな身体で舞台へ上がるなど、小川からすれば考えつく限りの無茶をしているようにしか思えない。


 ――そんなメンバーを、どうやって舞台に上げる気でいる?


 駒としては最悪な者しかいない。


 小川が予想しているのは、金と名誉に次ぐ、もう一つの要素。



 ――恐怖しかないだろう。



 脅せば、あるいは上がるかも知れない。


 だが脅しは世話人にとって最後の手段といえる。特に小川や安土のように、弱小な世話人にとって百識を脅す事は、場合によっては離反を招く。それは世話人にとって死を意味する。サラリーマンを本業、世話人を副業としている小川は兎も角、専業で世話人をしている安土は負うダメージは致命傷だ。


 ――さぁ、頑張れ。


 投げ捨てる訳には行かないだろう、と小川は口角を吊り上げて笑みを浮かべる。愛娘の命がかかっているのだから、不参加は許せないはずだ。


 だが金と名誉で釣り、恐怖で縛り上げた百識が、果たして如何ほどのものであろうか?





 小川が嗤っている事を、安土とて感じ取っていた。


 ――確かに、招集するにしても一苦労する相手です。


 指定した中華ちゅうか酒家しゅかにて、安土は組んだ手に顎を乗せて思案顔を浮かべていた。


 小川がどう思っているかくらいは想像が付いている。


 ――きっと、まともな駒がひとつもないとかいっているでしょうね。


 確かに駒としてみた場合、自分の思い通りに動いてくれそうな者は一人も浮かばない。小川は「歩のない将棋は負け将棋」と馬鹿にしそうな状況だ。


 招集するにしても、平日の昼間しか呼び出せる時間がないというのは大問題だ。


 ――でなければ、鳥打とりうちくんは出てこられませんから……。


 下校時刻を過ぎてしまうと、基は真っ直ぐ帰宅しなければならない。そして7時や8時に呼び出す事は、基にとって何より大切な家族に嘘を吐く事になる。終業後に呼び出すという事も考えたが、4時集合にして、夕食時間までに解散させられるかどうかなど分からない。


 結局、基は正午で学校を抜け出させ、孝介と仁和は昼休みに昼食を買いに校外へ出す、という手しか思いつかなかった。矢矯は場合によっては年次有給休暇が使えるし、弓削や神名かなは融通の利く自営業だ。


「大変なお話がありそうですね」


 ベルキャプテンから声を掛けられたのだから、安土の表情は暗いとしかいえなかったのだろう。ホテルのテナントに入っている中華酒家は、安土が十年来、利用している。ベルキャプテンとは、プライベートを共に過ごす仲ではないが、顔見知りだ。1シーズンに二度、三度と利用する客は、得意客といっていいのだから。


「えェ……。ちょっと大変な話をしなければならない事になりました」


 安土は顔を上げ、溜息交じりにいった。


「難しそうですか?」


「それは――」


 ベルキャプテンの問いは、ある意味に於いて救いだ。


「それは、大丈夫です」


 難しくはない。


「大変な話になりますが、難しい事にはなりません」


 それは安土の信念だ。


 安土は孝介や陽大を駒だとは思わない。


 同志、仲間、友達――それらでは相応しい言葉にならないが、信頼関係を築けている。



 築ける相手を、選んできた。



 孝介と仁和に矢矯を紹介した事、陽大に弓削を紹介した事、基の師に清を推した事……その全ては、安土が冷徹な計算で引き合わせたのではない。


 それぞれの助けになるはずだと考えて引き合わせてきた。


「……なら大丈夫ですね。まだ時間があるようですし、何かお飲み物でも?」


「ああ……杏露酒シンルチュウがあれば……」


 人と会うのにお酒かと、一瞬、気がとがめてしまったが、少し景気づけをして起きたい。


「はい、承りました」


 一礼し、ベルキャプテンは個室から出て行った。


 出て行くために開いた戸から、「いらっしゃいませ」という声が入ってくる。


 待ち人の一人が来たらしい。


「……」


 安土は居住まいを正した。

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