第24話「涙を背負って、一言」

 全方位へ向けて放つつもりだったボルテックスだったが、無照準ではない。肩、両腕、腰部に備えられたレンズは照準用だ。無照準で放っていたら、両肩、両腕、腰部の射線が交錯し、威力を半減させてしまうからだ。


 対数螺旋の動きで回り込んだ孝介こうすけは、その勢いを借りてみやびの肩から腰に掛けて一撃した。雅の鎧は傾斜装甲であるから、肩から腰へかけては複雑な角度になってしまっているが、それをできる限り垂直を保って振り下ろす。


 ――肩!


 装甲ほ切り裂き、レンズを砕き、雅の肩を断ち割っていく感覚が腕を通して孝介の脳髄へ駆け上がっていく。


 ――腕!


 二の腕を切り裂き、レンズが装備されている前腕部を斬り落とす。


 ――腰!


 勢いは衰えるが、腰のレンズを粉砕したところで孝介の剣は止められてしまうのだが、ボルテックスの照準としているレンズの半分をなくせば、孝介の立っている位置は安全圏となる。


 急所は捉えられていないが、四肢を失う深手は雅の意識を奪うに十分な激痛だった。


 崩れ落ちる雅が放ったボルテックスは鼬の最後っ屁だったが、砕かれた左半身は明後日の方向へしか飛んでいない。


「……」


 その光を見下ろす紀子みちこはもう一度、舌打ちした後、腰に佩いていた剣の柄に手をやった。


 ――予定とは少し違うけど、行くか。


 雅が勝ち、孝介を助けようと矢矯が乱入してくると思っていた紀子は、このときも「運が悪い」と口の中で呟いた。大方の予想通り、紀子も「脳筋同士が殴り合っている」としか思っていなかった。孝介の攻撃など、考えた内には入っていない。頭脳戦とはいえず、結局、「レベル上げて物理で殴った」というのが紀子の考え方だ。


 走り回って振り回し、たまたま当たった不運な負け、というのが紀子の結論。


 そんな状況であるから、紀子は勝因や敗因の分析はせず、順序が変わっただけだ、とだけ断じた。


 順序――雅が孝介にトドメを刺し、矢矯が雅を始末し、その不埒な乱入者を紀子が斬る――それが孝介を紀子が倒すという風に変わっただけだ。


 剣の柄に当てた手へ《方》の光を灯す。風家ふうけ土師派はじはの《導》は、「風」の字が示す通り神器名刀の切れ味を持つ。剣は《導》を象徴する道具であり、タクトでもある。


 その脳天に振り下ろしてやろう、と《方》を高め、《導》へと変えていく。


「そうだろうな」


 だが、それを制する声があった。


 ギョッとした風に目を見開く紀子だったが、それは恐るべき相手が背後から来たという意味ではない。


「……」


 紀子が自分の肩越しに振り向く先には、名前を呼ぶ事すら汚らわしい相手しかいない。



 弓削ゆげ わたる



「雅が迷ったところへラッキーパンチ。だから即死させた訳じゃない。そうだな」


 視線を遮るように黒い羽根つき帽子を目深に被り直す弓削は、胴が黒、袖が赤のチェスターコート、黒のトラウザース、黒と赤のツートンカラーのブーツという風に、舞台に上がる時の衣装を身に着けていた。


 何をしに来たのか聞くまでもない。


 ――いざとなったら乱入するのは、そっちだったのか。


 矢矯にばかり意識が向き、弓削も孝介のバックについた事など失念していた。


「……」


 弓削が帽子から手を放す。


 その手が剣の柄へと伸びるのを、紀子は睨むような目つきで見遣った。


「気持ち悪い」


 その一言共に身体を振り向かせ、孝介に浴びせかけようとしていた《導》を剣に宿す。


 抜くと共に弾き出す《導》は、障壁や結界すらも切り裂き、万物の滅びを加速させて風化させるもの。



 だが剣を抜ければの話だ。



 紀子が剣を1センチ程度も引き抜けない時間で、弓削は一気に懐へ飛び込んだ。


「剣の抜き方なんて知らないだろ」


 もし十分な時間があっても抜けなかったはずだ、と弓削は静かな声をぶつけた。二間程度の通路だ。剣を横に抜くには狭すぎた。そして身体を使う事を下に見ている紀子は、縦の抜き打ちなど知らない。


 弓削は縦に抜き、そのまま切っ先を紀子の腹から胸に掛けて跳ね上げたのだった。


「――」


 何かを口にしたのだろうが、言葉にはなっていなかった。


 弓削も分からないし、考える気がない。


「奪われたんじゃない」


 考えず、紀子がいっただろうと想定した上で、最もいわれたくない言葉を口にする。


「お前は、なくしたんだ」


 雅と同じく、自分の未来は誰かに奪われたと思っていた。もっと違う未来があり、本来ならば裕福とはいえないまでも、将来に希望を持ち、夢に向かって切磋琢磨できる場所にいたはずだ、と。


 ままを笑って許してくれる、広い心と深い愛で頷いてくれる旦那様がいる未来があったはずなのだ。


 それを奪った相手が、自分の最後に見た光景にいる等、有り得ない。


「なくしたんだ」


 弓削の言葉以上の衝撃が、身体の中心をズンと貫いた。


「命は俺から奪い損ねたな」


 初めて寄せた顔に、弓削は小さな声で告げていく。


 告げながら思い出すのは、まるで剣の切っ先のように、風化した岩山が並ぶ景色の中、肩を抱くしかなかった自分の姿だ。


 その時の弓削と同じく、紀子の手足から体温が消えていく。


 弓削と圧倒的に違うのは、紀子が身体の中心から体温をなくしてしまうのは最後の瞬間だが、その景色の中で弓削は心の体温を手足よりも先に失っていた事だ。


「……」


 もう紀子からの声は、全くなかった。


 弓削は「ムッ」唸り、切っ先を捻り込んだ。


的場まとばくんの命も、弦葉つるばくんの命も、お前になんぞ奪わせるものか」

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