第8話「スタートは小川の手の内――7対7」

 零細れいさいである事を「貧乏暇なし」と称しているのだから、弓削ゆげは可能であるならば24時間受付でもするといっているくらいだ。現実には朝9時から夜10時まで電話受付をしているし、出張買い取りも北県ほっけん南県なんけんだけが出張範囲ではなく、200キロ圏内ならばどこでも行く事をモットーとしている。


 それは神名かなも同様で、その日も電話を受けたのは夕食を食べている途中であったが、快く電話を取った。


「はい、オンセン書房です」


 弓削を湯気と読み替え、そこにかけた屋号を、できるだけ和やかな声で伝える。電話受付は神名が自分の仕事と思っていた。男女差別だとのそさそりを受けるかも知れないが、客が安心して話ができるのは、やはり女性だ。特に古書の買い取りは女性向けの品物もあるし、弓削の強みは、女性向けグッズの買い取りには神名が動ける事で、同業者にはないアドバンテージを持っている点にある。


「出張買い取りをお願いしたいのですが……」


 声の主は男性。


「はい、ありがとうございます」


 神名が弓削へ目配せした。


「担当者に代わりますので、少々、お待ちください」


 女性向け以外は弓削が担当している。


「お電話代わりました。買い取り担当の弓削と申します。品目は何でしょうか?」


「マンガとフィギュアです。文庫本が少し」


「合計すると、何点くらいありますか? 苦にならない数でしたら、メッセンジャーアプリなどで写真を送っていただければ、簡単な査定もできますが」


 現地へ赴かずとも、この場で査定する事も可能であるという弓削の言葉は、双方の利便性を考えての事だ。現地に赴いたはいいが、気が変わって売らないという事もある。その場合でも出張費を取らないようにしているからこそ、「来てもらったからには……」という気分が働いてしまうのは申し訳ない――というのは、建前が半分、無駄足は踏みたくないという本音も半分、ある。無駄足と思う事自体、商売にはマイナスだ。


「段ボールで4つか5つあるので……」


 負担ですという言葉が語尾に隠れていた。


「そうですか。でしたら、希望の日にち、時間をお知らせいただけますか? 別に日中でなくとも大丈夫ですので」


「そうですか」


 若干の間が空く。


「今週末の金曜日が希望です。日中は仕事がありますから、6時半か7時か……」


「大丈夫です」


 予定を書いてあるカレンダーへ目をやる弓削は、空白であるが故に対応が早い。


 ただ懸念はある。


 ――大丈夫ですか?


 食卓で箸を止めている陽大あきひろが目で告げる。



 舞台の日程だ。



 安土あづちから連絡はなく、またこんな状況であるから、日程の決定は小川が主となるのだろうと予想しているが故に、今、出張買い取りで遠出する事は気になってしまう。


 それは弓削もわかるのだが、先の分からない事で本業を停滞させる訳には行かない。弓削は舞台に関しては副業どころか小遣い稼ぎ程度だ。


「場所はどちらですか?」


「北県です。長瀬駅から、ながせドームに行く途中なんですけど……」


 弓削の自宅からならば70キロ弱というところだが、往復2時間という計算にはならない。


 ――高速を降りた後の国道が混むな……。


 道路事情は北県と南県で大きく違う。モータリゼーションの時代を見据えていた南県は車が主とした交通手段となるため、慢性的な渋滞は解消されている。その反面、公共交通機関は弱く、電車となれば不便の代名詞とでもいうべきものになってしまうのだが、北県は道路族が弱かった故に、公共交通機関が発達している。昨今の流行であるスモールタウン、エコシティに向いた都市となっている北県は、国道が慢性的に渋滞をしている。


 片道だけで1時間半から2時間、買い取り作業に1時間弱、帰りも同程度と考えると――しかし迷っている場合ではない。


「かしこまりました。金曜日、午後6時半から7時にお伺いします」


 日付が変わるまでに帰宅できればいい、と弓削は高を括った。


「ありがとうございます。お待ちしています」


 電話を切った途端、神名と陽大が心配そうな声を出す。


「大丈夫ですか?」


 陽大が小難しい顔をしていた。


「何か金曜日って、心配ですけど……」


 神名も同様に、舞台を気にしていた。午後6時半から作業を開始したとして、最大1時間半を見込めば午後8時、そこから帰ったとしても、2時間かかれば午後10時だ。舞台の開始はギリギリか、間に合っていない。


「心配は心配だが……まだ決まってない事を心配しすぎて、仕事をおろそかにはできないだろう?」


 自分たちは、その商売を飯の種にしているのだから、弓削のいう事が正しい。



 いや、正しかった。



 ――だからこそ、弓削 弥はこの舞台から遠ざけられた。


 小川のほくそ笑む顔が見られたはずだ。





「間に合わない」


 衣装を身に着けた陽大は、苦い顔を集まった6人へと向けていた。



 小川が指定した日時は、弓削が出張買い取りを頼まれた日だったのだ。



「場合によったら終わるぞ……」


 時計を気にしながら孝介が苦々しいと舌打ちしていた。ボクシングならば、12ラウンドを戦うのに3分ずつのラウンド、1分ずつのインターバルを続ければ48分。入退場を考えれば最大でも1時間あるのだが、この舞台で1時間の戦いは考えられない。



 弓削の遅れ――。



 そして送れているのは、もう一人。


「ベクターさんも……」



 仁和が心配する矢矯も、まだ会場入りしていない。



 最大戦力である弓削ゆげ矢矯やはぎ乙矢おとやの内、二人を欠いたままスタートした。


 7対7――。

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