第11話「絶望の熱――7対7」

 バッシュは背に漆黒の翼を羽ばたかせ、大きく宙へ弧を描かせた。打撃しか攻撃手段を持たず、特に肘を使った至近距離の打撃を切り札として持つ陽大あきひろは、頭上の敵への攻撃手段を持っていない。跳び蹴り程度はあるかも知れないが、それとて跳躍後に方向を変えられる様な事は不可能だ。


「待ちに待った時だ」


 眼下にステージを見下ろし、バッシュは《方》を両手に宿らせる。視界が朱に染まるのは、全身の血液が頭部に集中してしまったためだろうか。


「大願、悲願……それら全ての成就のため――!」


 真っ赤だった視界が黒く染まる。今度は頭部から血が引いていった。


「リメンバランス!」


 身体への負担が如実に表れる程、今、バッシュが操ろうとしている《導》は強い。いうなれば、眠り続けていた悪魔を起こす通過儀礼のようなものだ。


 インフェルノと名付けた《導》よりも、更に強い。



 煉獄れんごくよりも更に深い、地の底に眠る悪魔を呼び覚まし、その蛮力ばんりょく、暴力を解放する合図だ。



 眼下に捉えるのは陽大だけではない。


 ステージをも飛び越え、バッシュの目に映るのは、今夜の大舞台のため用意されたスタジアム。


 いつかルゥウシェの劇団で、こんなスタジアムを満員にし、熱狂させる未来こそがバッシュの望みだ。


 それを邪魔した矢矯やはぎへの復讐――それを成す。


 ――画竜点睛がりょうてんせい! 一点のくもりなし!


 赤くなり、黒くなった視界が元に戻る。


 その視野の中心へと手を伸ばし、宿した《方》を《導》へ変化させる。



「ソロモン――魔術王の記憶!」



 伸ばした手から光がほとばしった。


 光は真一文字に突き進み、ステージ上に光芒の渦を出現させる。


「!?」


 腕をかざして目をかばっていた陽大だったが、光芒が渦を巻いた瞬間――、


「くそったれ!」


 毒突いて逃げた。


 光というだけならば曖昧なエネルギーに過ぎず、それでは《導》ではない。


 その光が《導》であるのは、全ての物質が形として存在できない程の高温、高圧を宿しているからだ。


 光はなおも広がる。バッシュの《導》はプラズマ雲を伴い、膨大な熱量と衝撃で、ありとあらゆるものを粉砕、四散させる。


 爆流の波紋だ。


 崩落した氷河が津波を起こすかの如く、バッシュの《導》は破壊の波紋を広げていった。


「リメンバランス!」


 それはバッシュにも押し寄せる。この惨事を引き起こしたバッシュ本人は、新たな《導》を使い、身を守る。


「ダイヤモンドダスト――大紅蓮だいぐれんの記憶!」



 それは最愛の女、ルゥウシェが得意とする《導》だ。



 氷結させる《導》を最大稼働させ、自分の身体を巻き込むのも構わず展開させる。空気すらも凍らせる《導》によって皮膜を生じさせ、熱線に抵抗する。


 閃光と爆風にあおられながらも微動だにせず《導》を放つバッシュと、眼下で必死の抵抗を試みる陽大は対照的だった事だろう。


 光芒の渦から逃げだそうとした陽大は、ステージの端で行き詰まる。


 ――壁だと?


 ステージを包み込むように展開させた障壁だった。


 ――いや、この障壁か! 凹面鏡おうめんきょうで囲って作った球体だ。真ん中から拡散する光をもう一度、焦点に返してやがる!


 それによって熱量を上げているのだ。


「なら、一枚でも割れば良いか!」


 叫ぶが早いか、陽大は右足を引いた。


 ――防御を目的とした障壁じゃない! なら、俺のφ-Nullファイ・ナルエルボーで砕ける!


 対数螺旋たいすうらせんの動きは身体に馴染んでいる。助走は一歩もあれば十分だ。


 障壁は球体であるから、この一点でも割ってしまえば用を為さなくなる。


「ッ!」


 陽大の《方》が全身に障壁を展開させ、対数螺旋に従って力を伝搬する。


 ――砕いた!


 確かな手応えと共に障壁が砕ける。


 それは背後で広がり続ける光に、新たな力を与えなくなった事を意味すると思っていたのだが――、


「その程度で消えるはずがないだろうが!」


 その声はステージの外から飛ばされた、ルゥウシェの嘲笑だった。


 ステージを覆っていた球体は、あくまでも拡散しようとするエネルギーを還元するためのものだ


 砕かれようとも、最早、バッシュのリメンバランスを打ち消すような効果はなかった。


 ――ベクター用に用意した取って置きだ!


 バッシュがこの時のために磨き上げたリメンバランスは、死角を徹底的に潰した事をルゥウシェも知っている。矢矯が勝機を見出すならば、前回と同じく《導》をくぐっての接近戦しかなかった。しかしバッシュは上空への退避する事と、自分の身すらも巻き込む大規模な《導》を展開させる事の二段構えだ。矢矯が踏み込もうものならば、まさしく焦点に突入するようにしている。


 次に考えられるのは逃亡だが、その時間を少しでも削り取るための障壁でもあった。


 矢矯に対しては不安もあったが、陽大に対してならば、その役目もまっとうした。



 陽大が逃走する時間は、もうつぶし終わった。



「!?」


 振り返る陽大にできる事は、精々、亀のように身体を丸め、防御できる態勢を取るだけ。


 ――確か、そのコスチュームは安土あづちが用意した特別製で、《方》に対する防御力もあったんだったか? でも、《導》に対して、十分な性能なんてないんだろ。


 ルゥウシェの相貌そうぼうに笑みが浮かんでいた。

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