第12話「初めて渇望した日――6対7」

 閃光の膨張が収まると、収縮は一瞬で終わった。出現した時と同じく、突然、消滅した。


 辛うじて形を留めていられるステージに降り立つバッシュはつぶやく。


「他愛もない」


 それは言葉通りに楽勝は示すものではない。降り立った直後、足がすくむむ事を自覚した。熱線によるダメージと、それを軽減しようと放った冷気のダメージだ。


 立っているのがやっとという状態だ。そもそも雲家うんけ衛藤派えとうはの《導》であるリメンバランスを使うが、美星メイシンもバッシュも雲家衛藤派の出身ではない。ルゥウシェから教えられたものであるから、ルゥウシェや石井のように何重もの重ね掛けはできない。二重でも、ここまでの規模となれば手に余った。


 それと引き換えにして、ステージ上の惨状を引き起こした。


 見れば黒い影が一つある。


 ――審判か、あれは。


 何の防御装置も手段も持たず、そもそも百識ひゃくしきですらなかった審判は、矢矯やはぎ弓削ゆげでも手こずる包囲では生き残る術がなかった。


 それに対して陽大あきひろは――、


「原形を留めてる」


 ルゥウシェが拍手した。安土あづちの衣装が防具として機能し、また陽大の《方》が障壁であった事が幸いした、と賞賛してやったつもりだった。


 小川陣営には、そんな緩い空気が流れている。バッシュの勝利だ。審判はいなくなってしまったが、勝利を認めるのは観客の役目であり、審判は伝達と宣言だけが役目だ。


 この惨状に相応しい威力を見せたのだから、観客の満足度とて高い。


 だがバッシュは、すぐにアピールできなかった。倒れ込んでしまいたいくらいなのだから、腕を上げる事も、声を張り上げる事も重荷だった。


 だが宣言しない事が、安土陣営の慌てっぷりを観察させる時間になる。


弦葉つるばくん!」


 真弓が悲鳴を上げていた。相手は全員、大火力を有するのだから、なぶろうとさえしなければ瞬殺になる。予想していた光景ではあったが、いざ眼前に現れては冷静さを保つ事はできなかった。


 蒸発してしまわなかった事だけでも幸運かと思わされる惨状だ。


「……いえ、大丈夫……」


 仁和になが呟くようにいった。矢矯に匹敵する感知の《方》が、陽大の状態を感じ取った。無事とは言い難いが、心臓は動いているし、意識もある。


「ホント!?」


 真弓が振り向くと、仁和はハッキリと頷いた。


「死んでない」


 頷き合う二人が同時に、同じ内容を叫んだ。



「立って!」



 まだ決着の合図がないのだから、戦いは続いている。バッシュから追撃が来たら、今度こそ殺される。


「立って! 立たないで、どうやってバッシュに勝てるの!」


 真弓が手を叩き、足を踏み鳴らす。


「立って!」


 仁和も同様だ。


「立って下さい!」


 はじめも続いた。


 三人が声を張り上げ、立てと叫ぶ。


 ――聞こえてる……。


 その声はうつ伏せに倒れている陽大にも届いていた。


 ――聞こえてるから、もう少し待ってくれよ……。手足が自由にならないんだよ。


 身体を支える四肢ししがいう事を聞いてくれなかった。感触すら怪しいくらいだ。


 ――大丈夫だ。手も足も、繋がってくれてるんならいい。《方》で動かすんだから。


 身体の中に障壁を張り直す陽大は、急がなければならないと思いながら、焦りを抑え込む。バッシュがその気ならば、もう《導》を放ち、とどめを刺している。そうしていないのだから、焦る必要はない。


 ――立つ。もう少しだけかも知れないけど、頑張れる。


 心得ている、と陽大は歯を食い縛った。その程度はできた。


 ――立って戦うんだ。まだできる事がある!


 だが、その時だ。



「いいえ。もう立たなくてもいい」



 陽大の耳にも届いた声なのだから、仁和や真弓にはハッキリと聞こえた。


 何をいい出すんだと皆の目が向いた先に立っているのは、他ならない神名かなだ。


 神名は自分へ振り向けられた視線など見ていない。


「もう弦葉くんは十分、頑張ってくれたはずよ」


 神名が目を向ける相手は陽大だけだ。


 陽大は、まだ賭けられる命があると立ち上がろうとしているが、それに対し、よせという。


 分が悪いなど考えず、捨てる事がわかりきっていても賭けようとするのが陽大だ。


 どれ程、頑張ろうとも理解されなかったからだ。


 39人分の不満を一身に引き受けさせられた学生時代。


 事故を事故と思ってくれなかった世間。



 苦しんで死ぬ事以外、誰も陽大に望まなかった。



 今も陽大の耳に聞こえてくるのは、、だ。続く言葉は、勝て、死ねと対照的であるが、共通しているのは、立て――つまり頑張れという事。


 だが神名はいう。


「代わりはいるから、大丈夫だから!」


 陽大に求めるのは結果ではなく、その努力だ。バッシュとの戦いを、無様だとは思わない。勝つ事だけが価値のあるものではなく、命を拾えるならば、拾って帰ってくれる事こそが神名の望みだ。


 仁和や真弓は、何をバカな事をという顔をするが、何より驚いた顔をしていたのは当の陽大だった。


「もう十分やったわ。もう頑張らなくていい」


 そんな陽大へと神名が続けたのは、恐らく陽大が最もいって欲しかった言葉。


 目一杯やってきた。


「いつだって、弦葉くんは自分にできる事に全力で、精一杯、やってきた。今だってやった」


 神名は経過を最大の成果であると認めてくれた。


「生き残って!」


 神名は拾った命なのだから、それを捨てるなといった。



 だが、そういわれた陽大が、そのまま寝ているはずがない!



 全身に障壁を張り巡らせ、《方》を総動員して立ち上がる。


「――」


 咆哮ほうこうをあげたのかも知れないが、喉から声はほとばしらなかった。それくらいのダメージがあったのだが、


 ――初めて、いいます。


 その出せない声で、陽大は告げる。



 ――勝ちます!



 それ以外に、陽大の中に生まれる言葉など、あろうはずがない。見守って欲しいと望んだ、自分の精一杯を認めて欲しいと望んだ陽大に、神名は応えてくれたのだ。


 倒れそうになりながらも、周りからの「頑張れ」という声に対し、気を張り詰めて立ち上がってくる陽大は、いってほしい言葉をかけられた今こそ立ち上がる。


 視線を神名からバッシュへと戻す。《方》で無理矢理、動かすしかない身体は、もう苦痛も生まない。それだけ限界を迎えてしまっているという事だが、陽大は「関係ない」と踏み出した。


 ――動かせるんだろ!


 走れと、障壁を変化させ、身体を動かす。その精度は最高の高みに達した。弓削に匹敵するスピードでバッシュへ迫る。


 ――勝利を寄越せ!


 歪む顔で捉えるバッシュの顔は――、


「はん……」


 何を考えていたのか、陽大に悟れるものはなかった。


「勝ったぞ、ルー」


 ただ、そういった声は聞こえ、次に起こった《導》が全てを寸断した。


「リメンバランス」


 起こったのは、安全圏を全て塗りつぶしたリメンバランス。


「インフェルノ――煉獄の記憶」


 自らも巻き込んだ、文字通りのだ。


「ッッッ!」


 隙間に滑り込もうとする陽大は、遮二無二しゃにむに、必殺のφ-Nullファイ・ナルエルボーを狙ったが、そこまでだった。


 その《導》が導いたのは、地に伏す陽大と、立ち往生のバッシュ。



 陽大敗北――6対7。

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