第5話「優劣の証明」

 黒の上下をボーダー柄のTシャツと合わせている男、明津あくつ一朗いちろうは二階建ての白い建物を見上げていた。


 ――児童養護施設?


 明津の目から見て、不必要と思える広さがあった。だが人工島の建設理由が住宅扶助だったのだから、福祉関連の施設は充実している。人工島の人口は8割の低収益層と2割の高収益層に分けられるのだから、その8割の生活を想像すれば、この手の施設も必要になるというものだ。


 だが扶助とは、明津にとって神経に障る言葉だった。


 ――考え無しに離婚しただろう。それとも一人で立派に育てられると思ったのか? 育てられなかったのなら自業自得、子どもの将来まで汚すのは完全自己責任。親が取れない責任なら、子供が取れ。


 ここの扶助、保障に使われているのは税金だと声にこそしないが、何かを吐き捨てるように強く息を吐き出し、視線を地面へと逸らせた。


 ――我慢ができないから努力もしないだろう。


 ここに入所している者が全員、シングルマザーの子供という訳ではないが、明津の想像力ではここまでが限界だった。


 これは水掛論であり、言い争いをしても無駄な事であるが、明津にとっては相手を黙らせる必殺の一撃である。


 地面に落としていた視線を徐々に上げて行くと、黒い雲が広がり始めた北の空があった。人工島の気候では北の空に雨雲があれば午後からは雨が降るのだが、明津にはそんな知識はない。


 雨が降るかも知れない天気でも、憂鬱な気分とは無縁だった。


 そして明津のスマートフォンがIMメッセージの着信音を鳴らすと、逆に気分を高揚させる事となる。


 ――予定通り、松嶋小学校の社会学習が入っています。


 アヤからのメッセージだった。


「よし、行くか」


 石井の日本刀が入った竹刀袋を肩に掛け、明津は児童養護施設の正門を潜った。


 ここへ来た理由を、施設の白い建物に見出しながら、


 ――本筈もとはず聡子さとこ……。


 あの決戦の原因となった少女。


 ――鳥打とりうち はじめ……ッ。


 そして自分を打ち負かし、逆転の足がかりを作った少年だ。


 明津とアヤがここに来た理由は、今、自分たちが置かれている状況――次々と、その決戦で戦った百識ひゃくしきが死んでいっている状況の理由を、小川の復讐ではなく、安土あづち陣営の復讐戦に求めたからだ。


 ――殺す。何よりも早く!


 自分たちが安土陣営の百識よりも優れている事を示す事で、レバインたちへの牽制になると考えていた。





 養護施設での社会学習は、それぞれのクラスに別れ、同年代の児童たちと同じ教科を受けるというものがあった。


 ――バラバラになるな……。


 用意された席に着きながら、基が考えていた事は聡子の事だった。養護学校の生徒数と、自分たちのに人数が違うのだから、調整は絶対だ。


 できれば同じ場所で、と願ったが、願いは届かない。


 特に聡子と基はマークされているのだから、同じ場所にいさせないよう調整するのも、谷校長からすれば当然の措置といえる。


 ――休み時間になれば、顔を見に行こうっと。


 そう考えていた時だった。


「?」


 廊下を小走りに走っていく児童が、ふと基の目に付いしまった。他の児童ならば気にならないし、気にしなかったのだが、基が持つ感知の《方》が、足音の異様さに気付かせてしまった。


 ――急いでる? 緊張して?


 足取りや表情、発汗などを感じ取ったのだ。


 異常だと感じるのだから、席を立つ。


 小走りに向かった先は職員室だった。


「先生、何か……知らないおじさんが教室に来ました」


 職員室の入り口から気持ちだけ大きな声で報告する児童に、職員室内の教員は顔をしかめさせ、


「知らないおじさん?」


 聞き返した教員の方へ行こうと、児童は職員室内へ入っていく。


「知らないおじさんです。給食の人かも知れないって思ったけど、何も持ってなくて……」


「……何かあったら、教室のインターホンから連絡して下さい。その方が早いからね」


 行こうと立ち上がる教員に対し、児童は唇を尖らせて俯いてしまう。


「だって、恥ずかしいから……」


「ああ」


 教員が苦笑いを強めた。


 ――前に全校に声が流れてしまった事があったっけ。


 操作を間違えたからだ。そして、そういう失敗を怖れる子は珍しくない。自己肯定感が育ちにくいのも、こういう児童養護施設の特徴である。


「ボタン操作を間違わないように、テープを貼ったでしょ? 職員室って書いてあるボタンを押したら、ここに繋がりますよ」


 苦笑いを柔和な笑みへと変えて、「一緒に行こうか」と教員は児童の肩に手を置いた。


 児童を連れた教員は同僚へ「ちょっと行ってきます」と一礼し、出入り口へ向かったところで基の姿を見つけた。


「今日の、初回学習できた生徒さんかな? どうかしましたか?」


「急いでる子がいたので、何かあったのかって心配になりました」


 正直に答える基の態度は堂々としていて、それが児童からも教員からも頼もしく見えたはずだ。


「そうですか。ありがとうね」


 教員は笑みを浮かべ、児童と基の双方を連れて教室へ戻ろうと……、


「ん?」


 だが教員の足は、不意に止められた。


 プップッと特徴的なノイズがスピーカーから漏れるのは、どこかの教室から全校一斉放送が始まったからだ。


「きゃああああ!」


 まず聞こえてきたのは、教室から溢れかえった児童の悲鳴。


「逃げて下さい! 逃げて下さい!」


 続いて女性教員の悲鳴混じりの絶叫だった。


「全校生徒、今すぐ避難して下さい! 4年白組の佐藤です! みんな、今すぐ避難して!」


 何が起きたのか、すぐに理解できた者は稀だろう。


「!」


 その稀な者だった基は、放送があった教室へと走っていた。


 ――本筈さんのいる所じゃないか!

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