第4話「陶器製の幸せ」

 命を救われたからといって全てががらりと好転する訳ではないし、そんな事はありえないと分かっている二人だが、聡子さとこはじめは今、最も平穏でなければならない二人だった。


 聡子は小川陣営と戦い、安土あづちが勝ち取った「二度と狙われない」という契約によって、百識ひゃくしきとは無縁の世界で生きられるのだから。


 基も舞台に上げられるわれはなく、舞台関係者へも「聡子が《方》によって呼び出した死者だ」という触れ込みであるから、二人が共にいる事は不自然ではない。


 舞台とは無関係となり、39/40のユートピアを維持するための生け贄役も、二人が揃ってしまった事によって過酷とはいい難くなった。



 この生活は平穏にならなければならない。



 これはルゥウシェとバッシュが懐いていた「自分たちは大舞台に立たなければならない」や、くすぶっているアヤや明津が懐いていた「自分たちは認められなければならない」とは大きく違う。ルゥウシェは矢矯やはぎを踏み付ける事に何の痛痒つうようも感じていず、矢矯の離脱を許さなかったし、明津やアヤは「自分たちを認めない社会は腐っている」と他罰的、確信犯的になっていたが、聡子は基は自分たちが動く事で、変温を目指す事にしたからだ。


「今日は、4年生全体の社会学習です」


 主任が柔やかな顔でマイクを握っていた。


 松嶋まつしま小学校の児童が整列しているのは、児童養護施設。


 南県で特別養護老人ホーム、クアハウス、児童養護施設を運営している社会福祉法人が運営しており、社会科の学習に松嶋小学校の4年生児童を迎え入れていた。


「施設の先生に迷惑をかけないように。いつも騒がしい人がいますが、今日は特に静かにしてください」


 それぞれのクラスに一人ずつ配置されている生け贄役への牽制も欠かさなかったところで、主任はマイクを下ろした。


 担任教師へ引率を任せるのだが、ただ最後まで視線を離せない少年がいる。


「……列に戻りなさい」


 釘を刺す相手は、クラスの列から離れて聡子の傍にいる基だ。生け贄役が手を結ぶ事は、この松嶋小学校では絶対のタブーとされている。39/40のユートピアは可能だが、78/80ではユートピアにならない――する方法を谷孝司が知らないのだから。


「また、後で」


 軽く片手を上げて列に戻る基は、どこ吹く風よといった態度を崩さない。怒られるならば、自分が我慢すればいいと思っている基は、我慢できるだけの余裕を持っている。


「学校内じゃないんだから、しゃんとしろ!」


 川下が列に戻ってきた基の後頭部をパンッと平手で鳴らした。クスクスと含み笑いが聞こえてくるが、それに対しては何もいわない。基が悪いで片付けるのが生け贄役の扱い方だ。


 担任教師が引率していくが、進み始めればバラバラになる。


 ただ、それでも生け贄役の立ち位置はコントロールするのが、谷孝司から担任を負かされている教師の必須スキルだ。最前列でもなく、最後尾でもなく、何かすれば目立ち、声をかければ全員が注目しやすい位置をキープさせる。


 全てのクラスで共通させるべき、と担任全員が心得ているのだから、施設内を進み始めると途端に列から離れる基の存在は鬱陶うっとうしい事だったろう。


 ――迷惑、かかるかな?


 基も表だってサボるように見えてしまうため、聡子にも累が及んでしまうかと考えてしまうのだが、足を止めるのは一瞬だった。


 聡子の方へ向かう。


 ――僕の役目は、本筈もとはずさんを守る事だ。


 それはこの場合、言い訳だ。四六時中、聡子の傍にいろという意味ではないし、傍にいる事が問題を呼ぶならば、寧ろ傍にいない事が守る事に繋がるのだが、10歳では判断ができない。


「ここ、精神病院?」


「障がい者ばっかりいるところでしょ?」


 聡子の列へ移動する道々、聞こえてくる同級生たちの声は基の神経に障った。


 ――病院でもないし、バカにされる人がいるところでもない!


 児童養護施設は、保護者がいない、虐待されている等の理由により、用語を必要とする児童を入所させ、擁護する施設であり、精神病院でもなければ、犯罪などの不良行為をしたりするおそれがある児童を通わせる児童自立支援施設でもない。


「本筈さん」


 早足で近づく基が手を上げると、聡子もクラスメートの声に眉を顰めさせていた。


「どういうところ?」


 クラスメートの言葉が無知からくる心ないものである事は分かっているのだが、聡子もどういう所か知らなかった。


「精神病院でも、そういう悪い事をした人を閉じ込めておく所でもないよ。昔は孤児院っていわれてた所」


 だが基は知っている。


「お母さんしかいないとか、お父さんしかいないとか、二人ともいないとか、そういう子がいるんだよ。あと、両親から暴力を振るわれてる子とか」


「へェ」


 意外な事を知っていると目を丸くして見返してくる聡子に、基は「実はね」と前置きし、窓の外、弓削ゆげの古本屋がある方向を指差した。


弓削ゆげさんや弦葉つるばさんは、本の買い取りを一回、する度に200円ずつ、ここに寄付してるんだって聞いたんだ。その時、そういう施設だから、応援したいって話してくれた」


 地域貢献活動だと弓削が続けている事だった。一冊200円ならば赤字になるが、一件につき200円ならば、大金とはいえずとも纏まった金額にはなる。


「大体、犯罪者だ精神病だっていうなら、他に入らなきゃいけない人が、いくらでもいるでしょ。大抵、そんな奴らはつるんで固まってるしさ」


 少しだけ大きくされた基の声は、周囲に向けられている。校長が中心となり、教師を味方につけたイジメは発覚しないし、発覚したとしても社会問題になるだけで犯罪ではないのだが、基は収監されるならば周囲にいる同級生や担任こそが相応しいと思わずいってしまう。


「連んで固まってるだって」


「自己紹介、おつ!」


 同級生はそういって笑い出し、騒ぎ始めれば双方の担任が目を吊り上げる事になった。


「鳥打! またお前か! いつもいつも抜け出して!」


 川下が怒鳴りながら、大股で基の方へやってくる。


「はい、すみません」


 基も川下の怒鳴り声に負けないくらいの大声を出し、クラスの列に戻った。クスクス笑いは止まらないが。


「これから班行動になるけど、勝手に真似をしたら許さん!」


 川下の怒鳴り声が響く廊下を、遠目で見ている存在には誰も気付かない。


 ボーダー柄のシャツに、詰め襟を思わせる黒の上着を羽織り、上着と同じ黒いスラックスにローテクスニーカーという出で立ちの男が、正門から敷地内を見ていた。

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