第3話「助けて下さい」
ドタキャンされたのだから、そのまま残業しても良かったのだが、流石の矢矯もとてもそんな気にはならなかったらしい。
自転車を走らせた先には、今夜、美星と一緒の夕食を予定していた店ではなく、ファストフード店だった。二人でいる時は兎も角、一人でいるならば、殊更、上等な食事をしたいとも思わないし、若い矢矯の給料は、遊び歩ける程の余裕などない。
それでも、いつものように自炊するのではなく外食にしたのは、流石に帰宅してから料理を作る気にならなかったからだ。
100%ビーフパティを謳っているチェーン店であるが、そのメニューの中に一つだけあるポークパティのハンバーガーを一口、囓った。
旨いかどうかは、感じない。
分からないからだ。
矢矯は自身では「食事に拘泥しない」と言っているが、その実、味音痴だ。ある一定を越えてしまったら、料理の味は全て同じ程度の旨さに思えてしまう。ファストフードのハンバーガー如き、と大抵の者が思う味であっても、十分な味に思える。
――多分、こう言う所も、不満になってるんだろうな……。
思い返すのは、料理を趣味にしている美星の事。
――張り合いがなかっただろうな。
手料理や手作りの菓子――矢矯はスイーツという言い方に抵抗がある――を持ってきても、手を叩いて喜ぶ程でない矢矯は、美星にとって不満があったはずだ。
だが同時に苦笑いが出る。
「なかったって、過去形かよ」
思わず口に出してしまう程、矢矯にとっても意外だった。
まだ過去の事ではない。
――ドタキャンで、少しショックを受けてるらしい。
こればかりは繰り返されても慣れるという事がない。
――あんま、イニシアティブ取る方じゃないしな……。次の連絡だって、平気で半月でも3週間でも待たせるし……。
その半月が待てない事を、ルゥウシェは「束縛」と言っているが、それは矢矯の知らない話だ。半月という時間が長いか短いのかは、送る側、受け取る側の感性によるのだろうが、少なくとも詫びのメールを送るのに半月を要すると言うのは、待たせすぎと言っていいだろう。
――次、いつ会える?
ハンバーガーを持っている方とは逆の手でスマートフォンを操り、メッセージを入力するが、矢矯は送信ボタンを押す寸前で手を止めた。
いや、止めさせられた。
「矢矯さん、ですよね?」
不意に隣りからかけられた声の為だ。
「はい?」
顔を向ける矢矯には、聞き覚えのない声だった。
「えっ……と?」
顔を見ても知らない相手に、矢矯は軽く首を傾げ、声をかけた女は会釈して見せた。
「突然、すみません。私、安土と申します」
そう言って差し出したのは、名前と肩書きが記されたカードだった。
「……」
矢矯が顔を顰めさせるのは、名刺のように交換するために出したのではなく、自分の「身分」――括弧書きで書く程の事柄を明かす為だけのものなのだから。
「世話人が、俺に何の用があるんです? 俺、チームに入ってますよ」
引き抜きならば応じない、と矢矯が手を翳すと、安土はカードをスーツの内ポケットに戻しながら、表情をできるだけ柔和に整え、首を横に振った。
「大丈夫です。引き抜きではないですよ。少し調べれば、まぁ、チーム内の人間関係も分かりますから」
出した言葉は失敗だ。美星との関係ならば、矢矯には不愉快な言葉になる。
しかし矢矯がした事と言えば、視線を外しただけだったが。用事のない世話人など無視して、中断された夕食を再開する気にはなれない。
「あまり、身辺を探られていると言うのは気分のいいものではないですね。人質でも取られたような気分になります」
あの「舞台」に上がる以上、身辺を探られ、脅かされる危険もある事を心得ている矢矯であるから、少々、剣呑な雰囲気を出す。
それに対し、安土の方は対照的に落ち着いた表情で本題を切り出した。
「実は今、私が仲介しているチームが、場合によっては制裁マッチになるかも知れないんです」
「せいさい?」
すぐに「制裁」の字が頭に浮かばなかった矢矯は首を傾げたが、説明が必要な程ではない。
「乱入からの不意打ちで勝ったので」
ギャラリーを満足させる闘いではなかったのだから、制裁マッチになるのは当然だ、と安土が暗に告げれば、矢矯も理屈は分かるのだが、だからと言って自分と何の関わりがあるかは分からない。
「俺と、どういう関係が?」
察しが悪いとは安土も言わない。矢矯が理解するには説明不足だ。
「高校生の姉弟なんです。鍛えてもらえませんか?」
矢矯に頼みたい事は、それだが、藪から棒としか言えないのでは矢矯も即答はできない。
「何故、俺に頼むんですか? 同じチームでもないし、フリーでもないのに」
断られるとは思わないのか、と訊いたつもりの矢矯だったが、言葉を口にしてから自分がこの手の誘いを断りにくい性格である事を思い出した。
――調べれば分かるか。
矢矯した小さな舌打ちが聞こえてしまうが、安土は眉を潜めるでもなく、顰めっ面を見せるでもなく、何も変わらない調子で言う。
「人を見捨てられない、嫌いになれない性格だからです。だから断られないと思いました」
出し抜けでも、見ず知らずでも、と安土が言う理由は、矢矯の特長を知っているからだ。
「こんな舞台に立っていながら、未だ一人の命も奪っていない人なんですから」
それは驚嘆に値する。
戦闘の終了を決めるのは観客であるから、必然的に勝利と敗北を分ける最も頻度の高い判定は生死だ。
だが矢矯は、一度たりとも殺していない。
「両手両足を切り落とすくらいの事はしましたよ」
人を傷つけなかったと言う意味ではない、と苦笑いする矢矯だが、安土もそう言う意味で言っている訳ではない。ほぼ一方的に相手を戦闘不能にする技術があるからこそ、生死が勝敗と直結していないのだ。
「それだけの技術があると言う事と思っています。少なくともルゥウシェやバッシュに比べれば、かなり上の技術がある」
心持ち、顔を寄せた安土がチームのツートップよりも上だと言うのは、矢矯には買い被りのようにしか思えない。世間の評価では、その二人に比べ、矢矯は格下だと思われている。それも、段違い、桁違いと思われる程。
「……俺は、《導》が使えませんよ」
派手な炎や稲妻を操れる訳ではない、と遠回りに断るのだが、安土はハッキリ言われない限り無視する。
「生き残り方を、教えて欲しいんです。そういう事に関して、矢矯さんは膨大な知識と知恵と経験を持っているじゃないですか」
そこで安土は居住まいを正した。
「私のクライアントを、鍛えて下さい」
返事は安土が想定した通りの事になる。
「……あまり優秀な教師ではないですよ」
コーラを一気に飲み、矢矯は立ち上がった。
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